これは当然、日米安保条約によって設置されたところの在日米軍基地が、その根拠とするところの条約がなくなった場合には廃棄される、なくなってしまうということは、当然考えていいのではないかと思うのですが、その点は明確にお答えになることはできませんか。
これは当然、日米安保条約によって設置されたところの在日米軍基地が、その根拠とするところの条約がなくなった場合には廃棄される、なくなってしまうということは、当然考えていいのではないかと思うのですが、その点は明確にお答えになることはできませんか。
現在の政治的な配慮を加えずに、条約上の問題としてどうなるかということを私はお聞きしているのですから、その政治的な配慮をそこへ加えないでお答えを願いたいと思うのです。そうでないと話が進みませんので……。 そうすると、もしかりにそういう場合があっても、それでは暫定的な措置を講ずる余地があるというふうに外務大臣はお考えになるわけですか。もちろん、あなたは政権担当者の中にお入りになっていないかもわかりませんけれども、しかし、いまあなたの考えられる可能な範囲において、日米安保条約が廃棄されて、在日米軍基地がなくなる、これはもうイコールであろうと思うのでありますが、それ以外に何か道が考えられるというお考えがございますか。
したがいまして、結局日米安保条約が廃棄されるということになると、米軍基地は本土においてなくなると考えてよいということは間違いございませんか。
そこで、これは私は一九七〇年六月二十三日以降と申し上げておりますので、その点はよく御念頭に置いていただきたいと思います。二十三日時点ではございませんが、そこで、そのときすでに沖繩が返還されているとして、沖繩の基地も全部なくなると考えてよろしいでしょうか。
ここで重要な問題が出てくるわけでありますが、いまあなたのお話では、特別な取りきめというか、特別な返還に際しての約束がなければという条件が入る。ここで私がお聞きしたいことは、もしこの特別な取りきめ、特別な約束というものがなければ、日米安保条約がなくなった場合には、沖繩におけるところのアメリカ軍の軍事基地はなくなると考えてよいかということが一つ。 もう一つは、沖繩の返還に際して、あなたは特別な取りきめが加えられるという可能性があるとお考えになって、その発言をなさったのかどうかを確かめて、この二点について確かめておきたい。
したがって、問題を整理して私はお尋ね申し上げているのであって、そこで、そういうふうに言われると、また話がぼけてくる。よろしいでしょうか。日米安保条約が廃棄された状態のもとにおいて、本土の米軍基地は撤去されるのは当然のことだ。沖繩にある米軍基地についても、日米安保条約がなくなれば当然なくなると考えていいと私は思うのです。 ところが、その返還に際して何らかの約束がアメリカとの間に行なわれた場合には、そういうふうにイコールでくくるわけにはいかぬといういまのお考えです。 それでは、そういう特別な取りきめをする考えがあるかというと、返還時における基地の態様については、まだ検討をしておる段階であって、結論が出ておらないから答えられない、
いままで申し上げたことで、賢明な外務大臣はほぼもうお察しになっていらっしゃるだろうと思いますけれども、私は沖繩の返還に関して、日米安全保障条約がなくなっても、沖繩の米軍基地が確保されていくような状態というものがきわめて危惧される。それは何のためであるかというと、日米安保条約に、別に返還協定のときに特別な交換公文をするとか、特別な条約をまた結ぶとか、沖繩に関しては別な沖繩安保と称せられるようなもの——ここまでとうなるかわかりませんけれども、そういう一切のものを含めて、日米安保条約の効力が及ばないというような状態のもとに沖繩の基地が置かれるということが予想せられる、心配である、したがって、そういうものがあるのかないのか、こういうことをお
外務大臣でいらっしゃいますからよく御存じだと思いますが、キューバのグアンタナモ、この米軍基地はいわゆる無期限使用ということになっておる。したがいまして、米軍がキューバのグアンタナモを使用するにあたって結んだ条約というものは、現在の政権ではありません。その後、キューバにおいては革命が起こって政権がかわってしまいましたけれども、政権交代がなされてアメリカとは完全な敵対状態に入っておるけれども、前政権が結んだところのキューバのグアンタナモ軍事基地の無期限使用という義務は残されたために、いまキューバにおいてはグアンタナモはやはり米軍基地として残されておる。したがって、沖繩において、こういうような状態がたとえ無期限でなくても、何年か期限を限ら
さようなお答えになりますと、そうすると、キューバのグアンタナモのような、キューバとアメリカの間に結ばれた無期限使用というような基地の状態、これも含まれて白紙だというふうに解釈してよろしいですか。
