私、当時海員組合の若松支部におりましたが、そういうことはございませんでした。
私、当時海員組合の若松支部におりましたが、そういうことはございませんでした。
存じません。
若松では私聞いたことはございません。
お答えいたします。知合いでありました。
どちらが深かつたかというと、繋がりの仕方が江川君とは若松の地区委員会の常任委員、私は地方委員会における中央部である。それから矢島君との繋がりは、矢島君は私の後輩であるといういわば私的の繋がりでございますから、それでどちらが深かつたかというようなことはちよつと性質が違うのであります。けれども今の御質問で言われたような、江川君が矢島君を同道して何か書類を持つて来たとか何とかいう事実は全然ありません。
つまり矢島君が江川君を仲介しなければ私と会えない関係にあつたのかという御質問だろうと思いますが、そういう関係にはなくて——大体そんな書類を持つて来るということはないはずなんですから、私をたずねるにいたしましても、江川君に特に私のところへ同道してくれというような関係ではございません。たずねて来るとすれば、直接たずねて来るはずであります。
御質問の通りでありまして、第一そんな書類は来たことがないのです、また来べき性質のものではないのですが、もし来るといたしましても、そういうふうな場合に、大きな封箇に日本共産党中央委員会書記局御中というようなことを書くことはちよつと考えられないことであります。税関もございますし、その他いろいろの機関もございますから、特にそんなふうに明記することは、常識的に申しましてもあり得ないことだと私は思います。
江川君は病気になりまして、北海道へ帰ることになつたのであります。ところがその途中、ちよつと舞鶴をまわつて裏日本から北海道に帰りたいということで、そういうつもりならばそういうふうにして帰つたらよかろうということになつておつたわけであります。ところが舞鶴へ行つて、舞鶴でちよつと事件が起つて、江川君は逮捕されました。そのことが舞鶴から九州へ電報が来たのであります。その後釈放になりまして、そうしてまつすぐに北海道へ帰らずに、その逮捕された事情を、好意的にとれば報告にということですが、また九州にもどつて来たわけであります。つまり舞鶴を経由して北海道へ帰るということで一回旅費を出したわけでありまするから、舞鶴から九州にまた帰つて、それから北海道
舞鶴の地区委員会から若松の地区委員会に来たわけであります。
舞鶴では大体引揚船をたずねたわけであります。そうしたところが当時舞鶴の官憲がら逮捕されたという話であります。
解職の理由は、経済的な事情によるだろうということは私の想像でありまして、私がなぜ本部をやめなくちやならなかつたか、本部をやめさせられたかという理由は、本部の方にあるわけなんです。私が先ほど申しました経済的なこともその理由だろうと思います。しかしそう申しましたのは、これは私の想像であります。
お答えいたします。いろいろと財政的な事情もございましようし、それから本人の能力ということもございましようし、またいろいろ問題があろうと思います。そんなふうな点について、私はそれをどうのこうのという考えは個人として持つておりません。
脱党はしておりません。
申し上げます。私は本部から派遣された組織指導部員であつたわけでありますが、海員関係のことが私の唯一の任務ではございません。海員のことだけで、ほかのことは一切やらない、あるいは一切やつてはいけないというのでなくて、たまたま出身が海員であり、船会社におつたので、海員のことは詳しくもあるし、大いにやりたまえということだつた。しかしこれが私の唯一の任務ということではないわけであります。それが一つと、もう一つは海員関係つまり海上区、そういう海員関係の九州における責任者というものはあくまでも九州地方委員会の議長でありまして、私が責任者ではないのであります。先ほどから申し上」げましたように、各地区委員会の常任、海員関係の仕事をする者が月に何回か九
申し上げます。腹臣という意味はどういう意味かわかりませんが、江川君については……。
そういう関係ではないのであります。彼は若松地区委員会の地区委員でありますし、私は先ほどから申し上げましたように九州地方委員会の中央派遣員であるというような関係であります。従つてたとえば門司あるいは長崎の関係の仕事をする人、これらの人はみな——特に江川君が私と親しかつたというのではございません。けれども私が西日本石炭輸送会社におりましたし、江川君はそこの船員であつた。私はその会社におりましたときには記憶がないのでありますが、同じ会社にいたことはございますけれども、特に信頼のできとか、あるいは特に腹臣であつたというようなことはございません。それから先ほどから申し上げましたように、江川君の前身と申しますか、前にいろいろと過去のあつた人間で
お答えいたします。私がはつきり記憶しておると申しましたのは、国鉄の若松機関区に闘争が起りました。そしてこれは記録を見ればわかると思いますが、九州の鹿児島本線はほとんどとまつたことがない。これはいわゆる職場放棄の闘争の前であります。そのときに椎野さんが指導に来られたのを覚えております。しかし椎野さんと私が会つたのは、地区委員会ではなくて、その職場放棄をした国鉄の諸君のために、椎野氏がいろいろ激励の辞を述べられました、そのときに私は会つたのであります。これは記憶しております。
密貿易は日本共産党のためにならない、それはどういうわけでならないか、こういう御質問でありますけれども、これも先ほど来申し上げましたが、第一に密貿易というようなことは、明らかに非合法な手段であります。そしてこういうことで金をもうけるというようなことは、まず世間一般の非難を招くことであります。それから日本共産党は、先ほど来申し上げましたように、いわゆる不正なり腐敗なりというものと闘うということを建前にしております。そういうものが密貿易をやつて金をもうけるというようなことは、党として、私なんかといたしましては考えられないことであります。
私はそういうようなことは絶対にないと思います。
椎野氏が九州へ来た場合には駅に出迎えたか、それから九州をまわられるというときにはお前はついてまわつたかというような御質問でございましたが、これは椎野氏が名士と私が申し上げましたのは、党内での地位というようなことから申したわけです。椎野氏が九州へ来るから出迎えに行くというようなことは、まず私どもの間では考えられないのであります。それから当時ある一時期には椎野氏にも秘書がついていたと思います。従いまして椎野氏の歩くところ一切合財私がついてまわるということは、直接の上下の関係もございませんし、またそんなことは私どもの間ではないのであります。