私が知る限り、その演説には何も関係ございません。否定もしませんが、私には影響がないと、だれがどう演説されようが、国の防衛計画には関係がない。また、防衛庁にも影響ない。世界じゅうみんなえらい人が演説しますから、その演説を一々とられてこうだろうと言われても、これは頭のいい方の推定には違いないでしょうが、われわれには関係ない。世界じゅうの情報をお持ちですが、どうぞひとつそれは情報として……。われわれの国内問題には関係ないと私は思います。
私が知る限り、その演説には何も関係ございません。否定もしませんが、私には影響がないと、だれがどう演説されようが、国の防衛計画には関係がない。また、防衛庁にも影響ない。世界じゅうみんなえらい人が演説しますから、その演説を一々とられてこうだろうと言われても、これは頭のいい方の推定には違いないでしょうが、われわれには関係ない。世界じゅうの情報をお持ちですが、どうぞひとつそれは情報として……。われわれの国内問題には関係ないと私は思います。
これは所管が外務省ですから、いずれあすでも外務省が来られましょうから、外務省からお聞きいただいたほうがいいと思う。とにかく、岩間さんの議論は、非常に高度なジェット機のような高いところで議論される。もう少しレベルを下げて——あまり高いところで富士山の上をBOACで飛ばれるから、われわれ日本の国の知識じゃ、もう少し下げて、プロペラ程度の話をしていただかないと、あまり高過ぎると思います。
だいぶ御意見を拝聴しましたけれども、私は何にもギルパトリックの申し継ぎもなければ、会談の内容も関係なければ、私独自で考えて独自で今日やっておるのですから、それはギルパトリックがこう言ったじゃないかときょう初めて聞いたくらいなんです。もうすでに三次防の作業を進めつつあります。二%というのは私がかってにしゃべっております。もう話を聞いたこともなし、見たこともないようなものを私が手本にしたのじゃないかというのはちょっと無理な話で、私見たこともないのですから、そうして私は私独自でやっておる。たまたま文句の一、二が合ったから、おまえはそれを見たのだろう、手本にしたのだろう、それはあまりに無理だ。それは全然見たこともないのですから。それは、どこ
防衛長官になりましてから見たことも聞いたこともありません。
三矢の話は少し古いのじゃないでしょうか。また、現実にあの条項をお読みになれば、すべて前提が書いてあります。こういうことが許されるならばというのが全部入っておるのですから、計画と言うにはあまりに……。お読になれば違うので、前提があり、前とうしろにブレーキが入っております。三矢の問題は、中だけお読みになるとそうかもしれませんが、別に上げ底じゃないのです。もう一年半も古いことですから、それがいま生きておるというような考えは私ども何もありません。私も小委員長をやりましたから、岩間さんと同じ程度のものは議会ではやっておるのですから、そうそう議論になるほどのことじゃないと思います。
特別機動師団という趣旨かどうか知りませんが、いろいろな移動的な機動力のあるものを考えていることです。それからいまおっしゃったようなものは、まだそう核問題には関係のないもので、一般的な兵器であります。
機動力のある部隊をつくりたいという構想はありますが、それがそういう名になるのかどうなのか、これはわかりませんが、機動力を持たせたいという構想は持っております。
騎兵の師団というのは知りませんが、馬に乗るわけではありません。馬に乗るようなものは考えておりません。
私は、日本の独立と平和ということを中心に防衛力というものを考え、それに応ずる外交、条約を考えるということに終始しておるのでありまして、いろいろ憶測はありましょうが、その憶測が必ずしも当たっていない。どうぞ、現実の姿をみていただけば十分御理解いただけるし、その実証は上がると私は思います。
調査の結果は、人事局長のほうから御報告いたさせます。
機関紙というのは、防衛庁で広報として正式に防衛庁の意思を発表する、通達する、これを機関紙という意味でわれわれは解釈しています。しかし、ほかに機関紙というものが北部方面にございません。したがって、その編集というのは、隊員の意向、隊員の希望というものを掲載する、まあ一番大きなものは冠婚葬祭の連絡とか、隊員の報告とか、家族状況とか、寄稿とかいうものが一面、二面、三面、四面にありまして、その二面が教養の面に入る。その教養の内容は、主として隊内における意向に沿ってこれを編成するというので同人的性格である。したがって、機関紙というのは一つの意思、目的を持ってその方向に常に発行するものを機関紙とおそらく私たちは解釈すべきでありましょう。そういうも
題目は機関紙でありますが、その運営と内容は機関紙ということばと多少私は違うと思います。機関紙であるかどうかということは、私の考えでは、一つの意思をきめて、その目的のために発行するもの、これがおそらく機関紙でありましょう。ほかに機関紙というものがないものですから、あるいはその名前として機関紙という名前をつけたかもしれません。しかし、「あかしや」というのが大体においてわれわれが通俗的に使うことばであります。
