板
板垣幸三
1953-08-05
衆議院・法務委員会
板垣幸三です。
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板垣幸三です。
間違いありません。
その前に発言の希望があります。
満二十三歳。住所、東京都港区、新橋七丁目十二番地、文工会館内、職業は無職です。
救援会の援助によつて生活をしております。
鹿地、山田救援会です。それはぼくも救援されておるけれども、中に入つていませんから、わかりません。
いいえ、以前はそうでありましたが、現在はぼくは別個な立場をとつております。
それは救援されております。
鹿地、山田救援会で救援してくれます。
ぼくはその中に入つてその人たちと同じ生活をしていないから、はつきりしたことはわかりませんが、今度の人権問題に関して、ぼくのことを鹿地、山田救援会で救援してくれております。
樺太の知取で生れて、樺太で育つて、終戦は北名好に迎えております。そうして終戦当時に、恵須取中学というものがございますが、それを中退で、終戦後そのまま行つておりません。
二年でやめております。
昭和二十四年五月までおりました。
十九歳まで。
それから満洲、朝鮮を経由して、昭和二十四年の七月に東京へ来ました。
満洲では何もしておりません。二十日ちよつと遊んでおります。
そうです。
ぼく一人です、日本人としては。
行つたのは、ロシヤ人がついて行つております。
マキシム・タールキー。