それには必ずしも自衛権の発動と見なくてもよかろうと思つております。
それには必ずしも自衛権の発動と見なくてもよかろうと思つております。
一種の正当防衛権であります。
それだから先刻申上げておる通り、自衛隊というのは、急迫外部からの不当侵略に対処し得ると同時に、我が国民の生命と財産を守つて行こうということなのであります。
昨日私の申したことは、戦艦なんかを借入れるという意図はないと申上げたんであります。小型の航空母艦等については借受けられれば借受けたい、こう申したのであります。
必ずしもアメリカの補充部隊とは申すことはできません。日本がやはり独自で以て計画を立てて行くのであります。併し場合によつてはアメリカと共同で行動をする場合もあり得るということは我々も考えております。
そうじやありません。やはり船隊、今でも船隊群と言つております。それの行動はやはり一つの編隊を作つておるのであります。現にこの間の北海道災害のときにおいても編隊軍があちらへ参つたのであります。
必ずしもそうは申すことはできません。日本にいてそういう不当な侵略行為があつた場合に、その侵略の実勢如何によるわけであります。我が現有の海上部隊だけでもこれを処置し得る場合もあり得ると我々は考えております。
日本の海上自衛隊に関しては、アメリカから何らの掣肘を受けません。又訓練についても日本独自でやつておるわけであります。顧問団につきましても、決して顧問団がかような点にタッチすることは絶対にないわけであります。
これは船に搭載されておりまする新らしい兵器などについての指導を受けたりすることはあり得ると考えます。併し船の行動その他について指揮監督等を受けるというよなことは絶対にありません。
兵器その他の操作についてアドヴアイスを受けることはあり得ると考えております。
これは私が言い間違えたかも知れません。間違つておつたら訂正いたします。八千六百というのは空のことで、海のほうは六千です。
或いは私が言い間違つておつたかも知れません。
これはまだ確定したものでは全然ないのでございます。ただ三十年度においてどれくらいのことを考えているかという御質問でありましたから、大体そのくらいの程度のことは考えているということを人数で申上げたわけであります。その船の種類、隻数等については何らまだ考えておりません。
大体二万トン程度のことを考えたのであります。
増加分でございます。
申すまでもなく、自衛隊員は先ず第一に自衛隊の趣旨目的というものを十分に把握させる必要があろうと考えております。それは即ち我が国の平和と独立を守るんであるということを常に自覚させる必要がありと考えます。これが根本であります。我が国が平和に、而も国民がおのおの友愛の精神に満ちて、本当に日本の豊かな国を作りあげるんだというその自覚が何よりも必要であろうと考えております。それと同時に、隊員というものは一致協力しなければならん、一致団結ということか一番必要だろうと考えております。その一致団結の下に、初めて本当の友愛の精神も湧上つて来るのでありますから、これを目標といたしております。それと同時に、規律の厳正なることを必要とするのであります。規律
従来旧軍隊においては天皇陛下のために死ねという教育がされたように承わつております。併し私は死ぬということは、これはよほど考えなくちやならない。どこまでも生き延びてそうして自分の与えられたる責任を遂行しろということでなければならんと考えております。人間の生命ほど大事な点はありません。戦さに当つてやたらに死なれては困るのであります。どこまでも生き延びて、そして自分の与えられたる責任を完遂しろ、この精神を私は養わなければならん、私はこう考えております。そこで根本は、自分らはこの愛する国のために守るのだ、この気持であります。これは平たく言えば、愛国の精神とも言えるでありましよう。少くとも三千年来我々の血を引いた祖先の墳墓であるこの国の平和と
根本観念が変るか変らないかは別問題といたしまして、我々は軽々しく死ねというようなことは断じてとらないのでございます。どこまでも使命を全うする、自分の責任を完遂する、即ち我が国土の防衛に当るということであつて欲しいと思う。
これは御承知の通り、自衛隊で参りますと、現在の保安隊よりも余ほど性格も異にいたしまするし、又特殊の訓練もしなければならんのでありますから、それらの面から考えまして、将来自衛隊のためにふさわしい教育を施す、その教育について総合的に計画を立てて行くことが必要ではないかということで、ここに一つ入れたわけでございます。
根本の方針は先刻申し上げました通りであります。それを更に下部にどういうふうに徹底せしめるかについての種々の方法はありましよう。もとより民主的に我我はものを考えなくちやならんのであります。自衛隊にしても、よくそれらの点を把握せしめる必要はあろうと存じます。一に教育の力に待たなければならんということはもとよりであります。その意味において、教育局を新たに設けて指導、訓練の方針をここできめさせようと、こういうのであります。