お答えいたします。何回かは来たことがあつたろうと思いますが、しかし当初からは来ていなかつたと思います。
お答えいたします。何回かは来たことがあつたろうと思いますが、しかし当初からは来ていなかつたと思います。
お答えいたします。昭和二十二年の春ごろだと思います。
お答えいたします。入党したのは、たしか西日本石炭輸送株式会社の江戸丸という船に乗つておつたころだと思います。その前は先ほど申し上げましたように、日本郵船会社にいたことがあるということを私は本人から聞いたと思います。
お答えいたします。西日本石炭輸送株式会社の船というのはたくさんございますが、江川君の乗つておつた船は引船でありまして、若松もしくは苅田というところから石炭を積んで大阪もしくは神戸へ行く船であります。
お答えいたします。今はどうか知りませんが、当時はございませんでした。
お答えいたします。戸畑丸はソビエトの土威から石炭を積んで、八幡の製鉄所に入るようになつて入つて来たわけであります。それで非常な苦労をして帰つた。それのために八幡市なりあるいは製鉄所なりから、何らかの歓迎会と申しますか、慰安会といいますか、そんなふうなことがあるだろうということを予期して帰つて来た。ところがそういうふうなことはさつぱりないというようなことを話しに来られたと思います。そうして、ことにソビエトから帰つて来たことに対し、共産党の方なんかでも全然何のあいさつもない、御苦労という言葉もない、こういうことは非常に不満であるというふうなことを私に話しに来たわけであります。
お答えいたします。九州地方の海員関係の責任者は九州地方委員会の議長であります。
ございます。
山本斎という人です。
そういう新聞記事は見たことはあります。しかしそれがはたしてどういう事件であるかということについては、私は必ずしも新聞記事を信じておりません。
九州地方委員会が割合弱かつたということから、多いときには十人くらい本部から派遣されております。
北九州ときまつておらない。
九州地方委員会に配属されております。九州地方委員会からたとえば長崎なり、どこへなりへ派遣するわけでありますから、本部から若松へ派遣されるとか長崎へ派遣されるということはないのです。九州地方委員会から各県へ派遣するというかつこうになつているのであります。
それは私覚えておりません。
はい。
知りません。
そうです。
お答えいたします。たとえば中央から徳田さんが来られる、たれが来られるというときに報告するということはあります。
お答えいたします。紺野さんは中央から派遣されたかつこうになつておつたのです。それで九州地方委員会の議長であつた、九州地方委員会の議長としては、九州地方委員会の人です。細胞責任者ですから、従つて紺野さんと私が会つたり、話したりすることは当然であります。
必ずしも会つておりません。