村上正邦でございます。
村上正邦でございます。
証言をさせていただきます。 ただいま冒頭に委員長のお話がございましたように、この一連の問題は大きく深く国民の皆様方に政治に対する不信感というものが、この抱かしめたということのその責任、国政を混乱さしめた、そしてまた、私が籍を置きました参議院の皆さん、国民の信を問うところの七月の選挙を指呼の間に迎えて、私は私の政治責任をいかにしてとるべきかということを考え続けてまいりました。 過ぐる二十二日の日でございましたが、辞職の直接の私が決断をいたしましたのは地検からの連絡でございました。きょう、あす、ちょっと事情を聞かせていただきたいという連絡を受けました。私は、電話でそのときに、被疑者としての事情聴取でございますかとお尋ねいたしまし
私は、一日も早いこのKSD問題の解明、そして終結のために私がお役に立つことがあれば、そう思いまして、この証人喚問には要請があれば進んでお受けさしていただきますと、そういう決意を述べさしていただいたところでございます。委員長……
それでよろしゅうございますか。
今日、きょう、この立場におきまして、先ほども言いましたように、二十二日に被疑者として当局からの事情聴取を受けました。 今、委員長のお尋ねでございますが、この取り調べを受けました事実関係、新聞に報道されておりまする訴追のおそれのある問題、そしてまた、私の二親等姻族に訴追の及ぶ場合において、証言をお許しをいただかなければならないことについて、どうぞひとつ委員長、御理解を賜りたいと思います。 その委員長の今の尋問に対しまして、その訴追のおそれがあると、私はこう思いますので、お控えさせていただきたいと思います。
もう毎日、連日、新聞、もうけさあたりの新聞は、きょうにでも私は逮捕されるんではないのか、このような異常な雰囲気の中でこの証人喚問が行われているというこの事実。そして、その訴追を受ける、新聞報道、収賄、受託収賄という、もう明らかにそうした罪名まで書かれての今日のこの尋問、この証人喚問でございます。 そうしたことからいけば、私は、どうかこの、直接的に訴追を受ける御尋問の内容については、どうかひとつ、冒頭より委員長にお願いをいたしますが、十分ひとつそこらあたりのことについては御理解を賜りたいと、こう思います。
この丸抱えということにつきまして、私は、比例選挙、平成四年と平成十年の選挙を戦ってまいりました。 平成四年においては、自民党は当時二万の党員の、ノミネートされます条件がございました。私は、KSD以外で十万人の党員をいただいて、そしてKSD以外の後援会名簿も四百三十名の名簿をいただいておりますが、その中で、百万はマイナスいたしまして、三百二十万のKSD以外の署名をいただきました。これは平成四年であります。 平成十年におきましては七万の党員、これはKSD外の党員でございます。そして三十万の、三百万の、失礼しました、三百万。四年のときの後援会は三百三十万。十年の後援会は三百万のKSD以外の署名をいただいております。 十分私が選
まさしく、新聞報道等々、また事情聴取の中で、ものつくり大学について、この一番訴追の大きな、この点かと思います。 そうした意味からいって、委員長、大変申しわけございませんが、証言は控えさせていただきたいと。
古関前KSD理事長とは、平成の二年だったと思います。これも私は記憶が定かでございませんでしたが、今回のこの事件、一連の事件でいろいろと調査をいたしましてお聞きしますと、平成二年の暮れに、前議員でありました小山議員、当時私の秘書でございましたので、この秘書が、小山さんが、中小企業に非常に熱心な方がいらっしゃるので、議員が一つの政治テーマとしている中小企業の育成発展のために、古関さんといろいろお目にかかれば有意義なこのお話が聞けるんではないだろうかと、こういうお話でございまして、お目にかかったのが最初でございます。 よろしいですか。
