そうです。
そうです。
追放になつた重役はそうであります。やめるのだつたら、ちやんと机も整理してやめたろうし、従業員全体にあいさつしなくても、少くとも重役室で使つている子供たちにはあいさつしてやめるが、私のところの重役にはだれもそれがなかつたのであります。だれも机を放りぱなしで前の日に帰つたままでやめた。
考えます。私は考えたくないのですが、形はそうなりました。というのはもしそうでなかつたら、私が追放解除になつたら一番最初にあいさつに來なければならぬ人だと思います。もし会社のためを思うなら一番先に来てむしろ協力してくれというのが当り前だと思う。
私は追放令に該当するし、それはあたり前だと思つております。ただ時間的におかしいことはおかしい。
その書類をつくつたのが二十年の八、九、十、それで許可になつたのが翌年の八月ごろ……。
できておりません。
それはどこそこへ交渉したということでなくて、特別な相手があつたわけじやないのです。
そういう話ではなくて、G・H・Qと商工省、大藏省という話でありました特定の相手があつたわけではない
できたのは翌年の秋でした。
そうです。
そうです。たしかさつき申し上げたような状態でした。つまり結局尻をどうして合わせるか、最後に終戰後のこの混乱状態を脱したときに、体普通の株式会社としてバランスがとれるかどうかということは、まだ解決はできていなかつた。
今ですか。
その当時においてはできなかつたでしよう。
そうです。
そうです。
昭和電工だけのだめであるかどうかは知りませんが、しかし終戰後にやらなければならぬ仕事が、あの状態ではなかなかだれしも計画できなかつたと思います。だから昭和電工みたいなところにまとまつたものを金融するためにできたと思つています。
聞きました。
それは先ほど申しましたように、産業復興公国に肩替りする……。
利息もその中にはいる。
それは私は昭和電工の経営者ですから、利息はつけて、産業復興公園に肩替りする……。