申しわけございませんが、四月より一、二カ月前だったなというぐらいの印象しか残っておりません。済みません。
申しわけございませんが、四月より一、二カ月前だったなというぐらいの印象しか残っておりません。済みません。
私、いろいろな方とお会いしましたけれども、きのうこういう会社の人とお会いしましたとか、こういう市町村の方とお会いしましたと総理に一々報告したことは、別にこれに限らず、ございませんし、私は、平成二十七年の八月の四日だったと思いますけれども、総理秘書官を退任していますので、今、長妻先生が二十九年とおっしゃいましたけれども、私は、四月二日から、あるいは二月から、三月からしても、その後、半年足らずで官邸を出ていますので、その後総理が、今、認識された年は二十九年の初めですか、その一年半ぐらいの間、総理がどこでどう認識されたかというのは、私にはちょっとわかりません。
ちょっとそこまでは記憶にないです。多分、事務局長の方か秘書室長の方かどちらかだと思います。それで、そのときに……(長妻委員「誰に連絡」と呼ぶ)私に。(長妻委員「直接」と呼ぶ)ええ、直接。(発言する者あり)いやいや、携帯番号は多分御存じないと思うので。 それで、二月から三月ごろお会いをして、二回目以降は、直接だったか私のスタッフのところを通じてだったかは、ちょっとそこは定かじゃありません。
全く、電話で、携帯電話とかでお話ししたことはないし、お互い全く、携帯番号も存じ上げません。
多分、今、長妻先生がおっしゃいましたように、二十五年でしたっけ、その河口湖のバーベキューのところだと思います。
当時、国家戦略特区制度というものが安倍政権の成長戦略の一丁目一番地と申しますか、大きな目玉政策だったということは申し上げたと思います。 その上で、前の年の平成二十六年九月の特区諮問会議におきまして、民間議員の方から追加の規制改革項目という提案がございまして、総理が、民間議員から提示されました提案につきまして、早急に検討していきたいという御発言がありましたので、面談の中で、そういう趣旨を、総理がそういうことをおっしゃっているという趣旨は申し上げたと思います。(長妻委員「そうすると、首相案件ということをおっしゃったんですか」と呼ぶ) いや、こういうこと、三年前に自分がどう言ったと、一言一句覚えているわけではございません。私が申し
申し上げましたように、私自身が獣医学部新設の話が全く詳しくございませんでしたので、事前にどういうことなのかという状況を伺ったこともありまして、同席をお願いしたということでございます。
まず、私は全くメモをとっておりません。 それから、そのお二人の方がメモをとったかどうか、私にはちょっとわかりかねます。
そのお二人にメモを出せと私は言う立場にございませんので、委員会で御判断いただければと思います。
私には、全くその記憶はございません。
当時の状況をちょっと想像していただくと、具体的にどこにするのかというのはずっと後の話で、まずこの制度をどうするかという議論でございましたので、これで、何回お会いしたからといって特別扱いするとか配慮するとかそういうことは全くございませんし、私自身、総理ともお話ししたことはないし、各省にもそういう指示をしたことも全くございません。
これは、このとき誰と回ったかという記憶がないんですけれども、大体、ゴルフはしょっちゅう総理のお供で、秘書官は同じように行きまして、大体いつも、今はゴルフをしない秘書官もいますので、今井秘書官を含めて五人かな、六人で、順番こで、そのときお供する人の四人で回ってございましたので、そのときにぴしっとそのメンバーだったかどうかはわかりませんけれども、大体おおむねそういうメンバーで回っていたと思います。
そのときに一緒だったかどうかはわかりません。大体おおむね、総理のゴルフにお供するときは、今井秘書官と御一緒だったような記憶がございます。
お答え申し上げます。 順々に申し上げますけれども、まず最初の、構造改革特区か国家戦略特区かというのはテクニカルな問題だと書かれている。実際私がそう言ったかどうかわかりませんが、当時の理解は、どちらの制度も有効でございましたので、どちらを使うのもあり得る、そういう理解でございましたので、そういう話をしたのじゃないかと思います。 それから、国家戦略特区の方が勢いがあるという、これもちょっと私がそう言ったかどうかわかりませんが、当時、考えてみていただくと、安倍政権ができて、その看板政策として国家戦略特区制度というのがスタートした直後でございますので、それは政府を挙げて積極的に説明して……(長妻委員「アドバイスしたか」と呼ぶ)アドバ
特に照会を受けた覚えはございませんけれども、おっしゃいましたとおり、昨年の閉会中審査のときに、今井先生から何度も今治市の職員の方と会ったのかと聞かれまして、お会いした記憶はございません、あるいは、覚えてございませんので、お会いしているともお会いしていないとも申し上げられません、こういうことを何度も申し上げた記憶がございます。 その後、特に私の方は照会されてございませんが、私の方は、国会から呼ばれれば誠実にお答えするというのは一貫してお答えしているところでございます。
これは事の発端が国会でのやりとりの中で始まったことでございますので、私としては、国会でお答えしたことの流れ、関連でございますので、国会でお答えするのが筋だというふうに私は考えてございました。
もちろん、全部見ているわけではございませんけれども、一部は見ていますし、そういう報道があったのも承知しております。
特に、国会の方から説明をするようにという、国会に出席するようにということは……(発言する者あり)いやいや、国会として出席して答弁するようにという御要請はいただかないので。それで、実際に国会で……(発言する者あり)
国会でそのようなやりとりがあったのは、申しわけございませんが、それは承知してございませんでした。
四月は、すごい大人数で来られたので、随分いっぱいで来たなという印象がありますけれども、二月、三月に来られたときはそういう記憶がございませんので多分少ない人数で来られたと思いますので、多分、加計学園の事務局の方だけで来られたんじゃないかと思います。ちょっと具体的にどなたというのはないですけれども、事務局長の方はおられたという気がいたします。