断腸の思いでおります。 この問題が報道されまして、ちょうど十月ごろでございましたか、私は、私のやはり自由民主党の諸君ということもありますが、参議院全体のことを考えまして、恭順の意を表して日々送ってまいりました、身を切られるような思いで毎日。そうした中で年を越し、青木幹事長とも、参議院選挙を目の前にして陣頭で指揮のとれない会長という、そういう会長でいいだろうかという相談をさせていただきまして、私の会長辞任を御了解をいただいたのもその一つでございます。 そしてまた、議員を辞職するというこのことについてもそうした私の、本当に苦しい苦しい戦いを、国民の前に立って何を言ってもまずKSDの問題はどうするんだと言われたときに立ち往生してお
小山前議員、非常に有能な、私の秘書時代は私を支えていただきました。私も、もともと秘書経験から議員になった者であります。ですから私も、私の仕えていた先生が私を議員として育てていただいた、私はこの先生に対して御恩返しするということになれば、私も自分の、仕えてくれた、有能な国会議員としての素質があるならば、同じように議員に育てていくことが、私が育てていただいた先生に対する私は御恩返しだと、そういう思いで村上、小山という関係はございました。 非常に御承知のように有能な、当時、斎藤十朗会長は、山本富雄亡き先生が幹事長のときに、平成七年の選挙に、平成六年のときでございました。小山さんは優秀じゃないかと、小山さんを出したらどうだという御進言が
KSD、これは豊政連というところで党員等々の作業は、作業というよりそういう党員獲得については豊明会で、豊明議連でおやりになられた、豊政連でおやりになられたことだと思っておりますが、その中身について私たちは一々承知するところではございませんでした。 私がこの豊政連がつくりました党員について幽霊党員だとかいろいろ知り得ましたのは、ちょうど小渕、加藤、山崎、三者が総裁選を争われましたときに、終わった後に一部写真週刊誌等で幽霊党員が群馬で云々という記事が出まして、初めて私はそこでそういうことについて知り得たと。しかし、それにしてもそんなに報道されておるような状態であったということはそのときにおいてもまだ存じなかったと、こういうことでござ
委員も御承知のように、代表質問というのは、我が党の代表質問というのは、草案が練られる、草案を練られる段階は、私は代表質問をさせていただきます場合には、多くの議員の皆さん、それからまたマスコミの方たちにも御意見をお聞きし、学者の方々にもいろいろ意見を聞きながら、我が党の政審のスタッフの皆さんにも加わっていただいて議論をし、草案をつくって、そしてでき上がったところで執行部会でこれをお諮りして、そして代表質問、党の代表質問としてこれを本会議場で国民に発信をしていくという、そうした姿が代表質問だと思っております。 KSDの問題につきまして、そういうあれがあったのかと、こういうこのKSDと代表者、代表質問との問題につきましても、これは後々
ちょっと待ってくださいませ、委員長。
はい、わかりました。 そういうことで、このものつくり大学の重要さということと、ものつくり大学の本質というものと今回の事件とを私はきちっとこの区分けをさせていただきまして、この非常に今回の事件でものつくり大学に学ぶ人たちに悪いイメージを与えないように、何とかこの御理解を賜って……
お願いをしたい、こう思っております。
鴻池委員のおっしゃるとおりだと思います。
全くそのとおりでございます。 国民の皆さん、そしてKSD会員に入っている中小企業の皆さん、そしてものつくり大学、直接問題があるとするならば本当にこの、この大学を日本のために必要だと思って心血を注いでこられてきた皆さん、そしてこの大学へ入試をなさってこれからここへ学ぼうとなさる皆さんに対して、こういうこの問題が起こったというその一端の責任が私にあると、私はこう思っております。 しかし、私は、先生がおっしゃるように、何か犯罪者のような形で、その当時、「タンポポ」というこの、私は娘、明子という娘に贈った詩のこの一節でございますけれども、その気持ちはいささかも変わっておりません。私は犯罪者じゃございません。
相談させてください。
今の尋問に対しまして、訴追の、最初に申し上げましたようにおそれがございますので、控えさしていただきたいと思います。