御質問の趣旨は本当によくわかります。これはやはり大いに努力を続ける、こういうことだと思います。(発言する者あり)
御質問の趣旨は本当によくわかります。これはやはり大いに努力を続ける、こういうことだと思います。(発言する者あり)
鈴木議員の熱意は十分わかります。これはよくわかります。したがって、私も誠意を持って最善の努力を傾ける、これをお約束します。
鈴木さん、これはやはりあなたがひとつ地元をおまとめになって、そして上がってくるのを待っているといっても、これはなかなか能率が上がりませんな。だからひとつ地元の要請そして時代のニーズにどう合っているのかとか、そしてまたその利用効率が上がるものでないといけませんね。これはむしろ地元の人たちはあなたを頼りにしているでしょうね。ですから、積極的によそも見られたり、いろいろなアイデアを出されてまとめ役に回っていただく、それで審議官とまた話をしていただけば対処のしようはあるし、簡素にして能率的な官庁づくりをやっておる総務庁ですから、ただ漫然と待っておるというだけじゃいけませんね。だから、どうぞそれはひとつ積極的にやってください、関係者と一緒にな
これはやはりもう四十年もたち、これからも相当困難が予測される日ソ交渉、これは速やかであれば言うにこしたことはありませんが、四十年たち、だんだん知っておる人たちも逆に減っていくというような事態に、やはり啓蒙運動ということは私必要だと思います。よく検討いたします。
大変熱心な、郷土愛に燃える御質問だと思います。私も、関係閣僚に、よくこの事態を認識して協力してくれるように要請をいたしたいと考えます。
先ほど御指摘のありましたとおり、一九五六年の鳩山・フルシチョフ会談、これはやはりこのときの共同宣言は大事にしなければならぬと思います。それから、一九七三年、田中元首相とブレジネフ会談、これの共同声明においても、やはり領土の問題が戦後未解決の問題ということで確認をされておる。 私はそのときの問答、外務省に保存された文書を読んだ記憶がありますが、戦後の未解決の問題ですね、「はい」となかなか答えない。もう一度お尋ねします、。これは共同声明にも関係しますから、未解決の問題と理解してよろしいですね、「ダー」、「はい」と答えておるのですね。それからいろんな話があって、もう一度重ねて念を押します、共同声明の関係もありますからもう一度お尋ねしま
これは政治的な問題ですから、私から御答弁いたしますが、むしろ西側の国として日本は、武装においても非常に少数精鋭主義をとっておることは御存じのとおりであります。ソ連から見たら全く比較にならない。そこに日米安全保障条約がある。しからば西側の西欧諸国はどうであるのか、そういうことを思いますときに、例えば西ドイツのごときは、いまだに空軍を中心として二十万余の米軍の駐留を懇請して、現在もまだドイツ国内に駐留しておるという状況ですね。 そういうことを考えますと、日本の防衛の現実、それから外交的な、今の日米安保条約というものは、随分日本としては前の戦争にかんがみて、攻撃はしない、攻撃を受けたときは当然独立国として、自分の国はまず自分の手で守り
経済的に向こうの要請を断ったというのはアフガニスタンのあの事件があってからというふうに理解をいたします。そのほかにもあったかもしれませんが、特にアフガンの問題以来顕著ですね。これは、我々日本としては経済的に、アフガンの問題については不当な侵略をしておる、やはり早くこれが円満に解決することを望むという意味も含めて、拒否をしてきたという経緯もあろうかと思います。しかし何といっても、相手の外相が日本を訪れ、そして八年ぶりにとにかく安倍さんと定期協議をしようということでテーブルに着いていろいろ話し合いをする、これはやはり大きな前進だと思います。領土問題はもちろんでありますが、他の問題についてもお互いが話し合いをする、そのうちに、話し合いがた
今外務省の説明のとおりだと思います。 それから、中国でも、文化大革命の当時周恩来首相に私会ったことがありますが、当然これは日本の領土ですよ、日本はもっと強く主張して固有の領土を取り戻されてしかるべしだということで周恩来首相でもその当時、随分以前の話になりますが、言っておるくらいでございまして、国際的な環境の理解というものは相当あると認識します。
これは事務的には返事がしにくいと思いますよ、予算も伴いますしね、もちろん各省庁との合議もございましょう。 私は、北方領土返還の運動というものを末永く続けていくためには非常に必要、重大な思いやりを広げる措置であるというふうに午前中も中川君の質問に答えたところであります。私は、政治家として、特に担当大臣としてはそういう方向で鋭意検討を進めたい、かように考えます。
目の前に自分たちのもと大きな漁場がある。これは本当に、冒頭仰せられたとおり大変なことでございまして、私は漁民の人たち――もともとが日本は漁猟民族ですから、そういうことを考えましても、十分御趣旨の点はわかります。責任を持って最善の努力をしてまいりたいと考えます。
