私、この御質問に対しては、元外務省に在職した者として、できればお答えを差し控えさせていただきたいと思います。これは非常に重要な問題であり、まさに今の外務省において判断していただきたいというふうに思っておりますので、ぜひ御理解を賜りたいと思います。
私、この御質問に対しては、元外務省に在職した者として、できればお答えを差し控えさせていただきたいと思います。これは非常に重要な問題であり、まさに今の外務省において判断していただきたいというふうに思っておりますので、ぜひ御理解を賜りたいと思います。
当時、条約局長として勤務しておりましたときの私の認識としましては、核の持ち込みはあり得た、あり得るというふうに思っております。 ただ、これはもちろん九一年以前の話でございまして、九一年以降はもうアメリカは艦船に核を積んでいないということをはっきりさせておりましたので。しかし、九一年以前の状況に関しては、先ほど申し上げましたように、アメリカは、NCNDということで、艦船の上に核を載せているか、載せていないかは言わないと。その状況のもとで、載せているかもしれないという発言がアメリカ側の方から幾つか、ラロックを含めて出ていたわけであります。したがって、それはあり得る。 それに対して日本が、先ほどの万感の思いの点でございますけれども
外務省としてはという御質問でしたが、私が今申し上げているのは、条約局長として一年間勤務をしていた間の私の認識でございまして、私は、九一年以前、NCND政策のもとにすれば、それは持ち込みはあり得る話だというふうには思っておりました。
私は、先ほども申し上げましたけれども、これはアメリカ合衆国大統領それから日本国総理大臣としてのニクソンと佐藤総理が署名した文書であり、普通の国家間の、政府間のやりとりとしては、恐らくアメリカ側は何らかの形で引き継ぎがされていただろうというふうに思う種類の文書だというふうに、若泉先生の本が出たときも思いましたし、今もそう思っております。
まず、何でそのようなことになったかということに関しては、一切承知しておりません。佐藤総理が議事録に署名され、なおかつそれを御自宅の方にしか残されなかったということに関しても、一切私は事情を承知しておりません。
私が確実に申し上げられるのは、条約局長をしておりました間、外務大臣、総理大臣がこの問題についてどういう認識を持っておられたか、私がお仕えしたのは高村外務大臣でございますが、私の認識としては、高村大臣は御存じでおられたというふうに思っておりました。 ただ、それが、どなたがいつ大臣に御説明したかということについては、はっきりした知識は持っておりませんでした。しかし、外務省の幹部から説明がされていたというふうに私は思っておりました。
今手元にその文書を持っておりませんので、これは記憶で申し上げますが、松永条約局長の後、栗山条約局長、それから小和田条約局長、丹波条約局長、この残り三人の方々が、条約局長になる前、どの立場におられたかはちょっと記憶しておりませんが、ラロック発言とそれからライシャワー発言について、それぞれ意見書を書いて省内の議論に提出しておられました。 栗山元条約局長のメモというのは今回の有識者委員会の中から発表されておりますが、それ以外の、小和田元条約局長、それから丹波元条約局長がそれぞれの機会に、ラロックであったかライシャワーであったか、ちょっと今記憶しておりませんが、書いたメモも非常に印象に残るものでありました。いかにこの問題を乗り越えるべき
お答え申し上げます。 ちょっと申しわけないんですが、今すぐ出てきません。
私の記憶では、この諸先輩のメモの大筋は、非核二・五原則という方向でこの問題を収れんし、それをきちんと国民に説明すべきである、大筋そういう方向だったと思います。 しかし、それぞれのメモにおいてのニュアンスの問題がありまして、ですから、これはメモをもう一度読んでみたいというふうに私も切に思っていた次第であります。
まず、引き継ぎの形につきましては、後任の条約局長でありました谷内局長には、その五つの箱と、それからその七ページの文書を引き継いだと記憶しております。その第一の箱の中の一番上に乗せて引き継いだ。 藤崎局長に関しましては、その七ページの文書だけを封筒に入れて、しかるべき形で送付した。したがって、文書そのものは藤崎局長には引き継いでおりません。 それから、番号等は一切とっておりません。
