ワツと泣き出して向うの建物の中にどうかして入つたのです。ちようど新聞社の人たちも、それから日映の人たちも應援に來たりしていましたから、その人たちが一齊に向うの建物の中に飛び込んで行きました。その中で私はどういうことがあつたか反対側の建物の中におりましたので存じません。
ワツと泣き出して向うの建物の中にどうかして入つたのです。ちようど新聞社の人たちも、それから日映の人たちも應援に來たりしていましたから、その人たちが一齊に向うの建物の中に飛び込んで行きました。その中で私はどういうことがあつたか反対側の建物の中におりましたので存じません。
傳えました。十時に言われて十時二十分までに出ろと言つて、どういう話をしたかその前の方は知りませんけれども、ダガー大尉が林君に十時までに全員を退去させろと言つたというのは私わきからちよつと通りすがりに聞きました。やがて林君が下へおりて行つてそれをマイクで傳えまして、そのとき入つていた人数は八百人ぐらいだつたと思います。それが大体六百五十ぐらい、あと百五十ぐらいと思われるまで一應退去を始めたのですが、そのときにだれが言つたか、工場閉鎖に疑義がある。あるいはこれはうわさで私が直接聞いたわけではございませんが、一度この工場を出たならば二度と入れないからみんなもう一ぺん全部もどれと言われてもどつて来たのであります。
これもはつきり私本人の言つたのを見ておりませんから……。
ええ。
はい。ありました。
不法弾圧という言葉でそれを片づけているのです。不法弾圧の実況と言つて新聞に写眞をかつてに映し直したのだということで非常に誇大なポスターが出ていたようです。
組合の方のニュースはなかなかわれわれの方には入りにくいものですから……。
聞いておりません。
これも組合の方でないとわからないのですが、六月十五日の夕刊廣島に載つたところで在廣各組合、廣船というのは三菱重工の廣島造船所です。廣船、國鉄、全逓、全鉄、電産、日通、日発、日映演、配炭公團、教職組、朝煙、全学連、全新聞、通産省というようなものであります。
通商産業局です。
はい。
いろいろと組合側の報道はあつたようですが、私が目撃したのでは一番多いときで八千ぐらいかと思います。これはちようど十五、六日かと思いますけれドも、どちらか忘れましたが、私の方の隣の東洋工業という工場がありますが、そこの工場の組合が、これは終始中立の態度をとつておりまして、それで会社側に対して東洋工業の組合から、早く解決して労働者の生活を見てやれということを勧告に來られたのです。デモに参加するという意図はなかつたらしいのですが、二千幾らという数になつている。それが來られたときに全金組合が全部それを包囲して出さなくしてしまつた。そのときが一番多かつたのではないかと思います。そのときに結局やり方がひどいというので、その東洋工業の組合などは非
これは最初の一日、二日は工場の前の廣場、延命神社という神社がありますが、この神社の前の廣場でやつております。
十五日ごろから梅雨に入つて雨が降つて参りまして、それで組合の人たちが十六日か——十五日はたしか青天井でやつていたのですけれども、十六日以後は戦争中に私どもが約千人の人間を收容する寄宿舎を持つておりました。それが現在ほとんど使われないで遊んでいて、その食堂も約千人收容力があるのです。その食堂を大会場として占拠した。それから寄宿舎も全部占拠してそこへ寝とまりしていたようです。十六日以後は主として松石寮という寄宿舎、そこを……。
そうです。
すぐ工場の裏になつております。
やりました。
それから後に松石寮に行つたり、懸廳の廣場でもやつたこともあつたようでありますし、元戰争中練兵場だつた児童文化会舘のあたりでもやつたように聞いております。それは確かであるかどうか知りませんが……。
一番先に來られたのが、田中堯平代議士と加藤充という方がおいでになつたのが、十六日ではないかと思います。それから春日正一氏も見えたと開いておりますが、これはどうか知りません。前のお二人は大会の松石寮に見えられたかに聞いております。
はい。