一般的に言う機関紙というのは、広場というものが別にちゃんとその一つの目的を持ったものがあります。それとこれとは性質が違うし、編成の内容が違う。厚生的なものである。これを私たちは差を申し上げているわけで、名前が機関紙と書いてあるじゃないかとおっしゃるが、それは機関紙と書いてあることは私は否定するのじゃない。しかし、その言う機関紙とわれわれの言う機関紙と内容が違うということを私たちは申し上げているのであります。
これはそういう隊内の融和、団結、寄稿、意見というものを自由に発表を許す隊員の一つのあれですから、どういう意向を持ってどういう思想を発表しようが、それは私はあり得ることだと思うのです。それを強制したりそれを統制したりしているものではないというわけです。したがって、各人自由に意見を寄稿したり、自分の意見を載せること、これは私は何も個人個人の意見の制約はできない。また、教育といっても、かん詰め教育じゃございませんから、各人の意見があれば言っていい。しかし、防衛庁全般の意向としては私が責任を持っていますから、対外的には私のことばを信用していただきたい。各人の意見があることは、これはどこの社会でも今日あると思います。また、その思想があったから
いまこの「時事評論」ですか、このページは大体隊員の寄稿じゃありませんから、「柴田」というのは、おそらく私の想像では、隊員じゃないと思います。このページをただいま現実に見ますと、これはどうも隊員じゃありません。これは自由な一つの寄稿であろうと私は想像します。これは質疑の中で、質疑している間にすぐわかると思います。
「あかしや」の一面、二面、三面、四面をごらんいただけばわかります。これはその中の一面であって、第一面じゃございません。第一面には、隊員の団結、慰労、連絡が第一面であります。その中の一部のページだけをごらんいただけば、そのように言う御発言もあるかもしれません。一、二、三、四をごらんいただけば、そんなものが全部載っているわけじゃありません。私たちが言う機関紙というものの定義は、一つの目的をもって団体または組織が隊内に常に発行するもの、これが私は機関紙の一つの定義だろうと思います。このものは、この一号だけがこれを載せただけで、毎号毎号こういうものを第一面に載せちゃおりません。このとき発行したものでも、第一面は、隊員の連絡、慰安が第一面であ
厚生の一部じゃありましょうけれども、その職務の重要なものじゃありません。この課は、先ほど申しましたように、厚生的なもの、そういうものが主でありますから、その主要なものについてはそれは必要な書類の中に入りましょうが、その中の一部なんです。その全部じゃありません。運動会もやる、隊員のいろいろな娯楽もやる、映画も開催する、そういう中の一部なんです。全部保管すべき書類という、その規定の中には入りません。それは業務上必要な隊員の主目的、主行動、主作業――作業の中にはその保管すべきものがありましょうが、これは厚生ですから、その項目には該当いたしません。
先ほど、責任者の名前は事務当局から申し上げたと思います。なお、厚生関係というのは、大体一部が担当しております。しかし、厚生全般的なものは、幕僚長というのがすべてのものに対する責任をとるべき立場に立っておる。その中のこのものについては、先ほど申しました官職氏名のものが担当しておる。これは非常に明確に私は御説明申し上げようという意味で今日調査をそこまでいたしたわけであります。したがって、そのすべてのメンバー、それに関連する者が、それは委員ですから、おるかもしれませんが、すべてそれは厚生という中の全般的なものでありまして、これだけに専門の者がおるというわけじゃありません。その担当者といえば、先ほど申しました者。これぐらい明確に私は申し上げ
非常に話が行き違っておりますが、もう少し申しますと、厚生的なものであるということは御理解いただいたと思います。それでは、機関紙か同人紙かと。機関紙の定義はもうここまで進んだ。それでは、同人紙ということばはおかしいじゃないかと。私たちが言いますのは、この厚生という行為というものは、隊員の意向によって、その厚生費の割り当て、あるいは開催、発行というものをきめておるのです。したがって、予算は、御承知のように、一応の厚生費という総ワクの中で、本年はどういうものをどうするか、運動会をやるか、雑誌を出すか、何を出すかということは、隊員の希望によってこれはその割り振りをきめるものなんです。そこで、私のほうは、押しつけたような機関紙ではないと、責任
私が何度か見ましたから、それはもちろん配付いたします。これは、御承知のごとく、月に一回、ないし年に十回か十二回、そうたくさん出しておりません。したがって、私の見ましたものが御必要なら、それは配付してもさしつかえありません。配付というよりも、差し上げます。政府の資料とするにはあまりに私はその必要はないと思います。したがって、ぜひ見たいという方には、私のできるものはごらんに入れます。政府資料というほどのことでもこれはないと思います。私はそれはそのことを気にしておるわけじゃありません。また、こういうものは一つの教養というページですから、いろいろな意見を載せるページだと私は思います、このページは。したがって、各党の各政治的の意見というものは