私の友人です。
私の友人です。
いえ、違います。
九州の若松に住みましたのは昭和二十年の夏であります。
昭和二十三年の春でございます。
現在は無職であります。
今就職先を探しております。
まだ一月くらいです。
その前は、先ほど申上げましたように、党の本部の勤務員であります。
そうです。
いいえ、昭和二十二年の春です。
私が初めて江川君と会つたときには、党へ入党の手続中でございました。
大体私、直接入党を勧告するというようなことは、あまりしたことがないのです。
ございません。
会うことは会つております。
江川君と初めて会つたのは昭和二十二年の春ごろでございました。
そうです。
そういう党の前途のためとか何とかということについて語りあつたことは始終あります。
そういうことはございません。それはまつたく逆であります。密貿易をするというようなことは決して党のためにもなりませんし、それから、これは江川君に聞いてもらえばよくわかることでありますが、先ほど委員長が申しました労働学校というようなことを私やつておりました。当時昭和二十二年の秋ごろは、大体において終戦後船員の賃金は非常に安くて、商買とか密貿とかいうことが盛んであつたころであります。江川君は西日本石炭輸送会社の船員でありました。これは引舟で石炭を積んで輸送するのでありますが、あそこで私が一番問題として取上げたことは、大体船員が石炭の抜荷をしている。あるいは荷後炭と申しまして、石炭を揚げたあとに石炭が残る。そいつを金にかえる。あるいは北海道
先ほどから申し上げましたように、江川君は若松地区委員会の常任でございます。それから椎野君は九州地方委員会に本部から来ておられた名士でございます。従つて各地をまわられることもございましよう。大体各地の地区委員会の地区委員その他を覚えたり、地区委員会をまわつたりするわけであります。従いまして、いろいろな人に会つたりなんかするのです。私は始終若松にいたわけではございません。若松におりましたり、あるいは長崎に行つたりなんかしておりました。従いまして、私が特に紹介しなくても、若松地区委員会の常任である江川君が、椎野さんと知り合つたりすることは当然あり得るわけです。
承知しておることもあるだろうというのです。