それが防衛力の充実です。それが防衛力の充実です。
それが防衛力の充実です。それが防衛力の充実です。
まだ核兵器問題については一ぺんも、その戦術、戦略というものを私は承知しておりません、したがって、相談を受けたこともありません。相談したこともないのです。将来予想される問題として、今日中共の核装備というのは非常な大きな衝撃でありますが、まだ今日戦略、戦術という段階までは受けてもいません。相談もしたこともありません。
私の説明があるいは足りませんかもしれませんが、その前提条件としてあらゆる場面における緊密な連携、連絡、協議というのが安保条約の明文にあります。したがって、あらゆる場面における協議、その中にそのものが入るときは入る。しかし、まだその段階ではないので、内容的に相談したこともないと、こういうわけです。したがって、相談する道というのは、安保条約の中における明文、これに協議、密接な連絡あるいは個別的自衛権、集団的自衛権というものは、その緊密な連携、協議の中に入る内容であります。したがって、その内容についてはまだないと、こういうことであります。しかし、道は明らかに明文化されておると思います。
安保条約全部が抑止力の効果は十分あると思います。あらゆる攻撃に対して日米共同して——日本が攻撃を受けた場合には共同してこれに対抗する。これはもう基本的な抑止力の効果がある。ただ、先ほどの話は戦略、戦術上、いつ撃つかとか、敵が撃ってからでなければ撃たないかとか、そういう具体的戦略戦術については協議事項というものはまだない、こういう二つの話を私はいたしました。
日本が不当な武力攻撃を受けた場合には、当然この条項というものが発動されます。まだ今日受けてもおりません。また、受けるべき危険が身近に予想される段階でもございません。したがって、相対的な抑止力ということがいまの私は状況じゃないかと思います。
日本が攻撃があった場合に両国が協議するということはあります。したがって、まだその状況ではありませんが、しかし、緊密な連携、これは常時、随時やられております。しかし、これは作戦、戦略をお互いに話し合うという意味じゃありません。お互いに世界情勢の把握、日本の危険の度合い、こういうものが要するに緊密な連絡に入る。したがって、常時、随時その前提のもとに安保条約というものが緊密に運用されております。これが、言うならば、抑止力ということばに今日の状況ではちょうどいいことばに当てはまるのではないかと思います。
わが国の防衛は特定なものを想定しているわけじゃありません。しかし、いかなる場合といえども、いかなるときでも国民を守るというのが防衛の基本です。したがって、諸外国の兵器あるいは装備、あるいはその兵力の変更というものは、やはり日本にとってはいかなる場合にも常にわれわれは念頭に置いて国民を守らなければならない。その意味でアジアにおいて一つの大きな変化がある、また世界が脅威を感ずるというならば、やはり防衛の任務をになうものはそれが職務ですから、当然一般国民以上にわれわれはその脅威を感じながらその最善の防衛というものを考えるべきだ、この観点で申し上げておるわけです。ただ相手の国がどこだというそんな考えで私は申し上げておるのではない。しかし、や
どこの国でも同じように、やはり防衛というものが相対的なものですから、その相対的なものが、常に考えるならば、関心が非常に深いと私は思います。
私も外務大臣とときどき席を同じくします、同じ委員会で。言っていることは、御殿場口で登るのと吉田口で登る差はあるかもしれません。しかし、頂点は同じことを言っている。ある場所に行くと一致する。言うならば、核の脅威は、核兵器の開発装備は脅威であるというのが私が常々申し述べているところで、外務大臣のほうは、仕事柄、安保条約があるからこの抑止力で危険とは思わない、危険は防げる。二つ突き合わせると、ちょうど一つの、脅威ではあるが危険は今日安保条約で防げる、二つつなげると、こうことばになります。頂上では一緒になるが登り口は私は吉田口の番兵くらいのところです。外務大臣は御殿場口の道案内というところです。ちょうど頂点は一緒になる、それだけ役所の性質が
お説のとおりの印象を受けたならば、お互いのことばが足らなかったと思いますが、私は少しも違っていないと思うんです。私のほうの防衛という直接担当する第一線の問題、外交という、ある意味においてふんわりしたものを担当する大臣、おのおの感覚が多少ずつ所管庁として少しは違うところがある。しかし、基本が一致しておるならば、最後には調整すればいいことであって、また国民がそれによってもし御迷惑ならば、もっと早く調整しなければならぬ。今日、脅威問題については、私はいつも大体一緒におりますけれども、同じように、そう印象違ってないな。最近、外務大臣も非常に脅威、脅威と言いたしましたから、だから、外務大臣も、多少印象は違ったことを言うときもあります。最近も、
