はあ。
はあ。
七月、八月は、これは私らの同業者の近藤海事工業所というのから借受けまして、そして作業をやつたのであります。
ええ起重機です。起重機を裸で私の方は使用したわけです。
七月分は八十万六千四百円、八月分が三十万六百九十円であります。
契約はこのとき結んでおりませんですが、物価庁に出した日本サルヴエージの單価が一万円ちよつと越しておりましたので、私どもの方も、まあ一万円ほどくれれば貸しでもよかろうというようなことから話が出たわけであります。それで契約も何も結んでおりません。
物価庁は、起重機が日本サルヴエージの方から代表して、單価明細とか何とか出ておつたのを基準としまして、起重機から曳船、燃料、石炭全部持ちまして一時間に対して一万円。
七月は、山九の方からお話がありまして、そのときは橋梁材料、こうう資材の積みおろしを主として扱つたのであります。八月はジープ、トラック、こういうものの搭載に使用したのでありまして、その当時まではまだこれをつれるものということで持つて来たわけであります。九月に入りまして初めて五十トン起重機ということになりました。この五十トン起重機は、私の方は三十五トンとか三十七トンという名前はついておりますが、近藤海事が拂下げを受けましたときは四十五トンの補強をやつておりました関係と、私どもが進駐軍の戦車をつぐつたときは、向うの軍が立会いのもとでやつて、これならよかろうということで五十トンという名目が出たことと思います。軍の塔載作業――戰車は一般の起重
戰車は大体三十トンから四十五トン、五十トンくらいの戰車だつたと思います。しかしこの重量はどのくらいあるか、私は英語はわかりませんし、また向うも話しませんが、大体これでつつたならよかろうということで、兵隊さんが立会いでつつたわけであります。
あの近藤組の起重機は、二十四年だつたと思いますが、各業者によつて入札されたのでありますが、その当時この起重機はサルヴエージ用に向かない起重機でありました。軍がつくつたので、要するに四十トンから八十トンぐらい積む船に戰車とか、大砲とか、ボイラー、こういうものを積むためにつくつたもので、サルヴエージには向かないためにだれも希望者がなくて、私と近藤さんと二名で入札して、近藤さんに落札したのであります。近藤さんが買いまして、自分の方で使おうとするためには補強をしなければならないというので、相当補強している関係で、四十トン、五十トンまで行けると私は確信を持つておつたのであります。
そうであります。
九月に入りまして、戰車、その他整備機械とか重量物が相当入りましたので、要するにあそこに六ぱい起重機を持つて来て使用したわけであります。一つは四建、一つは近藤、一つは日米サルヴエージ、一つは軍の百五十トン起重機、一つは西日本重工業、一つは廣瀬サルヴエージ、この六ぱいが非常に協力してこれをやつたのでありまして、門司の岸壁の西側の方の岸壁には四千トン級を七はいつなぎ、東側の方には三ばいつないだので、各起重機一ぱいで、二はいくらいの船を担当したり、かつまた一ぱいの船に二はいの起重機が一緒について作業をやつたりしておつたわけであります。それで作業をやつておりましたときに、軍の方の命令がありまして、四建が各方面から持つて参りましたが、九月は、結
はい。
そうじやありません。これは一時間の使用料が八千幾らでありまして、待機が六千なんぼと思います。待機とは――実際に作業した場合は八千なんぼであるが、軍から拘束されてそこにつないでおる場合は六千なんぼと思います。
私の方は八千五百円、待機の時間が六千なんぼと一時間外が千なんぼという計算でいただいておると思います。
起重機は四建、近藤、これは私どもの所属に入つておる。九月は山九の所属になつておる。十月八日から四建は私どもの方に肩がわり契約を結んだわけであります。
五百十七万三千五百円と記憶しております。
九月十八日から九月二十七日までであります。それが百七十九万八千五百円であります。
ありません。
四港済が約二十日ばかり軍の命令によつて出したわけでありますが、四港湾は大体船の搭載とか何とかいうことが非常にふなれなためと思うことが一つあります。四建は大体護岸工事でありますが、ああいう大きな五十トン級の操作になれないのと、潮が非常に早くありますところの作業等になれておらない。ただコンクリをこしらえて海の中に沈めるだけの技術しか持つておらないために、その作業に困難だろうと思つたのであります。結局四建の方では、従業員がいつも固定しておらないために作業が困難で、はつきり言うと、できないので私の方に肩がわりしたのだと思います。その当時は、私の気持としては四建は困つて仕事ができない、自分の方ではコンクリートばかりつくつておるのと人間が常備し
まあ私の方に肩がわりしたのは、そこに原因があつたと思います。