二日ではないです。たしか鑑別所には三週間おつたのですが、そのうち二日だけひつぱり出されなかつたのです。あとは全部ひつぱり出されております。
二日ではないです。たしか鑑別所には三週間おつたのですが、そのうち二日だけひつぱり出されなかつたのです。あとは全部ひつぱり出されております。
鑑別所の中に寝とまりしておりました。
朝出かけて午後三時ごろ帰るときもあるし、ときには午後十時過ぎに帰ることもありました。
弁当は最初の日は持つて行つたのですけれども、向うの方で食事は出すというので、向うの方の食事の待遇がよかつたから、新潟鑑別所の食事を持たないで行きました。
当時は放心状態にあつたから、調べられるまま自分の知つておることを言つたにすぎないのです。別段その結果どういうふうになるということは考えなかつたのです。
心配をするほど自分に余裕がなかつたのです。
そうです。
私服を着ていたけれども、軍人だと思われる人間です。
もちろんそういう気持もありました。しかし、当時日本は占領中だつたからやむを得ないというので、半ばあきらめもありました。
それから五月三日の日に新潟家裁で六週間の試験観察処置を受けております。それでぼくは行先はよくわからないのですけれども、その日のうちにどこかに移送されるような手配になつていたようです。当時少年鑑別所の小型の車で行つたのですけれども、その後車で家裁から帰つて来る途中、新潟のCICから申し込まれたからぼくのからだを三日間東京に送るからということを、当時の小川課長という方から聞いております。
調べた人はたくさんおりますけれども、向うはぼくの名前を知つておつたろうが、ぼくは向うの名前を聞かなかつたからわかりません。
その後の処置のことはわかりません。
二十六年五月三日です。
新潟の当時の進駐軍専用の駅の待合室で引渡されました。
はい、新潟駅の進駐軍専用の待合室のところです。
そうです。そのほかに自動車の運転手の方もおりました。それから小川課長の親戚の子供と思われる人もおりました。
ぼくは小川課長にずつとついておりましたけれども、その書類をとつたのは見ておりません。
別段言わなかつた。
東京に送るときにだれがついて来るかということは、汽車に乗るまでわからなかつたです。
それはCICの人間だということは聞いたけれども……。