いずれこれは外務大臣がまた御答弁になると思いますが、やはりこの世界の外交にも力の実力がものを言う。といって、その兵力だけを私は言うのじゃありません。ある場合にはキャスチング・ボートを握った国が非常な力を発揮することがあります、大小にかかわらず。要するに、その状況に応じ応じ、私は外交における発言力は違ってくる。しかし、その時機を得る、その時を得なければその成果はあがらない。同時に、やはり実行する実力というものがなければ、外交の背景にはならない。したがって、核を持っている国の発言というものは、おのずから発言力というものはその力に依存する場合が多い。日本は核はなくても、工業力あるいは日本の政治的立場において力がないと私は言っているわけじゃ
防衛を担当しておると私たちはいえども、戦乱というものを期待しておるものは一人もありません。防衛力が発動せずに済むならば、それは一つのわれわれは防衛の任務を達成したとさえ私は思っております。したがって、ただ戦う力を持つから年じゅう戦わなきゃいけない、そんなものじゃなしに、戦わずに済むなら、防衛力のその職務は、逆に言うなら、私は果たしたとさえ考えております。したがって、中共に対して平和路線というものが可能ならば、私は日本の外交として、これを少しも防衛庁というものは、また私自身、それをチェックしたりするものじゃない。しかし、できるかできないかということは、日本と中共だけのみならず、いろいろな利害関係あるいはいろいろな条約、いろいろな国際事
私は、日本は力の外交をやったという経験もなければ、体験もない。また今後そんなことはないんじゃないか。日本の場合は力の外交ということは当てはまらない、また、そういうことも実行不可能だ、また、そういうものもやる意思もなければ、やる方向でもないと私は思います。したがって、日本の外交こそ、ことばそのままで力のない、ある意味においては平和外交に徹していい国じゃないか、私はこう思います。ただ、平和であると同時に日本の国民の安全保障だけはやらなければならぬ、それが防衛力である、防衛力が力の外交にはなるべきものでもなければ、なってもいないと私は思う。ただ、御承知のような状況ですから、なかなか世界情勢は複雑なこともありますので、割り切るわけにまいりま
選択の自由というのが何の選択ですか、ちょっと……いまの兵器の選択、装備の選択ならば、私どもは兵器の選択あるいは装備の選択は三次防期間といえどもある程度幅を持たしていきたいと思う。ただ、安保条約というものの選択というのは、いまの状況では、まだ日本の安保条約がより必要であるという度合いがふえてこそすれ、その逆に度合いが薄らいだという情勢は、残念ながらまだ日本には感じ取れないと私は思います。したがって、装備の選択あるいは三次防期間の中における兵器の選択、これはもう当然ある程度幅を持たしていきたいと私考えております。
けさの新聞については人事局長から報告をいたさせます。
私も御承知のように昨日は「あかしや」問題でとうとう最後まで引っぱられて、その時間に出席予定がおくれました。しかし、私はその記事を見て、これは少し考えが、優秀な隊員を産業と自衛隊で奪い合うということはよろしくない。どちらも共存共栄と申しますか、共存できる立場じゃないのか。そういう観点から言ったんじゃなかろうか。一般的隊員の数をそろえることに今日苦労しているのじゃなくて、優秀な隊員というものは、産業界も自衛隊もともにほしい。それを両方で引っぱり合う、奪い合うということはお互いによろしくない。したがって、そういう場合には協定、協調ができるものじゃないだろうか。それが、そのおそらく記事の、私も拝見しましたが、記事の見出しの内容がその辺じゃな
官房長に答えさせます。
それは少し時間的差がありまして、ことしは非常に順調なのであります。二、三年——三十五年から三十八年ぐらい、この三年間ぐらいが非常に募集に苦労した。その期間をとれば、事務次官が言ったというふうなことばが該当します。昨年——ことしぐらいは非常に順調なんです。これは時間とときによって影響します。三十五年から三十八年、九年ぐらいまでは非常に苦労しました。最近、四十年から四十一年、ことしになって非常に順調に伸びています。その時点によって、その話が食い違ったり、食い違わなかったりしているのじゃないですか。
その次官が、その時点をとらえて言ったことと私は思います。
昨日話をいたしましたのは、戦車四百両で三百億、輸送機五十機で約五百億、地対空ミサイル・ナイキ三個大隊四百億、ホーク四個大隊四百億、艦艇七万トン千五百億、輸送機以外の飛行機約五百機で四千億、こういう話をいたしたのであります。