そのように御理解いただいてよろしいと思います。
そのように御理解いただいてよろしいと思います。
少なくとも、今確実に申し上げられるのは、前任者からの一束の資料を引き継ぎまして、それを整理した。整理していく過程の中で、はっきり、討議の記録という文書があったということを認識しました。
倉成大臣にこの点についてどういうブリーフィングをされたかということについては、私、全く記憶がありません。今から推測するに、このブリーフィングは、当時の柳谷次官から大臣に行われ、私はその席にはいなかったと思います。
累次申し上げておりますように、この問題については、実際に起きていることと、それから政府が説明してきたことの間にギャップができてきたというふうに当時も思っておりました。そして、そのギャップのできてきた経緯の中で、日米間で取り交わされた討議の記録という文書がある、その文書の解釈、その文書の位置づけによって、この問題がどういう問題であるかということが明らかになる、交渉上、そういう意味を持っている文書だったというふうに理解していたと思います。
この文書が安保条約の改定交渉のときにつくられたほかの文書とどういう位置関係にあるかということに関しては、私は特段の意見を形成しませんでした。こういう文書がある、その文書が、先ほど申し上げたように、核兵器の日本への搬入に関連のある重要な文書だったという認識はありましたが、今御質問のありましたように、条約の本体、交換公文等とどういう位置関係にあるかということは、特段の意見を形成しませんでした。
私の整理しました第一の箱の中に、この討議の記録のコピーというものはありました。ただ、先ほども申し上げましたが、その署名欄に何が書いてあったかということについては記憶がございません。
当然、安保条約の本体、それからそれと一緒に署名された交換公文があったことは承知していたと思います。 それから、今の討議の記録という文書があったということも、累次申し上げたように認識しておりましたが、全体としてどういう位置づけを持っているかということに関しては、その段階でそれ以上の研究はいたしませんでした。
そういうものはあったかもしれませんが、私のところにありました、条約局長室の中に残っておりました文書の中には、そういうリストはありませんでした。
外務省で、安保条約に関連するすべての原資料、ただし条約の署名本書を除きますが、それ以外のすべての資料というのは、北米局に所管されます。条約局にある資料は、それのコピーでございます。 条約局長室の中には、さらにそのうちの一部が残されたということでございますので、条約局長室の中にその文書がなかったということは、条約の交渉全体のファイルになかったということを全く意味しません。北米局の中に、今回の調査で調べられた膨大なファイルがあったと聞いております。その中にそういうものがあるとすれば、当然残っているべきものだと思います。
合意文書の意味でございますが、国際法上の権利義務関係を設定する約束としての合意文書という御質問であれば、必ずしもそういうことにはならないと思います。しかし、交渉の過程で、双方の考えるところを記録として残した、その記録として残す内容については意見の一致があるという意味であれば、合意文書というふうに申し上げてよろしいと思います。
今申し上げたような意味であれば、そういうふうに御理解をいただいてよろしいと思います。
私は、今回発表されましたメモの第一ページ目にいろいろな書き込みのないものを条約局長室で読んだ記憶があります。書き込みがあるものについては、今回、資料が発表されまして初めて知りました。そのような形でこのメモが使われたということも、全く知りませんでした。
今回発表されたメモの第一ページを見まして、通常であれば、これは飛行機の中でどういう話し合いが行われたかということを記録したもので、その最後に、今後この問題についてはこういうふうに考えるべきではないかという北米局長の意見が記されているだけのものでございますので、そのメモが歴代の総理に対する説明の基礎になったということは、私、非常にびっくりいたしました。
その点につきましては、四ページのリストと一緒に、三ページの意見書を条約局長をやめるときに書きました。おおむね三つのレベルで考えるべきだと。 第一のレベルは、国会における質疑を何とか破綻がないようにするためには今後どういうふうにやっていったらいいかということについての若干の意見を書きました。けれども、いずれ、この討議の記録という文書の存在を含めて、もっと世の中にこの話が出てくる、そのときにこれまでの説明ではとても対応できない、したがって、六〇年に問題が起きたとき以来、日米間に認識の差があった、その認識の差があったという状況がそのまま続いてしまったんだという経緯をもっとわかりやすく説明すべきではないか、これが二番目の段階でありました
テープの取り扱いにつきましては、私、特に強い意見はないんですが、今回の有識者委員会全体の結論は、恐らくは、そのテープの存在をも念頭に置いて、当時の岸総理、藤山外務大臣、それから東郷安保課長、この問題についてのアメリカ側の考え方をある程度は知っていたのではないかという結論を出しておられます。その一つの根拠になっていたのではないかというふうに私は思っております。
今の竹内局長の答弁というのは、私、全く記憶しておりません。 基本的には、私の当時の認識は、従来の答弁を踏襲する。ただ、その踏襲する中で、できるだけうそのない答弁をしようという気持ちはありました。けれども、答弁の基本はもう固まっていて、それをそのまま踏襲するというのが私の記憶でございます。
今、小町局長からは、六〇年の対日覚書というのは領土交渉における成果ではない、こういう説明を申し上げたと理解しましたが、私もそのように考えております。
当時の事実関係についてお答え申し上げます。 小寺課長の人事は、通常の外務省の流れの中で決められたことでございます。それ以上のものはございませんでした。
お答え申し上げます。 三月の初めに、ロシア課長の交代の件につきましては小寺課長とお話をいたしました。三月の初めにお話をいたしました。
当然、外務省の官房の方、人事課長と話をして、その結果を局長としての私が課長と話をしたということでございます。