十七万一千五百のうち八七・八%が現在員、海の三万四千の中で九五・三%が現有、空の四万の中で九五・五%が現有。
十七万一千五百のうち八七・八%が現在員、海の三万四千の中で九五・三%が現有、空の四万の中で九五・五%が現有。
いま現在は二万四千人で、今回提案をいたしまして三万にしたいという実は定員法の改正をこの国会で提案をいたしております。それが通過いたしますと三万、現在は二万四千でございます。
直接侵略の内容は、これは想定できませんが、現在ある兵器を最大限活用して、大体一カ月間はその兵器が使用できる。減耗率を考えると、これはわかりませんが、一応補給としては、一カ月以上はこれで活動し得る、これはすべてのものが破壊されずに補給だけで申します。弾丸とか、あるいは諸種の部品の整備とか、最大一カ月以上は大体持てると私は思います。
日米の協定は、それについてはございません。いまのわれわれは、一カ月が三カ月、三カ月が六カ月、なるべく充実したいという方向で努力しておりますが、今日の現在の制度では、一カ月以上程度しかまだ整備ができていないということです。
中共の核装備、核兵器の開発ということは、アジアにおいていままで前例のないところであります。アジアのみならず、世界においてこれは非常な脅威とされております。まして身近なアジアにおけるその脅威は倍加するであろう、これが脅威の私は実態である。また、兵器を開発するということは、使う可能性を持つということであります。使う使わないは別として、使う可能性を持つ。逆に言うならばその可能性は受けるほうもあるわけです。私は、直ちに今日の問題で核戦争が起こるという感じは直接は持ちません。しかし、物心両面における脅威というものは、やはりこれは去らない。その意味において、その担当する防衛というのは、その物心の、ある意味においては物に対する対策というものを立て
核に対して、じゃどういう防衛を各国はしているか。これは諸外国では、核に対しては核でなければいけないという国もあります。また、その意味で開発された国が多いだろうと私は思います。一カ国が持つならばおれも持つのだ、かつてドゴール大統領はそういう演説をされたように私は記憶します。これも一つの核に対する核防御の自衛の一つの方法かもしれない。しかし日本の場合はその状況は当てはまりませんので、日本には核に向かって、核に対して防御するという方法はとれない。したがってそれ以外でどうしてとるか。今日は外務大臣が力説されている日米安保条約における抑止力、これも重要な場面、それだけでも日本の防衛は完全ではなかろう、みずからの国ですから。そこでどういう装備を
目下総体的には作業中であります。しかし一、二のものは、方向としてこうあるべきだという方向は出しているものもあります。しかし総体的な、総予算とかその内容とか、そういうものはまだおそらく二カ月ぐらいかかるのじゃないかと思います。
核の破壊力に対して、その核に対する、破壊力に対する核を持つということも一つの方法としてとられています。日本の場合はそれはとらないというと、核に向かってどうやってこれを対抗するかということは容易なもんじゃありません。世界じゅうその安定的なものは開発されておりません。しかし、ある意味においては核が飛んでくるんだから、その飛んでくる手前で飛んでくる核ミサイルを打ち落とせばいいじゃないかという研究もされているように私は聞いております。アンチ・ミサイル・ミサイルということばがときどき出るのはそういう思想とそういう戦術からだと思います。これも日本にとっては防衛——これは唯一の防衛の兵器である。もちろん核弾頭をつけているわけじゃありません。核弾頭
安保条約及びその基本精神、また今日までの安保条約下における日本の現状というものから推定して、私はそれを確信しております。
専門家のあなたにいろいろ申し上げるのはあれでしょうが、安保条約というのは、御承知のごとく、緊密な連絡、協議というのが前提になっております、日本に関する限りは。したがって、日本に関する限り、その行動というものは常に事前の協議、密接な連絡、これによって安保条約の基本的な運営がなされると私は思います。全部アメリカの言いなりというわけでは安保条約はない、そういう条約と私は信じております。
核に対しての相談とか、核に対する戦術というものを相談したことはありません。しかし、すべての場合、日本の安全と平和というものは、御承知のごとく、安保条約における条項——過去五年間引き続いてまいりまするならば、緊密な連絡と連携、また、アメリカの考えというのはおのずからわかってまいります。年に何回かは、御承知のごとく、会議を開いております。そういうすべての印象、問題というのは、この条約、条項に照らし、正確に、忠実に守って今日まできております。したがって、今後も同じ路線であるということを信ずるというのは、ただ条文、条約のみならず、その実行過程において私たちは守り得る、またそうあるべきであろう。核戦術についてはまだ話し合いをしたこともありませ
安保条約に明言してあります。 もう一つは、先般、佐藤さんのアメリカ訪問の際に、なお明細な確認をされて、いかなる攻撃に対しても守る。この二つのことがあるならば、おそらく今日、信じられる、またわれわれが信じていい最大の論拠じゃないかと、私は思います。これ以上疑う余地は、私はないと思います。
