文部省といたしましては、公立学校の校長と教員、あるいは教員と生徒の関係を特別権力関係とはとらえておりません。
文部省といたしましては、公立学校の校長と教員、あるいは教員と生徒の関係を特別権力関係とはとらえておりません。
これはたびたび同じことを御答弁申し上げておりますので、ごく手短にお答え申し上げます。 入学式や卒業式における国旗・国歌の指導は、国旗・国歌の指導を行うのに最もふさわしい入学式や卒業式の意義を踏まえまして国旗を掲揚し、国歌を斉唱するものとしているもので、このことは児童生徒の内心にまで立ち入って強制するということではございません。
私は、教育というのは根本的に先生と児童生徒の信頼関係であり、またそれを生み出すのは先生方同士の信頼関係だと思っています。ですから、職務命令というのは最後のことでありまして、その前に、先生がおっしゃられましたようなさまざまな努力ということはしていかなきゃならないと思っています。 ただ、先ほどもおっしゃられたように、極めて難しい問題に入っていったときに最終的にはやむを得ないことがあるかもしれませんが、それに至るまでは校長先生も、また現場の先生方もよくお話し合いをしていただきたいと思っています。
今、局長がお答え申し上げたとおりでございますが、やっぱり教育の現場というのは信頼関係でございますので、とことんきちっと話し合いをされて、処分であるとかそういうものはもう本当に最終段階、万やむを得ないときというふうに考えております。このことは国旗・国歌が法制化されたときにも全く同じ考えでございます。
入学式や卒業式で国旗・国歌ということはどうしてかと申しますと、学校生活における有意義な変化や折り目をつける、そういう場合に、厳粛で清新で、そしてまた、私はよく申し上げますけれども、子供たちの入学や卒業をみんなで祝うというふうな気持ちで、そういう雰囲気の中で新しい生活の展開への動機づけを行う、こういう必要性があると思います。これが入学式や卒業式の目的であると思いますが、そういうところで国旗や国歌を上げたり斉唱するというふうな一つのモラルを身につける非常にいいチャンスだと思っている次第でございます。
まず、学習指導要領では、小学校、中学校、高等学校のいずれの段階におきましても、国語の授業において国旗・国歌の指導を義務づけているものではございません。高等学校等において古典の教材として指導する場合におきましては、当然に、古典の文法解釈というふうなこと、そしてその古典の時代の解釈などについて教えるものだと思います。 しかし、国歌の指導に当たりましては、社会科と音楽の指導が相まって、小学校卒業までに、今回の法案の審議等に際して示されました君が代の解釈、繰り返して申し上げますと、「日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり、君が代の歌詞も、そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したもの」との政府
私は、教育の上で、たびたび申し上げますように、古典的な短歌としての、当時は和歌と言うんでしょう、古典的な和歌としての意味は国語の時間などできちっと教えていく、しかし、現在の法案が通ったところでは、国歌というものの意義というものをこういうふうに政府は考えているということは、これはやはりきちっと皆さんにお教えすべきだと考えているわけでございます。決して強制ではないということを申し上げておきます。
やはり指導ということは教え導くということだと思っています。強制というのは無理強いをするということですね。そこに違いがあると思います。 今の御指摘の、学校において学習指導要領に基づいて具体的な教育課程を編成して、適切な教材を用いて児童生徒に必要な教育内容を教えることになっておりまして、児童生徒に必要な事項を教え指導することは、これは教え導くという形でやるわけでございまして、通常の指導方法で行われる場合にはいわゆる強制はないと私は信じております。 なお、いろいろな問題で勉強したくないというふうな子供には、やっぱりある程度厳しく教えていかなきゃならないと思います。私の経験ですと、難しいことはとても嫌がります。そういうときにはやはり
御指摘のとおり、幼児期の、そのもう一つ前の乳幼児期と言った方がよろしいかと思いますけれども、その時期での家庭教育というのは極めて重要であると思っております。 具体的に言えば、倫理観であるとか自制心であるとか自立心、こういうふうな、我々生きる力ということをよく言っておりますけれども、生きる力の基本的なものを育成するのはまさにこの乳幼児期だと思っております。そして、心身ともに健全な子供が育っていくということは日本の国のために大変重要なことでありまして、その上での家庭の果たす役割は極めて重要だと思っております。 ですから、教育において、単に学校にすべてを任せればいいという考え方はもう古いわけでありまして、家庭と学校とそして地域社会
先生御指摘のとおりでありまして、私も、日本の情報教育がいささかおくれをとったことに対して大変心配をいたしております。 しかしながら、日本じゅうの小中高等学校のインターネットの完成はもうすぐでございますし、また、平成十四年度から新しい学習指導要領のもとで新設されます総合的な学習の時間などを使いまして、積極的に情報について、各学科の学習においてもコンピューターを活用したり、まさに先生のおっしゃられた、単にハードウエアが使えるというのじゃなくて、それを使いこなし自分のものにしていく、そしてまた、新しいソフトをつくり出していくような創造性のある人々を育成すべく検討を進めているところでございます。 まだまだ不十分でありますけれども、そ
今御指摘のとおりでございまして、平成十一年三月末現在で、インターネットは三五・六%ということでございます。平成十三年度までにはすべての公立学校がインターネットに接続できるよう計画的な整備を進めているところでありまして、最大限の努力をさせていただきたいと思っています。 それからもう一つは、やはりパソコンをもっと充実すべきだということは事実でございますので、これも最大限の努力をしていきたいと思っています。 ただ、もう一つ大問題が実はあります。教える先生ということでございまして、こういうことで、情報を教えられる先生たちの育成をさらに図っていかなければならないと思っております。
