法務省が直接に調査されたということはあるんですか。
法務省が直接に調査されたということはあるんですか。
この事件が明るみに出てから刑務所もやむを得ず腰を上げて外部の捜査に協力するという形になったことはけっこうだと思います。昨年盗難事件がありましたのが一月十五日ということであります。姜旭生という人が死体で発見されたのはことしの一月。その間、外部から何者かが侵入してきたという事実がありながら、これを正規の検察あるいは警察等に連絡しないで伏せていたということをどうしてもこれは納得いかない。これはどういう事情によってそういうことになるか。刑務所の中の犯罪あるいは容疑というものはどこまでも刑務所の中で押えておくという何か伝統か習慣があるのですか。
まあ、そのときに問題用紙が盗まれたということ、これはなかなかわからないと思うのですけれども、しかし私たちしろうとから考えても、ガラスがこわれているとか、あるいは天井窓がどうかしているというようなことならば、そこが一番貴重なものを保管しておる倉庫なんですから、それは問題用紙が盗まれたのではないかということを気づくはずなんです。それは十万枚もあるという問題用紙ですから、一々数えることはできないことは当然ですけれども、その疑わしいという事実は確かにあったわけですが、それをそのときにはっきりしておけば、これは外部の警察の権限かもしれませんけれども、もう少し徹底的に刑務所側としても警察と連絡をとっていれば、ひょっとすると問題用紙が盗まれたので
まあどのように言われようとああいう失敗を、失態をしたということは、これはもう刑務所側としてもあるいは法務省側としても、国民に対して申しわけないことだと思います。すでに入学試験の問題集というものが名古屋あるいは京都で盗まれようとしたということもあるわけですから、どれだけそれが重要なものであるかということは認識してしかるべきだと思います。問題が起これば——たとえば金嬉老の事件であるとかあるいは松山刑務所の問題であるとか、そのときには矯正局長なりあるいはまた大臣なりがまことに申しわけないと、今後そういうことが起こらないようにということを言われるわけなんですけれども、しかし、何となく新聞などであるいは捜査当局から捜査の過程において、刑務所と
まあ大臣の御心配も了とするわけですけれども、事件もまだ中途のことであり、今後の発展状況に即して、さらに矯正当局に対する今後の見通しをお尋ねしたい。あるいは捜査当局にも来てもらって、そちらの側からも事件の真相を明らかにしたいと思っている。また重ねて大臣に質問することがありますが、事件が全貌とまでいかなくても、今後刑務所の中に発展するようなことがありましたら、大臣の重大な決意をお伺いしたいと思います。 きょうは私これでやめておきます。
さっきのガラスの話に戻ってまことに恐縮なんですけれども、普通の場合にはだれが——貴重品というか、特別に倉庫に置いておく重要な品だと思うのですけれども、普通の場合、その倉庫から出る人、最後に倉庫のかぎりをあけて、締めて外へ行く人は、どういう順序でやっているのですか。先ほどの説明を聞きますと、ガラスをこういうふうに斜めに切って手を入れてかぎをあけた、内からかぎは締めている——外には南京錠みたいなものがあるのでしょうけれども、その辺のところ、普通の場合にはどういうふうにして倉庫の責任を持っている人が締めて出ていくのか、そこのところを説明してください。
そうすると、大きなドアみたいなものでなくて、小さなガラス戸の、いわばねじ込みのかぎ、それをあけて、そこから入ったということなんですか。
どうもそこら辺のところに、亀田君も、中にも連絡をとっておる人があるのじゃないかという疑問が生じてくるわけです。窓からしのび込んだとしても、かぎを締めたということは先ほど報告になかったです、あけたということはありますけれども。そのかぎをまた締めて、金網はあったけれどもガラスはこわれていた、こういうことだろうと思うのですけれども、ガラスがあいて、金網が切れた、はずされたということはわからないにしても、内側にかけてあるかぎが、かけてあったのか、なかったのか、その辺のところがやはり問題だと思う。
いろいろと原論的な質疑がありまして、多少の進歩を見たという気がいたしますが、具体的な問題一、二をあげてこの公害罪法というものの適用が可能であるかどうか、またそれに伴う処罰というものが、はたして急速にできるものかどうかという点お伺いしたいと思うのであります。先ほど複合公害あるいは相乗公害といいますか、一つの工場では、別段人の健康あるいは生命、身体というものに対する障害はないかもしれないけれども、複合的に起った場合、あるいは相乗的に起った場合、はたしてこの公害罪法で処分ができるのかどうかということでありますが、先ほどお話を聞いておりますと、多少の進歩があったように思いますけれども、まだ十分に納得することができないのであります。 事例
