私が若しそういうことを内示したとすれば、捜査をしておつた当時の捜査関係の者に、私が聞かなければそれは分らん筈です。ところが聞いた者がない筈です。私がそういうことを聞いたという人は恐らくないだろう。私はないのです。若し私がそういうものを取りに来て、情報を提供したという人があつたとするならば、私がそいつを調べたかも知れません。そういう人はないと思います。
私が若しそういうことを内示したとすれば、捜査をしておつた当時の捜査関係の者に、私が聞かなければそれは分らん筈です。ところが聞いた者がない筈です。私がそういうことを聞いたという人は恐らくないだろう。私はないのです。若し私がそういうものを取りに来て、情報を提供したという人があつたとするならば、私がそいつを調べたかも知れません。そういう人はないと思います。
それならば、私が誰かにその……私は小切手か何か知りませんよ、知りませんが、小切手の問題と、何かの何百万円とかの問題だということとを私が知つたとすれば、私が誰かからそれを聞いておらねばならん筈ですが……、私が聞いたという者がありましようか。私は、そういう警察官の一つの限界があります、やるべきことと、なすべからざることとの限界がはつきりしております、予め……。
併し、それは或いは昭電側で私らをいわゆる情報網として活用したか知りませんが、私は活用されていないという自信を持つております。
その紹介の関係は大体そうですが、その中で塩谷さんを紹介したというのが、佐藤君がそういう供述をしておるとすれば、佐藤君の記憶違いじやないかと思います。
そうです。
これはどういう関係で自警会の商人になつたかは、その経過は知りませんが、一番最初は何か、ちよつと私は記憶ありませんが、何か纖維品の格安のものがあるというので、これを、警視庁の職員も戰争半ばから戰後にかけて非常に苦しんでおる、生活も非常に苦しいから格安のものであるとすれば、これを職員に安く売つたらどうだろう、一般職員も若干でも助かるのじやないかという話がたまたま佐藤君と私の間にありまして、それは非常に結構だ、そうすれば幾ら、幾らといつても警察官が救われるということは誠に結構なことだから、是非一つそういうような努力をして欲しいというので、私は上野藤五郎君が当時警務課の主計係の警部で自警会関係をやつておられたので、私はその人に一応口をきいて
はあ。
はあ。
私は当初紹介されてしばしば会つて話を聞いておりましたが、非常に若いけれども、可なりすつきりしたスポーツマンらしい性格だと私は非常に好もしく感じておつたのです。殊に、商売のことにつきましては我々は全然分かりませんが、何と申しますか、由来少々金を儲けたりするととかく政治的な野心を持つたり人々はしたがるものでありますが、そういう野心がなくて、スポーツマン的な気持から当時の社会情勢を非常に心配しておる、日本の再建について非常に心から憂えておるというような、すつきりした日本人らしい気持に私は盡く信頼を持ち続けておるのであります。況んやその当時、彼が行く行く涜職事件に関與したり、或いは詐欺を犯すだろうというような予想などはもとよりしておらんので
いや、それを私は知らなかつたのです。
私は遺憾ながらその点を疑つておらなかつたのです。
私は当時疑つておりませんでした。
併し私自身はそう大して佐藤君あたりがどう利用しようとしてもそう大して利用価値のある存在ではなかつたんです。
或いは結果的に、そうおつしやれば結論的にはそういう結果になるかも知れないが、私は当時はそういうような佐藤に対して疑いを持つておりませんでした。
その御意見はよく分ります。
上村健太郎さん、この方は戦時中官房主事をしておられまして、私はその官房主事の下に情報課員でおつた関係で存じ上げておるのであります。
官房長官ですか。全然関係はありません。
ありません。
二十四年何月でございますか。
秋でございますか。