御指摘のことにつきましては、社会人を積極的に非常勤講師あるいはそれ以外のやり方で先生としてお迎えすることが既にできるようになっておりますので、そういうさまざまな方法を使って、情報についての教育を進めてまいりたいと思っております。
私も、じっくりと自分の人生を考えるという時間を子供たちに持たすべきだと思っております。しかし、学校の使命の一つは、やはり知識を与え、あるいは体育というふうな技術を学ぶということも重要な役割であります。しかし、今おっしゃられたような点でも努力をいたしておりまして、特に新しい学習指導要領におきましては、人間としての生き方の指導について一層の充実を図るという観点をとっております。 いろいろな例がございますけれども、一、二、極めて重要であろうかと思うことについて申し上げますと、まず第一に、先ほども申し上げました総合的な学習の時間というところで、自分の生き方を考えることができるようにするということを示している次第であります。ですから、その
大学の入学試験というのは、非常にさまざまな問題を起こしているということは重々認識いたしております。 いろいろ大学も工夫をしているのですが、例えば、私は東京大学で、私の前任者が文科系に対して英語のヒアリングを課すということを決めて成功いたしましたので、理科系にも入れようといって私入れました。しかし、その入れようと決める前に、既にいろいろな塾ではヒアリングの勉強をし始めるというふうになりまして、いろいろ工夫をする、偏差値というものは考慮してないんだと言っても、皆さん非常に偏差値を重要視されるというわけで、率直なところ、私は入学試験をどうしたらいいのかわかりませんので、今苦労しているところでございます。中央教育審議会にお願いをいたしま
教育というものが学校だけに閉じられるものではないということを私も重々認識しております。やはり家庭及び地域社会と大いに協力をして進めていかなければならない、そういう点で、今先生の御指摘の、社会に開かなければならないと思っております。 特に、昨年九月に提出されました中央教育審議会答申においても、学校が地域住民の信頼にこたえ、家庭や地域が連携協力して教育活動を展開するためには、学校を開かれたものとすることが必要であると指摘しているところでございます。 したがいまして、文部省といたしましても、昨年十二月に告示されました新しい学習指導要領において、開かれた学校づくりを進めるため、地域や学校の実態等に応じ、家庭や地域社会との連携を深める
子供たちあるいは大学の学生、そういう人たちがどんどん自分の意見を言えるようになることは必要だと思っていますが、訓練しなければならない。 しかし、私は、この一月の十日でありますが、NHKで子供さんたちと討論会をいたしましたけれども、非常にはっきり言う人がいますね。安心しました。私がたじたじとした。それからまた、あちらこちらで子供の科学の実験などでお話をし、質問を受けます。非常にはっきり自分の意見を言います。そういう意味で、私は、今の子供たちが自分の意見が言えないということはないと思う。そういう点で、さらにそれを育てていく必要があると思います。 先ほど太田長官御指摘のように、日本人はやはり討論がうまくないというふうなことがありま
私は、子供たちがもっと本を読むようになることを大いに期待いたしておりますので、そういう点で、子ども読書年の構想につきましては、関係省庁と連携協力いたしまして、文部省としても最大限の力を出していきたいと思っています。 ただ、私は、大人がもっと本を読む運動をしたいと思っています。大人の読書年を提案したいぐらいです。
お答えいたします前に一つニュースを御報告いたします。 今、岩手県で全国高校総合体育大会が行われております。先日私も開会式に参った次第でございますが、高校総体と言われているものであります。そこの重量挙げ九十四キロ級で五日、札幌市の北海道朝鮮高級学校二年の朴徳貴選手が、非常にいい成績で、すべての競技を通じて初の優勝者であったという報告を受けましたので、これを御報告しておきましょう。 さて、今御質問の大阪朝鮮高級学校のサッカーの善戦でございますが、私は大変いいことだと思っております。 一昨日、八月三日に行われました全国高校総体サッカー競技において、外国人学校として初めて高校総体の団体競技への出場を果たしました大阪朝鮮高級学校が
私が東京大学におりましたころ、この文部省の考え方を極めてしっかりと認識していたわけではなかったかもしらないのですけれども、ただ、その際において、大体東大の大学院というのは各系に任せてあるものですから、最終的な責任はもちろん総長としてとります、そして報告は受けましたけれども、あれは法律系だったと思いますが、そこで判断をされたことを私は認めた覚えがあります。 ただ、そのときに私が考えましたことは、テンプル大学というのはアメリカの方ではぴしっと認められた大学である、本校が非常にしっかりしているというふうなことも法律系の大学院で判断の基準にとった、基礎にとった考えだったと思います。これは私も認めておりました。 しかし、その後、文部省
大学院と大学はやはりかなり違いがあると思うのですね。なぜかというと、原理的には大学院は大学から来るわけです、もちろん社会人も入れるようになっているわけですけれども。 大学というのは、もうそこの教育の内容というのはその大学に任されている。ですから、それぞれ大学が随分違う教育をしてもいいわけですね。ですから、随分違う教育を受けてきた人が大学院を受ける。だから、大学院でそれぞれの人の持っている力がどのぐらいかということを調べればいいわけです。 そういう意味で、大学院は今回御承知のような方策をとることにいたしましたけれども、高等学校は、やはり国として、こういうふうにやってくださいという学習指導要領に基づいて教育をしてもらっているわけ