先ほど共同犯というようなことが話題にのぼりましたけれども、四日市にいたしましても、川崎にいたしましても、別段企業側が公害を起こすために——謀議したということですが、一つ一つは基準を守っているわけであります。それは他の原因、たとえば、空中における媒体物とか、あるいは逆転層とかといったようなことで顕著に人間の生命、あるいは身体に対する障害を与えるということもありますから、もちろんその中で、たとえば一〇〇%有害物質を出したといっても、他の工場は別に共同謀議をして出しているわけではないのですから、ですから、一つの工場が出したからといって、他の工場も罰せられるという性格のものではないと思います。かつまた一つ一つが基準を守っている場合に、全体と
これは確かに明確で、その点私たたちが公害罪法案というものをここで審議してもその審議あるいは論議というものが全くむなしいものだということを感じます。多少とも四日市ぜんそくに対する何らの救済にならない。あるいは川崎、あるいは市原における同じようなケースに対して公害罪法というものは何の救済にもならない。全くこれは公害国会といわれましたけれどもそれらの人々に対して会社のいわゆる不法行為によって起こったとだれしも考えていることが、救済にも何にもならないということは、まことに残念なことですが、法律の体系なり、あるいは理念の上からいってそれはやむを得ないことであるというふうにお考えでしょうか。
これで四日市や川崎における気管支ぜんそくというものには、これはもう犯罪あるいは処罰の対象にならないということがはっきりわかりましたが、それでは、安中では、安中における東邦亜鉛のカドミウムによって、人間の生命にも、非常に重大な障害がある。土壌も、あるいはまた農作物も汚染されている。これはもう原因、結果ということは、これは疫学的あるいはケミカルな証明によらなければなりませんけれども、しかし学者の中には、確かに関係があると言っておる人もある。——そういう狭い地域で、そうして有害物質を排出する企業が単一である、こういうところでつかめない。
鉱業法なりあるいは鉱山保安法なりが働き出している、そういう場合に、この公害罪法というものが成立したとしても、現場の捜策あるいは検索、そういうことは、こちらがあとから出ていると、向こうが先に手をつけたということもあるでしょうけれども、まさか重複して処罰の対象になるというようなことはないでしょうね。
そうしますと、二つの法律が同時にというか、あと先はあっても、この法案の違反ということであれば、一方では別の法律が追及していても、重ねて問題にすることはできる、こういうことになりますか。
そこで問題は、一時に大量に出すということは、これはまあ間違いか、あるいは過失かということ以外にはちょっと考えられない。だれしもこれは企業の利潤を追及するというけれども、しかし、人命をそこねてもいいというほど大量に有害物質を出すということはほとんどなかろうと思う。神岡鉱山とイタイイタイ病の関係も、これは長年にわたって蓄積されたものであるというふうに言われております。新たに大量のカドミウムが流されたというふうには聞いておらない。 そうしますと、やはり少量であって、しかも、基準内の排出であるということでも、継続して長年にわたって排出されているということになれば、基準を守っても、やはり人体に障害があるという可能性が起こってくると思うので
それは、他の法律によって蓄積性の物質の排出、あるいはまた有害物質というものが相当程度人体に危険があるということが新しく科学的に証明でもされた場合には、基準を上げるというか、一定の基準以上の、いままでよりきびしくということはあり得ると思いますが、しかし、科学的な証明あるいは技術的な確認というものが同じような場合でも、相当長期にわたって人体あるいは土壌に蓄積されるということによって、人間の身体生命というものに影響があることは必然である。それでもこの法律によっては、ただ蓄積がある、土壌が汚染されたという程度ではつかむことはできないということですか。
安中では、指が曲がったり、というような人がいるそうでありますけれども、これは健康の障害、あるいは身体の障害ということもある、そういう身体的な障害が発生している。しかも、それは狭い地域に。常識的に言えば、それは東邦亜鉛の有害物質の排出ということに結びつかざるを得ない。そういう身体、指の故障が起きているというこの事実があっても、まだこの法律の適用ということはむずかしいということですか。
立証されればということですけれども、法律を発動させるということは、立証がなければできないことなんです。
魚——魚とおっしゃるのですが、たとえば多摩川でもどこでもよろしい。どこかの工場が故意あるいは過失によって大量の有毒物質を流した、そのために魚が死んだ。しかしそれは食べていけないと、こう言われるから食べませんけれども、中に食べる人がある。あなたは頻度ということを言われる。頻度ということが条件の一つであると、こうおっしゃる。食べていけないものをたまたま、もし沿岸の人が食べたとして、腹痛を起こす、あるいはまた下痢をやるというようなことは、全然これとは関係ないですか。
そうすると、その場合は、魚が浮き上がったとかいうことと何も関係ない。だれがそれを証明するんですか。