これは仰せのとおりで、私もそのとおりに認識をいたしております。 しかし、この一月に、とにかく八年ぶりに両者の間で交渉を粘り強く継続しよう、こういう話し合いができたことは一歩前進である。テーブルに着くことができた。お互いに顔を合わせてよく話し合えば話というものはまたほぐれようもあるのではないか。午前中からもしきりに繰り返しておりますように、やはり相手方にも言い分があるだろうし、こちらの言い分は当然な根拠を持って言っておるわけですが、日本に対する期待もありましょうし、そういうことも含めて今後十分話し合いを続けていく、これは外務大臣、外務省へ我が序としても強く要請をしておるところであります。
これは私がお答えしても、むしろこれから対話をする外務大臣自身に聞いていただかなければならぬので、ちょっと見当違いな答弁になるかもしれませんが、それぞれの国益を担い、それぞれの主張を持ってお互いが話し合いに臨むわけですね。それには当然、従来の主張、従来の考え方というものはありましょう。双方、これは卑屈になる必要はありませんね。やはり国益を踏まえながら話し合っていく。しかし、話し合いというのは、けんかするわけではありませんが、時には言い争いになることもあります。言い合いや対立すること、これは外交交渉においてはしばしばあるでしょう。しかし、やはりテーブルに着いて話し合っておるうちに話というものは、話の糸口というか解決の道が出てくる、ほぐれ
これは非常に重要な政治問題ですから私からもお答えしておきます。 今サンフランシスコ平和条約でちゃんと記録的にもある、こういうことを言っております。私もそれを支持するものです。それから、歴代外務大臣が国連の場において発言しておることもしばしばでありますし、当然固有の領土はそれをどの国も没収したり領有はしない、こういうことで始まったわけで、それが沖縄の信託統治という形になって、アメリカは信義を守ったわけですね。それから、特に歯舞、色丹へのソ連軍の占領についても、もう既に終戦が宣せられて、その後随分おくれて御承知のように進撃してきた、そこを占有したということも明らかなとおりでありまして、そういうもう戦争が終わってからの占領であることも
これは人道的な問題ですし、もう既にソ連課長からお答えしたとおりであります。したがって、我々総務庁としても、外務大臣が訪ソする日程がしっかり決まれば、今からそのことは強く要請しておるところでありますが、なおなおこれが具体化するように、特にその当時は、火葬というよりも土葬の習慣もあったようですから、そういうことを考えれば、やはり墓参がしたいという念願というものは非常に強いと思います。御趣旨に沿って、ぜひ最善の努力を外務大臣に要請いたしておきます。
これは、貴党からも正木政審会長の御出席をいただきました。そして、各党派を超えて激励をしていただいたところであります。 やはり領土の返還というものは、もともと固有の領土であるという根拠を持ってこの話し合いをしておるわけなんですが、何といっても国民の結束が第一義であります。四十年もたつというと、どうしても――先生のように、北海道でなくても関心の深い、こうして一生懸命御質問していただく方もありますが、どうかすると忘れがちな人もないわけではない。これは、絶えず粘り強くという意味は、やはり絶えず国民的合意を持って、そして強くソ連に迫り、国際間に訴えていくということが必要であるというふうに考えております。しかも、この北方領土返還都道府県民会
ソ連の研究、これはもう御指摘のとおりで、大変必要な御指摘だと思います。そして、ソ連研究者、外交専門家、法律家、有識者、そういった人たちと北対協において定期的な会合も持っておるところであります。そして、北方領土に関するいろんな情報、意見の交換、これなどにも留意をしておるところであります。何といっても一八五五年、安政元年のあの日露通好条約というのははっきり決めたのですから。もっとその前にも文献は幾らもありますね、間宮林蔵、松前藩の時代からの。しかし、そういうことの研究ももとより必要ですが、ソ連の研究が最も必要だということは同感でございます。今後十分努力をしてまいりたいと思います。
これは極めて大事な御指摘だと思います。今ソ連課長から申し上げたとおりでございまして、政府は鋭意やっておる、民間には数が少ない、これは確かに私もそういう認識をしております。やはり隣国なんですからね、しかも巨大な、強力な隣国ですから、その研究をするということがいかに必要か、これは御指摘のとおりでございます。政府としても今後格段の留意を払いたいと思います。
これは私非常に重要なことだったと思います。それは、古い話はさておきまして一九五六年の鳩山・フルシチョフ会談、そして一九七三年の田中・ブレジネフ会談で、先ほど社会党の委員の皆様からもあのときの平和条約の締結の仕方についていろいろ疑義があったではないかという御質問もありましたが、そのとき、例えば鳩山・フルシチョフ会談のときには歯舞、色丹に触れておりますね。返還可能のような言辞を弄しておるということ。それから一九七三年の田中・ブレジネフ会談では明らかに戦後の未解決の問題であると北方四島については考えておる、「ダー」と言ってブレジネフが認めておるのですね。そういう経緯があるということから一転して、戦後これはもう解決した問題、全部済んだ問題だ
御質問の御趣旨は全く同感でございます。なぜ外務大臣になったのか、その経緯は外務省の方からお答えをさせます。