内心の自由というのは心の中の話です。ですから、基本的人権として、個人が心の中にどのような思いをしようと、どういう信仰を持とうと、それは個人の基本的権利として保障されなければならぬ、これは当然の話だと思うんです。これは、客観的に見れば人間にはやっぱり強弱がありますから、したがって、今言われるように非常にもろいものになる場合もあるし、強いものになる場合もあると私は思います。 しかし、それは社会的に制度として、そういう個人の信仰の自由とか、これは内心のものですね、心のものを大切に守って保障していくということがある意味では社会的な責任であるし、あるいはまた政治の責任ではないかと、私はそういうふうに考えています。
