選挙及び政治活動に使ったと思います。
選挙及び政治活動に使ったと思います。
私のその期間においての収入は、この金だけではありませんからね、この金だけであと一銭も私はその期間は収入がなかったというわけじゃありません。したがって、この金は私の責任で選挙及び政治活動に使ったと、そのほかに私は収入がないわけではないんです、この期間に。そういうわけです。
私の収入、税務署の報告が五百万とその年に言われたが、まあ多分そんなものでしょうか。だから、五百万円しかそのときになかったというわけじゃありません。もっとそれはいろんなものがあります。それはありますよ。そうその表に出たものだけで限定されちゃ私は困ると思います。
総裁公選に使ったという記憶はありません。
そういう記憶もございません。
毎回記憶はありませんけれども、選挙のときには、選挙が近いから選挙資金を頼むよと、私はそういうふうな言葉を言っておったんです。したがって、それは選挙資金だということになるんじゃないでしょうか。
毎回その金の性格を私は聞いているわけじゃありません。基本的に政治献金と思っておりますから、毎回持ってきてくれるときには政治献金と理解するのは私の気持ちで、選挙の近いとき、あるいは政治資金が要るときには、政治資金頼むよ、選挙資金頼むよといった言葉が一、二回あるかもしれません。毎回そういうもので私は言っているわけではない、全体的に私の政治資金だと私は思っておるんですから。
領収書というものを私は書いた記憶はありません。
そのことについては、その当時も明快に話を私はしているんですよ。したがって、これは日商の利益金から私に献金するということなんです。
過去のことについて私は深く反省しております。今日私がこの席に出ておるのは、少なくとも真相解明に対してみずからこの証人台に出ているんです。こんなことは三十三年の政治生活で初めてです。その気持ちも御理解いただきたいと、これは議員として一番むずかしいこと、きついことですよ。言いたくないことも言わなきゃならないときです。それをあえて真相解明に私は協力しておる。振り返ってみるならば、確かに、「人の長短は見やすくおのれの善悪は知りがたし」という言葉を私はいま感じている。私はそれを平気でおるわけじゃありません。また、その当時の公報は自分の良心に従ってそのとおりだと、今度しかし自分の善悪を振り返ってみると、なかなか反省すべきものがたくさんあったなと
その間は記憶ございません。
会ったという記憶はございません。
松野家を思い出していただいたんじゃないかと思います。
松野家と日商といいますか鈴木商店との関係は、昭和……
五年ごろのことからです。したがって、人脈というのは年じゅう密接である場合もあれば、ある場合には薄らぎ、また濃くなる場合も私はあると思うんです。それが人脈であって、思い出した——私が大臣になったから、私の名前が世間に出たから思い出していただいたんじゃないでしょうか。
古くは父から紹介を受けたこと、それから四十二年防衛長官やめてから、たしか冬じゃなかったでしょうか、四十二年の。それから四十三年、四十四年、それぐらいの記憶あります。
年に四、五回と言っておりません。四、五年間に三、四回はお会いしたと。また、非常に義理がたい方でして、毎年正月には不思議に御連絡いただくんです、年賀の。非常にきちょうめんな方でして、そういう話を私は申し上げておるんです。海部さんと一緒なのは恐らく二回ぐらいでしょう。あとは私が京都へ行ったとき、関西へ行ったときお訪ねをいただいたということです。
五億五億と言われますが、私には四、五億であって、それが入るのか入らないのか、私はそういう、念頭にないんです。累積してそうなるのかなあということであって、それは入るとか入らぬとか、私には全然記憶ありません。
私は、結果がそうなったかどうか知りませんけれども、当初からそういうふうな私は記憶を持っておりません。 また、ただ取りと言われますけれども、いつ見返りがどうなのか、それは考え方でしてね。私を将来大きく成長させようという意思ならば、私はそれにこたえたかこたえないかということが結論になるんで、何かこれとこれとの取引だという政治家的私はその当時立場ではないんです。
その話は、私と海部さんと高畑さんとが食事のときに、その当時日商は政府関係の仕事はゼロだったはずです。そうして、要するに民間貿易、民間利益の政治献金ということなんです。