侵略というのは、どういうことですか。国連においても、この侵略ということはずいぶん問題になったように聞いておるのですが、侵略というものはどうですか。
侵略というのは、どういうことですか。国連においても、この侵略ということはずいぶん問題になったように聞いておるのですが、侵略というものはどうですか。
具体的に言うと、どういう場合ですか。具体的に列挙して下さい。
さっき侵略してくると言われたでしょう。だから、侵略というのは、国際法上も、また国連においてもいろいろな意見があるわけだから、侵略ということを言われる以上は、侵略とは何かということをはっきりしなければならぬ。
それじゃ、武力攻撃とは武力攻撃だと言うにひとしいような答弁ですから、少し先に進みますが、前からもしばしば、外務委員会でもそうだし、それから最近の委員会でも、このことを首相は答弁で言っておられるのですが、国連憲章五十一条でいっておる「武力攻撃」と同じものだ、こう理解していいでしょうか。
そうすると、国連憲章五十一条では、「イフ・アン・アームド・アタック・オカーズ・アゲインストア・メンバー・オブ・ザ・ユナイテッド・ネーションズ」、「武力攻撃が発生した場合」とあるのですね。ところが、今度の条約では、「いずれか一方に対する武力攻撃が……認め」というふうになっておるのですが、「発生した場合」というふうに限っていないわけです。字句上の点だけから申しますと、一体、それならば、武力攻撃の急迫した危険というものも含むと考えられるのかどうか。
そうすると、わざわざこの「発生した場合」というのを除いたのは、どういうわけでしょうか。
国連憲章五十一条では「武力攻撃が発生した場合」となっており、それから改定条約五条で、単に「武力攻撃」といっておるのと比較してみますると、国連憲章で「発生した場合」とやった方がより限定されていると、これは当然思わなければならないと思うのです。ところが、国連憲章でいう「発生した場合」と限定しておる規定でさえも、はたして、あなたの言われるように、現実に武力攻撃のあった場合に限定されるものかどうか、ここに実は疑問があるわけです。たとえば、学説上から見ても、マンチェスター大学のボーエット教授が一昨年書いた「国際法に於ける自衛権」、これは自衛権のことだけ扱った本ですが、この中でも——これは高橋さん、よく知っているでしょう、百九十一ページに次のよ
そうすると、今言うように、これは単なる武力攻撃ではなしに、発生した場合というふうに限定した規定でさえも、学説上も拡張解釈をする傾向にあり、裁判所もそれを拡張解釈をしておる。そういう傾向にあるときに、新条約の第五条の「武力攻撃」を狭く解釈できる証拠は一体どこにあるのですか。
そんなことを聞いているんじゃないですよ。「武力攻撃」という規定は、拡張解釈される危険があるでしょう、現に一ぱい出したじゃないですか。そうしてアメリカ自体も、シリアの政変を口実に—それは明らかに言えば予防戦争ですね。この武力攻撃を、急迫した危険という拡張解釈によってレバノンに出兵しておる事実がある。そういう拡張解釈をする国と日本が今度安保条約を結んでおるのだから、その安保条約の中の第五条で、武力攻撃の起こる危険の発生したとき、というふうに限定しないで、ただ「武力攻撃」と規定してあるその「武力攻撃」を、狭く解釈できる証拠がなければ、相手国はどんどん拡張解釈をしてくるおそれは十分にあると見なければならぬ。もしも、それがないというならば、こ
当時のレバノンの政府の要請とか、そういう経過はどうであろうと、とにかく、当時は、アメリカが五十一条の「武力攻撃」を拡張解釈して、ああいうふうに乗り出したということについては、国際世論は決してこのアメリカの行動を支持しておらない。それが一つ。 もう一つは、それでは別な例を引きますが、SEATO条約の付属了解事項の中に、こういうのがある。米国は武力攻撃とは共産主義者の侵略であると述べているのです。新条約にいう武力攻撃——ちゃんとSEATOの条約では、米国は武力攻撃とは共産主義者の侵略だというふうな規定をしておる。新条約にいうこの武力攻撃についても、相手の米国側のレバノンの例を見ても、それから今のいろいろな学説、国連におけるいろいろな
では伺いますが、たとえば領空侵犯、こういう場合はどうなります。
それでは、たとえば爆撃や銃撃、砲撃が加えられたというときには、これはもう完全に武力攻撃ですか。
計画的かどうかは判断することが問題になるし、計画的ということが、非常な大事な要素になるとするならば、たとえば日本攻撃のための相手国の飛行機が基地を飛び立った、その場合はどうですか。
それじゃ相手国の軍艦が日本の領海に入ってきたという場合はどうなりますか。
それじゃ侵犯する意思があるかどうかは、何によって判定するのですか。
そうすると、結局そのときの全般的な状況によって判断するほかない、こういうわけですか。
具体的な事実に基づいて、それぞれの状況に応じて判断するということになりますと、むしろここにまた危険が出てくるわけです。武力攻撃の内容を、結局は具体的には確定できないということですから、そうなりますと、他日これを拡大して解釈する余地は当然出てくるわけであります。いわゆるアメリカがとっておりますように認定にまかせるということになれば——具体的にきちっときめておけば——それはきめないのでしょう。きめてあるならば、それを言って下さい。どれとどれとどれ、どういう場合は武力攻撃だ、そういうことはやらないのでしょう、そのつどの認定にまかせるのでしょう。だから認定にまかせれば、拡張解釈がされるおそれがどうしても出てきます。なぜこれをしっこくあれしな
もう一つ伺いますが、それじゃこの五条にいう武力攻撃とはだれからのものですか。
この前の愛知委員だったか、石坂さんの質問だったかに答えられた中にも、しきりに岸さんは、外部からの武力攻撃だけを考えている、こういうふうなことを言われております。現行の安保条約の第一条では、ただ武力攻撃でなしに、外部からの武力攻撃と規定しているのですね。今度の安保条約第五条の武力攻撃は、これは外部からのだ、こう今答弁された。そうならば、現行条約と同じように、外部からの武力攻撃となぜしなかったか。
今まで外部からの武力攻撃とあったのを、わざわざこの外部を削除した。それは外部からの武力攻撃も内部からの武力攻撃も、両方含むと解すほかないじゃないですか。どうですか。わざわざとったのは……。