個人的な書類というのは当たらないと思います。 しかし、累次御説明しましたように、これは、条約局長室の中に先輩の条約局長の方々が残し、それから私も若干それに加えた、そういう条約局長室の中に残っていた書類であり、そういうものとして後任の条約局長に引き継げば、それを見て十分彼はその文書の内容、重みというものを判断して、きちんと対処してくれるだろうというふうに思っておりましたので、文書番号をとるということは全く考えませんでした。
存在しております。
船に載った核兵器をNCNDのもとに、実際問題、アメリカが日本の港に持ち込んでいることもあり得るという点を申し上げました。
持ち込みはイントロダクションという言葉が使われていたと記憶しております。それから、寄港、これは私の今の記憶ではポートエントリーであったのではないかと思います。それ以外に、通過、トランジットという言葉が使われておりました。
この辺は、ちょっと記憶で申し上げますが、過去の国会答弁等で、トランジットというのが、無害通航という形で本当に領海の中をさっとかすめて通っていくのか、それとも、領海の中に入って、しばらくの間、しばし遊よくしてそのまま出ていくというのがトランジットなのか、そういう点について国会の中でいろいろ議論があったというふうに記憶しております。 したがって、通過というものがそもそも何なのか。先ほど斉藤参考人の方から、三木大臣のときにその通過についての定義が変わったという話がありましたけれども、まさに、その通過、すなわちトランジットが何かということ自体が過去の経緯での大きな問題の一つになっていたように記憶しております。
私もないと思っております。
私は、冒頭の十分陳述の最後に申し上げましたが、確かにアメリカはNCND政策は変えていない、他方、現状においては艦船の上の核兵器というのは積んでいない、これが昨年の五月から私がもう一回勉強し直したまさに現状でございます。そうであるならば、日本が非核三原則ということを日本の政策として堅持、打ち出していても、実質的に日米間の安全保障上の問題は生じないというのが現時点の私の認識であります。 そうであるならば、非核三原則というものを堅持しているというのは一つの政治判断だと思いますが、まさに委員御指摘のように、それでは、現在の東アジア、太平洋における安全保障環境というのが変わって、実際、アメリカの船の上に核兵器がまた積まれ得るような事態が起
小和田メモも、丹波メモも、それから今回公表されました栗山メモも、ラロック発言それからライシャワー発言という、当時非常に大きなインパクトを持って受け入れられた発言が出た後に、この問題をどうしたらいいかということについて必死になって考えたメモでありました。そのことは、私、鮮明に記憶しております。ただ、基本的にはそのファイルを整理しながらざあっと読み込んでいっただけの作業でありますので、正確な内容は記憶しておりません。 ただ、ライシャワー発言、それからその前のラロック発言、いずれについても、外務省の事務当局が、もうこの問題について国民にうそをつきたくない、そのためにどうしたらいいかということの方向性としては、これは非核二・五原則という
今、メモで申しましたのは、六八年の北米局長がつくったメモで、この問題については、それぞれ政治的、軍事的に動きのつかない問題であり、さればこそ米側も我が方も深追いせずという考え方が固まった後の話でございます。 今の御質問は、六〇年安保改定のときに何が起きたのかという点でございまして、この点については、この東郷北米局長の六八年一月二十七日付のメモで、「安保条約改定交渉、特に事前協議条項に関する交渉を通じ、我方は総ての「持込み」(イントロダクション)は事前協議の対象であるとの立場をとり、艦船航空機の「一時的立寄り」について特に議論した記録も記憶もない。」というふうに書いております。 私は、条約局長として当時これを読みまして、東郷北
資料を整理して引き継いだ後は、どなたとも話をしていないと思います。 ただ、さっき申し上げましたように、若干、こういう思いを持って資料をつくったよという話は、引き継ぎとして後任の条約局長にはいたしたと思っております。 しかし、その資料をつくる過程で、一年間条約局長として勤務している間に、この問題について若干の話は同僚の者とした記憶はあります。