向うのゲー・ぺ一・ウー関係の仕事をしておる人です。
向うのゲー・ぺ一・ウー関係の仕事をしておる人です。
そうです。自分が希望して行つたのです。
満洲で働いておりません。
それから朝鮮経由で、二十四年の七月に東京に来ております。
旅費は出さないで、密輸船で帰つて来ております。密輸船ですから、旅費はぼくに請求しなかつた。
東京芝浦へ上陸しました。
それから東京で二日か三日遊んで、また密輸船に乗りました。それからその密輸船で昭和二十六年の三月まで生活しておりました。
そうです。
二十四年七月から密輸船に乗つて、新潟県中頸城の高田地区警察署に保護される四日ほど前まで密輸船に乗つておつたのです。保護される四日ほど前に密輸船から上陸して、途中行き倒れになつて保護されたのです。
どこかぼくもはつきりわからないのです。
いや、ぼくはその当時わからなかつたのですけれども、あとで聞いたところによると、関山というところです。
新潟県か長野県かちよつとわからないのです。
三月ですから、雪のずつと深いところだつたのです。それ以外のことはあまり記憶ないのです。
警察で一応医者にかけてもらい、身柄を保護してもらつて、一週間ちよつとの取調べを受けて、それで保護室に入れられ、保護室から高田拘置所を経て新潟少年鑑別所に入れられました。
新潟少年鑑別所では、別にこれはという取調べは日本側ではなかつたのです。本人の知能テストや、適性検査のようなことをしておりました。鑑別所におりながらCICの方でぼくのことを調べました。
そうです。
向うで迎えに来て調べたのです。
はい、向うに事務所があります。
その内容は、終戦当時ロシヤが樺太へ侵入して来た状態、それから装備、終戦後にロシヤが軍政を張つたときの軍政のやり方、日本人の待遇、それにその後進駐して来て、樺太が平和になつてからの向うでの軍備の配置、そういうものを聞かれました。満洲の件もそれと同じです。それから二年の密輸生活中船はどこに通つたか、どういうふうにしたかということを聞かれました。
CICにはたしか……。