直接話し合いをして、その内容を私は聞いておりません。しかし、要するに、そのコミュニケというもの、両当事者が一致してそのコミュニケを出すということは、そのコミュニケを守る、また、お互いの意見が一致したからコミュニケに出したのだ。そのコミュニケを信ずること、これが一番正しいのじゃないか。その内容とか空気というものではありません。そこに明文がうたってあるならば、そのコミュニケというものは、両国において十分一致したというのがコミュニケではなかろうかと、私は思います。
安保条約の条文の中で、御承知のごとく、これは武力攻撃を受けた場合、あるいは固有の自衛権というのが前提でありますので、一般的に戦略、戦術というものには該当しない、自衛権の侵された場合、武力攻撃を受けた場合以外のものではないと私は思います。 したがって、世界の戦争に安保条約が関係するわけではない。日本の安全と平和が侵された場合、日本は、日本の個別的自衛権あるいは日米の集団的自衛権の発動をするのであります。一般的な世界戦争のワクでは、これは律しられないと私は思います。したがって、日本が受けた場合、これが安保条約の前提ですから、それ以外のことを、われわれはこの安保条約というものの中に規定していないと私は思います。もちろん、極東の平和に関
日本は核兵器持ち込み、戦闘作戦の基地または重要な配備については事前協議という条項を三カ条かぶせてあります。したがって、これを今日まで守っております。また、米軍からこれを特にいままでこのことについて要請があったこともありません。したがって、今日われわれはいまの条約で危険であるという考えを持っておりません。また不便であるとも考えておりません。今日の状況ではこれで十分やっていける。いずれにしましても、攻撃を受けた場合ですから、世界の戦略の中に安保条約が入るわけでもないですから、それは当然被害を受けたときにそれを守る手段というものは最善の道を尽さなければ国民の生命の安全はない。こういう気持ちから私たちは防衛力というものを考え、個別的、集団的
外務省でたしか軍縮課とか軍縮室とか、あるいは軍縮主任ですか何か置いて研究をしようとしておるようであります。ただ、これは防衛庁の側から見るならば、軍縮ということに私は賛成であります。ただし、おっしゃるように、日本の自衛隊のいまの力が軍縮の網の目に入るものではない。これも私は両方とも確信しております。軍縮は賛成である。しかし、いまの自衛隊は、まだ軍縮の段階の網の目に入って、諸外国から、日本は大き過ぎる軍縮しろというような対象になるものではない。思想的には軍縮というものは私は反対でありません。
世界の軍事国がおのずから軍縮に向かうという情勢は、残念ながら、今日逆な方向に進んでおります、したがって、声を大にして叫ぶだけでは軍縮の効果はあがらない。やはり軍縮というのが諸外国にみずから実行される、そこまではおのずから個別的な固有の自衛権を日本は持つべきだ、また持たなければその国の安全は保てないという情勢を正しく見るならば、私は自衛隊というものはもっと成長して、そして日本の国を守るべきだと、こう考えます。しかし、一つの方向として、軍縮というのが世界の共通の課題であることは、これは私も否定いたしません。また、それに反対もいたしません。しかし、今日叫びさえすれば安全かという情勢は、これは私が言うならば、あまり国民に対して責任がなさ過ぎ
その道その道、その一つ一つのものには、それだけの計画とそれだけの準備の上に立っておるわけで、言うなれば、もう少し数がそろうならばなお効果的である。しかし、数がそろわないのでこの程度だというのが、四機だったり十機だったりします。したがって、そういう御心配のないように、三次防ではどっかとまとまった効果のあるものを組織的につくりまして計画をやりたいということで、三次防では、ばらばらでなしに総合的なものをひとつどっかと考えたいと、こう考えております。
核は、現実に攻撃をされるという前提だけで言うわけじゃありません。核の攻撃がないようにする。しかし、それ以外に、防衛力というのは、核だけが戦闘兵器であるわけじゃありません。一般的な兵器というものは、各国で装備、あるいは更新される。したがって、核に対しては、日本はまことに残念ながら、核に対抗する手段が直ちに私はできるとは思いません。しかし、対抗する手段、完全にできなくても、それに対応するだけの装備というものは必要であろうと私は思います。したがって、核だけが唯一の戦闘行為ではないのですから、それ以外の一般的な戦闘行為というものも多々あるのです。私たちは、やはり核の脅威を抑止力で防ぎながら、国内においては、その圧力というものから国民を守る装
核攻撃に対応して防御兵器というのはなかなか世界じゅう開発ができておりません。おのずから核の抑止力とか、核のお互いの相対的バランスによってお互いの攻撃をみずから防いでいる。先に攻撃するとか、あとに攻撃するとかということよりも、おそらくそういうのが今日の核に対する核攻撃の各国の防御策だと私は思います。核が攻撃を受けて、核なしで防御しろということは、これは非常に不可能なぐらいむずかしい問題であります。三次防で、それについて私は核兵器だけに対応した装備をしようということを言っているわけじゃありません。核兵器が開発されるということは、やはり一つの脅威であります。その脅威を除くため最大限の国民の生命を守る装備をしながら、そうして三次防を充実して