したがって、あらゆる可能性、世界じゅうにあるこの基地の問題についてのあらゆる前例、そういうものが全部考慮、検討の対象になると考えていいと私は思うのです。したがいまして、この問題につきましては、こういう考え方も可能性としては残されておるというふうに解釈してよろしいですね。
いまのお答えは後ほどの質問に関係がありますので、よく覚えておきます。 したがいまして、もう一度確認をいたします。この沖繩の返還にあたっての基地の態様はどうあるべきかということを日本側の意見としてきめる場合には、絶対国民世論を無視しないということを約束できますか。
その辺にすりかえがあるのですよ。時間があまりないので、私はこんなことで寄り道しているとほんとうは困るのですが、そういう話が出てきたので、念のために、この際、はっきり私の考えを申し上げておきましょう。 科学技術の進歩、国際情勢の変化、国民世論の動向という、この三つの条件を総理も何べんもおっしゃる。しかし、この三つの中で、どれだけ日本が指導的な役割りを果たせますか。国際情勢の変化のために、あなたは外務大臣として、どのようにアジアの緊張を緩和するための外交政策をとろうとしていますか。日中国交回復すらあなたはきわめて微温的な態度ではありませんか。ましてや、中国の国連加盟を促進するということについてはきわめて冷淡ではありませんか。そうする
問題をはっきりさせるために、私も余分なことを言わないで、もう一度確認いたします。 沖繩の返還にあたって、その基地の態様の日本側の態度を決定するために、国民世論は無視いたしません、十分、十二分に尊重いたしますというお考えがあるかどうか、それだけについてもう一度お答え願いたい。
ここでいよいよ総理大臣に出てもらわぬと話が進まぬととになってくるのです。したがいまして、一応おいでいただくのをお待ちするということになるわけなんですが、何を言うのかわからぬということで御心配があるかもわかりませんので、大体ほぼ輪郭を申し上げましょう。 そこで、いま皆さま方もお聞きになったように、あくまでもこの時点においてもまだ白紙論を繰り返しておられる外務大臣の考え方、これは総理はどうお考えになっておるかよくわかりませんが、きょうあたりから決心をお変えになったかもわからぬ。わからぬが、しかし、外務大臣がそうおっしゃるのだから、おそらく白紙論を繰り返されるだろうと思う。 そこで、これの問題には官房長官も御関係がございますので、
きわめて好意的な委員長のお取り計らいでありますので、この問題については保留をいたしまして次へ進みます。 そこで再び愛知外務大臣にお願いしたいのでありますが、これは一部新聞に報道されましたのでもうすでに御存じだろうと思いますが、一応これは確かめておく必要がありますので確かめておきます。 例の一九六七年十一月十四日、十五日にわたって行なわれた佐藤・ジョンソン会談ですね。いわゆる日米首脳会談と称せられるものであります。この共同コミュニケ、共同声明、この中に、英文と訳文である日本文との間にいささか違いのあることが発見されたわけでありますが、この点について外務大臣のお答えをいただきたいと思うわけであります。私は英語の達者なほうじゃござ
ここであなたと英語の論争をしようと思っていませんが、コンティニュー・ツーというのは日本語でいえばどういうことなんですか。
それでは、コンティニュー・ツーということばがなければこの英文としては成り立ちませんか。
それなら、何で入っているのでしょうか。
なくても現在の日本の訳文というものは成り立つ。しかしこれはわざわざ入っておる。しかしこれは継続という意味である。この継続というのは過去から現在、現在から未来という意味も含まれてくる。こういうことになってまいりますと、これはきわめて重要な問題になってくるのですよ。なぜかならば、沖繩の返還交渉は、またことしの秋行かれて、佐藤総理大臣は今度はニクソンさんとおやりになる。そのときに、アメリカの了解は、沖繩が軍事的なきわめて、いわゆるバイタルロール、死活的に重要な役割りを果たし続けている、未来も包括したコメントであるという主張がなされたときにはどうなさるおつもりですか。
この共同コミュニケが発表されたのは一九六七年です。一九六七年から一九六八年、ことしは一九六九年です。その間に二年の時間が経過して、いわゆる沖繩の軍事基地が果たしておるところの死活的な重要な役割りというのはこのまま続けてきていますが、現にもう二年間そのまま続けて、未来にわたってきておる。これから先も続くとお思いになっているでしょう。そこで、そういう背景のもとにあって、これは単に現状だけの問題を示唆したのではなくて、読み方によれば将来も拘束するのであるという、これは英語の学者がそう言う。それは現状だけのものだという考え方もありましょう。しかし、将来もと言われたら将来も拘束するという考え方もあり得るのですという、こういう解釈をする人たちが