先ほど申し上げましたようにしないことはございません。
先ほど申し上げましたようにしないことはございません。
やります。しかし主として若松機関区であるとか、長崎というところへ行つて、折尾というところは何というのですか、鹿児島本線と若松本線と入れ違いのところです。従つてあれは北九州に入らないのです。八幡の一部ですから……。
全然ありません。
お答えいたします。大体旅行するのはきまつているのであります。まあ佐世保、長崎、鹿児島とかああいうところで、九州を一周するわけです。それが大体月のうちの半分以上が汽車の中というような暮しが私の暮しであつたわけであります。従つて夏にお前は若松にいたかいないかと言われても、若松にいたこともあると思うのです、佐世保にもいた、長崎にもいた、始終汽車で歩いておつた。
申し上げましたように、何月には若松にいて、五月には長崎にいて、六月には鹿児島にいるというようなことでなくて、始終汽車に乗つて歩いておつた。
北九州にはどうせしよつちゆう歩いていたと思います。
若松にいたことがあると思います。
大体そういうふうにおつしやれば、月に一回ぐらいは若松に来たことがあるかと思います。
お答えいたします。
江川君の人間をどんなふうに見られるかという御質問と思います。若松におりましたときは、こまかい点とかあるいは金銭的の面、それから若干私行上の問題、そういうことについて欠点はございました。しかし大体において一生懸命まじめに党活動をしました。よく働いてくれたと思つております。人間としては非常に単純で、素朴で、いい面としては非常に人なつこくて純情であつたと思います。それからよくない面としては、逆にこまかいことなどにルーズであり、そのほか私生活に多少ルーズな点がある。金銭関係なんかでも、若干問題になつたこともあります。そういう点が欠点でありました。
当時てんかんとか何とかいうことは、はつきりわからなかつたと思います。ただちよつとわけのわからない病気ということになつておると思います。倒れたときには、私は直接その現場にもタツチしておりませんでしたので、そのへんのことはわからないのですが、病名はあのときも結局わからなかつた、こう記憶しております。
私が先ほど申し上げましたように、今御質問にありましたような労働学校を開いて、みなを教育して行くとか、そんなふうなことが大体私どもの活動だつたのであります。
三回の大きな闘争というのは、大分前のことで、あまりはつきりこまそれとしたところまで知りませんが、大体は給料の遅欠配の問題か何かから引船が一回、二回、三回というふうに、大きく団結して闘つたことがあつたのであります。大体そういうことです。
別個の基礎は持つておりません。要するに若松地区委員会とか、あるいは長崎地区委員会とかいうような一つの地区の機関、つまり今質問者が申されましたことは、海上に基礎を置いた何とかと言われましたが、そういうことは結局党の政策が海上にもぐんぐん浸透して行くということを言つておるのだろうと思います。
読んだ記憶はございます。はつきりこまごました記憶は今覚えておりませんが……。
党員であるということの立証は各機関にあります信任状が当ります。それから何か秘密党員というようなことを言われましたが、海員関係におきましても、党員はそれぞれ地区委員会あるいは細胞というようなことで届出がしてあるのでございまして、秘密党員ということはございません。もちろんお互いにわからないことはあります。それはそれぞれの所属の地区であり、各地区が全部連絡し合うということはございませんから、お互いにわからないことがあるということは当然であります。しかしそういうことは秘密党員であるとか何とかいうことにはならないのであります。
ございません。
そういう記憶はございません。
そういう事実はないと思います。
申し上げます。江川君に対して直接入党を勧告したことはございません。