これは東京支店が野村ビルにありましたが、戰災にあいまして、阿久津病院その他を転々したときに、沼野社長の御在任中に、沼野社長が專売局でなく、大蔵省の方にお願いして、あそこを借りました。神戸西支店とのつながりがあつて借りたのではありません。
これは東京支店が野村ビルにありましたが、戰災にあいまして、阿久津病院その他を転々したときに、沼野社長の御在任中に、沼野社長が專売局でなく、大蔵省の方にお願いして、あそこを借りました。神戸西支店とのつながりがあつて借りたのではありません。
共栄商事は外塩の輸入が本業であります。それとともに工業塩の私どもの作業の下請をしております。その下請に至りましたことは、工業塩は自己輸入で工業者自身がお取扱いになつていたものを、昭和二十三年に專売局官費回送塩に切りかえられましたために、私の方が元請することになつたのであります。従来共栄商事が工業家と連繋をとつてやつておりましたので、不二に対しましては共栄商事をして下請させた、こういうふうな形で共栄商事との関係があります。
国税局は昭和二十四年の十一月十四日だと記憶します。それから十二月の二十二、三日ごろまで御調査になりました。一回であります。それから專売局は二十四年の八月に五日間程度御調査になりました。それから十月ごろに同様五日間ぐらい御調査になりました。国税局の御関係から昭和二十四年十二月二十二、三日ごろから三十一日まで、それから昭和二十五年の二月に約一箇月ぐらい御調査になつたと記憶しております。それから会計検査院から御調査に来たことは一回もございません。
專売局に対しましては、昭和二十四年の四、五月ごろに運賃を、公社に振りかわる関係でそのまま延長した、そのことにつきまして二十三年の七月、当時の賃率情勢と相当現況は開きがあるから、何とか方法をとつてということを申し上げて、二十四年の八月に運賃調査においでになつたものと思います。それでその当時のプール計算、その他の経理の帳簿を締め切らんければはつきりした数字がわかりませんものですから、さしあたりさかのぼりまして、七月と記憶しますが、三割五分とか三割というのを下げまして、引続いて調査の上で調整の額をはつきりきめるとか、こういうお話でありましたところへ国税局からお見えになつたわけであります。
それは国税局でございます。十一月においでになつて、十二月までせられた中途ごろの話であります。
経理の方の係は、経理部長が死なれて、その当時はそうであつたと思います。伝票の調査に男が二人と女が二人おつたと記憶しております。六人程度で、課長とともに七人でそれだけのことをやるのは、非常に経理の知識もないので、これでは少くとも二十人いる、こういうことをおつしやつておりました。
これは、結果から見ますと非常におはずかしい話ですが、当時集中排除の関係がありまして、社員を雇い入れましても給料は五百円程度で、あとは生活補給金として出す、それに苦労せなければならぬ、いろいろ打合しても——経理も少いし、営業も五人くらいしかおりませんでした。いずれのところも少いのです。それで、この会社が常態に復した場合には何とか機構を整備しなければいかぬ、これだけしか考えておらなかつたのです。その点ははなはだ申訳ないと思つています。
吉川さんということは、長くおいでになつて私名前を拜承したわけでありますが……。
帳簿とか何かということは話を承りません。しまいごろ、矢頭君なるものを非常に疑うて嚴重に調査しておつた。しかし会つて見ると非常にいい人間だから、ああいうような人間を左遷とかやめさせるというここは会社としてはつまらぬ、これだけのことを承つたことは事実であります。
ほかのことはいろいろ御注意がありましたが、またほかの国税局の皆さんに、帳簿の組織とか整理の方法について、私どもの店の人間に教えたりいろいろしていただきましたが、そのしまいに雑談としてそういうような話もあつたということを申し上げました。
それは年度で、四期を含めまして、先ほどお話があつたように百二十万トン百三十万トンとかいうことはわかると思いますが、毎月一万トンとか五万トンとかいう運送の計画なるものはいただきました。その内訳は、どこそこからどこそこへ何ぼ、小さいところは十五トン、大きい県は何千トンということを列記していだきました。
用單位です。
大体一箇月半もかかればできると思います。
これは国税局からおいでになりまして、ずつとカードを整理してわかつたのですが、二十三年の六月二十三日の契約更新から二十四年の七月ぐらい、大体一箇年間のものでございます。
これは国税局がおいでになつて、国税局のお調べによつて、われわれの店の人間もさしずせられましたけれども、カードの整理と、それから国税局は支払い場所へ照合しまして、それから小切手とか銀行方面を御調査になつてわかつたもので、私どの店の帳簿とか何とかということは、その国税局がお済みになつても完全にまだできておられなかつた。伝票だけは国税局がおつくりくださいました。
それは国税局のことはわかりませんが、国税局から来ていろいろ承り、また会社の経理の方にも聞いてみましたが、帳簿なりカードの整理が十分できておるものだけで集計して、経理会社の関係で総会も何もやつておりませんから、納税の申告だけはしておつたということは、そのときに承りました。
これは国税局また專売公社が詳細お調べになりましてはつきりしましたが、二十三年の六月から二十四年の七月というくらいの期間のものでございます。
これは戰争前までは一年一年で契約して、現在の二十五年度以降の契約と同様でございましたものですから、そういうような調整とか何かというものは必要なかつたのであります。しかし戰争になりまして輸送の場所も混乱しますし、契約や何か人手も少いというということで、公社の方からプールにして簡單にやる、また契約を一々更新しなくてもいいような方法をとつておるような話がありました。そのときに、しかしプールに非常に危険だから、もしプールの関係において高いとか多く出るとかすれば、会社は二つあつても三つあつても足らぬというような話も出まして、赤字が出た場合にはよく状況を見て補うてやろう、また黒字が出たときは返せ、こういうような趣意において、條件として契約の條項
少くともそういうようなことは、そのときに申合せとか話はしておりませんから、少くとも半年以上は必要だと思います。
これは会社の経理が、現在のことはわかりませんが、その当時はカードによつて整理することになつております。カードなるものは、発送すれば、汽車であれば十五トン車二車で三十トンというカードが出ます。その回送費をもらつて、その下払いが済んで初めて勘定に入れるとか、下払いなるものはそれぞれの作業でそれもはしけならはしけ、人夫なら人夫、汽車の積込みなら汽車の積込み、機帆船の積込みなら機帆船の積込みと、機帆船賃とか、その請求書が来て支払つて初めてそのカードが完了することになる。そのために非常に会計といいますか、経理が澁滞しておるということになつて、なかなか結論がわからなかつた……。