病気です。
病気です。
私にははつきりわかりませんが、てんかんのような病気です。
私は私の戦死した兄貴に限つては絶対そんなことはなかつたと確信しております。
私最近ずつとうちに帰つておりませんから、うちのことはあまりわかりません。
関心はありますけれども、私が共産党のオルグとして歩いておるころは、おそらく自分のうちの生活ということは考えられなかつたということは、共産党の方はみんな知つておると思う。
関心を持つております。そういうような状態をつくるために、私は非常に努力しております。
私はやはり仕事というものにすべてを打込むということから始まつて行くと思うのです。うやむやで働いていては自分の将来も何もおそらく手につかぬと思うのです。そのためにもこういう問題もはつきり解決したいということなんです。
証言してから北九州に行つたのは、私は九州には党員以外の友達もたくさんおりますし、また非常に会いたい人もたくさんおるのです。それで北海道から汽車賃をかけて九州まで行くというのは、今後一生のうちに行けるかどうかわからない状態なんです。それでここまで来て大体半分来ているし、それにまた自分も九州において、党にいたころ、それをまだだれか知つている人がいるのじやないかというようなことから行つているわけです。
そうです。
そうです。
お答えします。それは私が炭鉱からここに出て来まして九州の方に行つたというのは、それは私自身の意思によつてあくまでも動けると思うのです。どこからか金を借りて、今後何年間も負債でにつちもさつちも行かなくなつて金を借りて行つたとか何とかいうのであれば、私はうちの生活も考えない、自分の生活も考えないということもありますけれども、そういう負債も何もない。私が十日や一週間の旅行をしたからといつて、それは問題にはならぬと思う。
お答えします。私は普段陸上の何か事務的な仕事とか何とかいうのであつたなら、それは私からも進んでやります。だがこれを解決するまで——炭鉱といえば非常に危険な所なんです。いつ何どき頭の上から石が落ちて来るかわからぬ、炭鉱は始終人の死んでいる所です。そして穴の中に入るのに、私はこういうことを行き当りばつたりその場で考えるというようなことでなく、自分で確信を持つためには非常に考え、いろいろ気持を使います。やはりこれを解決するまでは、私の気持というものも、そんなうかうかして、何でも、いつでも、どこでも、どんな気分でもということは絶対できません。そういうような気分の者があの炭鉱の何千尺もある底の所で仕事をして、もしけがをしたらこれはうやむやにな
そうです。
証言いたします。私が今度北海道から参りましたときには、汽車賃も足らなくて、急行でなく普通で参りました。そしてここで旅費、日当をいただきました。その旅費、日当で九州に行つて、ここに北海道に帰るだけの汽車賃はありました。
それは詳しくどういうふうに使つたか、どうしてやつたかというてとはわかりませんけれども、ここでもらつたのは一万一千九百円、はつきりしております。
船員部長——日本郵船の船員部長ということもあるし、また配乗係、配乗監督または船員係というのは、あそこは船の上下がありますから、船員をあずかつている関係上、まああると思います。
あります。
密告というのは、私が党員として活動している場合に、その機密について相手に知らしたというのなら、密告になるけれども、私が全然党員でもない、何でもないということでありますから、今後の海上のあり方、今後の民主主義についてというような問題だつたら、密告にならぬと思うのですが、まあたよりしたということは事実です。それではつきりすると思うのです。
出しています。
三月か、それよりも前じやないかと思うのです。