いや、あります。二月の何日か、一番最後の写真なんかみんなそうです。
いや、あります。二月の何日か、一番最後の写真なんかみんなそうです。
あれは部落の代表の者です。
今後は火薬を使わぬで出るところはないと思います。まだ私らの方の捜査が不十分でありましても、わずかだと思います。これから遺体を引揚げるのには、どうしても火薬が必要だと思います。
私はここに今書類と図面を持つて来ておりませんのです、遺憾ながら検察庁の方に行つておりまして……。今まで二年何箇月の間苦心してつくりました図面の中で、何の部屋にはほぼどれくらいという推定は全部しております。それを見ましたならば、大体の火薬の数量とか、あるいは電気切断機とか、ガス切断機でやればどれくらい揚るという目算は立つと思います。今はつきりした数字は即答はできかねると思います。
協定書と言いましても、私の方から進んでやつた、そのことに対しまして向うの返事くらいではないですか。
ちよつと私は記憶がないのですが、向うからのお礼程度の書類は参つておりますが……。
感違いしておりました。あります。協定書はあります。
今委員長に差上げた参考書類の中にもありますように、細部にわたつてははつきりしたことはわかりませんが、兵員室から出ました遺体は一体、食堂から二十一体、あとは全部当時破れた周囲から出た。
はあ。
発見されない部屋と申しますと、あとは食糧倉庫とか、倉庫ばかりですから、出ぬのが私らの考えでは当然ではないかと思いますが、食糧倉庫は五つ、六つあけております。
はあ。もつとも先ほど私が申しましたように、捜査不十分であるかもわかりません。視界が暗いから中がはつきり見えませんから、その点御了承を願います。
それは品物の場合には、大きいものですから非常に目につく。遺体の場合には、人間がそのまま腐らずにあるなら非常に見やすいのですが、ほとんど——全部と言つてもいいくらい骨だけで、肉などついておるものは一つもありません。でありますから、物の下敷きになつたり、あるいは物の間にはさまつたり、あるいはすみの方に寄つてしまつたりしていて、遺体を探すのは非常に困難だと思います。
はあ。今度お出しします。
大体私の方で揚げました火薬カンというものは、黄色火薬でも黒色火薬でもなくて、専門家の人に聞きますと、主砲を撃つときに火薬カンから一応火薬を出しまして、たまを詰めて、あとから火薬を入れるその火薬で——当時瞬間性の、主砲を撃つ火薬が爆発して軍艦が沈んだという話を聞いておりまして、そのためにそれには火がつかずに、ひつちやけたんじやろうと私は推定しているのですが、いかがでしよう。
それだから薬莢と申しますか、たまと一緒についているのは一発もございません。ただ薬莢カンと称するバケツみたいなものだけがありました。それから私らの推定するのには、それは案外火がつかずに、そのまま飛んだものですから、艦体の中でぴしやつとつぶれたのじやろうと想像するような次第です。
はあ。
はあ、社長です。
昭和二十五年十一月の二十日だと思います。
はあ、そうです。
はあ、知つております。