あの十数年前当時は、そういう企業は多かったのです。政治献金をして税金の減税措置という対象がない時期です。したがって、政治献金を届け出して公開すると言えば、免税になるなら恐らく各社やったでしょう。免税措置の恩典がない時期なんですよ、あの当時は。したがって、政治献金を公開するかしないかというところのメリットだけで、裏金であったとは私は思っておりません、それはわかりませんけれども。それだから、届け出しないから裏金だと、そういう結論は、あの時代は私の常識ではなかったと思いますね。
あの十数年前当時は、そういう企業は多かったのです。政治献金をして税金の減税措置という対象がない時期です。したがって、政治献金を届け出して公開すると言えば、免税になるなら恐らく各社やったでしょう。免税措置の恩典がない時期なんですよ、あの当時は。したがって、政治献金を公開するかしないかというところのメリットだけで、裏金であったとは私は思っておりません、それはわかりませんけれども。それだから、届け出しないから裏金だと、そういう結論は、あの時代は私の常識ではなかったと思いますね。
いまの鳥田さんの書類がどうあるかは私には全然関係ないことです、それは。それは社内のことで、私はそんなことに返事のしようがないいことだ。正森さんの御趣旨はいろいろな角度からの一端だと思いますが、私自身ここで答える能力もなければ、答えなければいけないことでもないと私は思うのです。そんなこと全然関係ないと私は思います。
私は島田さんと献金、使途、趣旨を相談したことはないんです。だから、島田さんがどうお考えになろうが私は関係ないと申し上げるのは、島田さんと私は政治献金の話をしたことはないんです。この問題、前後についてですね。それを私はいま申し上げているのです。島田さんがそうだから、おまえと高畑の話は違うじゃないかと言われても、それは時間が違うと私は申し上げたい。それは違います。
海原さんのただいまの正森さんの話も、浦野から聞いたでしょう、浦野さんから聞いたでしょう。いつもあの人の話は、新聞記者から聞いた、浦野さんから聞いた、自分が見たというんじゃないのですね。そこに私は信感性を疑う。私は憶測、推測よりも証人と証言の方が正しいと思います。これは憶測だけじゃありません。少し字が違うんじゃないか。邪推的な憶測ですね、これは。
高畑さんの電話は、私の父に対するお悔やみの電話です。そのとき高畑さんがどんなことを、どんな希望を持っておられるか、それは全然関係のないことです。FXもなければ何にもないときです。それは本当の人情としてのお悔やみの電話で、誤解をしないでいただきたい。 もう一つ、何か非常に一年早めたということですが、これは私が申すまでもなく、大出さんがいらっしゃるし、その当時内閣委員会で論戦をした速記録が全部載っています。それをお読みになれば全部わかります。北村君という国防会議の事務局長がローリング方式というものを提案したのです。それは一次防のときに一次防、二次防の関節的なときに一年ギャップができた。世界ではやはりローリング方式というものをとって五
全然覚えがありません。ことしの一月、ある人が来たからおれのことをパインフィールドなんていう英語をおまえたちは使っていたのか、ふざけるなと言ったら、それは先生違います、ポリティカルフレンドで複数の政治家を言っていたんでしょうと、ある人が、それに多少関係した人が私に教えてくれたので、それならいいね、パインフィールドなんてどこの英語にもないよ、日本だって通用しないぞと言って、私は一月、その話を聞いたのを覚えております。教えてくれたのは実は先ほど亡くなった島田さんです。それを私のところへ謝罪に来たんです。気の毒な方だ。あの新聞が出て私に謝罪に来たんです。御迷惑をかけて申しわけない、その謝罪のときに——あなたのが出ておりました、アメリカで。こ
いや、それはわからない。
私のことについては御意見として拝聴し、私自身今後の問題として十分念頭に置きます。 もう一つ、税金の五億円と言われましたけれども、私が政治献金をもらったときは、日商岩井からは政治献金としてでありまして、飛行機とか軍需とか政府とかいう関係のなかった時代であると私は思います。したがって、五億円は日商岩井の会社の金だったと私は確信いたします。
私も昭和二十二年からちょうど三十三年、おかげさまでこの議会に籍を置き、いろいろな政治の中に体験し、経験し、苦杯をなめ、泣いたことも喜んだこともあります。今回のことについては、私一身のことに関するならば、私が平然としておるわけでは今日ございません。しかし、ただいまは真相解明に私のできるだけの記憶をこの席でお話しして、そして自分の問題は考えなければ、いまのところは、将来の問題まで私は頭がまとまりません。おっしゃることはまことにごもっともであります。それから同時に、古井さんの御意見については、私が論評する立場ではありません。私は自分の気持ちとしてきょうは一生懸命やっていく。これも私に課せられた大きなイバラの道だと思います。政治家としてこの
ふろしきだったと私は思います。
そのことはたびたびありました。それは、第一回高畑さんのとき、第一回海部さんのとき、松野頼三に対する政治献金。それはもう、何回というとおかしいですが、そのたびとは言いませんけれども、常にその念頭は去っておりません。
松野頼三を育てるための政治献金、明らかにそう言っております。
よく覚えておりませんが、私は、そういう重要な役を主任のようにしてやった記憶はございません。
ずいぶん、若い時代にはいろいろ使い走りをさせられた時代もあります。あなたのお聞きになるのはこの時代でしょうが、この時代はございません。
私もきょうは証人として出ておりますので、記憶のあることは申します。記憶のないことは申し上げられません。記憶ございません。
記憶がないと私は申し上げておりません。選挙及び政治活動に使ったと申し上げておるわけであります。
私は当時そういう役をしておりません。
非常に私を見舞いと激励に来られて、その方が——私はインタビューしたことはないのです。その方がインタビューという形でお書きになっているのですが、どっちかというと非常に私を激励に来られた。そういうことはその人の言葉の方が主でしたね。そういう時代でしたねと言われるから——私が言ったのじゃないのです。そういう時代でしたねとその方が言われたと私は……。私も、そういう時代で、ちょんまげ時代だったねというふうに言ったことはありますね。だからその言葉は私は全部うそだと言わないが、主観的にその方がお書きになったので、私が言ったわけじゃないのです。それは私はどうこう言うのじゃありません。私はそういう時代だったねということは言いましたけれども、そういうふ
私がそのことを言ったことはありません。
きょうこの場でお話しする機会がありますから、あえて抗議するよりきょうの私の話の方が、価値ある場所じゃないでしょうか。