本日は、平成十年度の予算案が夜にでもこの本会議場で可決されようというときに、極めて多事多難、緊迫した中にもかかわりませず、この私のために表彰の本会議を開いていただきまして、まことにありがたく、厚くお礼を申し上げます。(拍手) 私は、宮崎県のしがない百姓家の八人兄弟の次男坊としてこの世に生をうけました。一九二九年、ニューヨークのウォール街の株式の大暴落を契機として、世界は大恐慌となりました。我が国の産業とても例外ではなく、町には失業者があふれ、そして、農村は塗炭の苦しみに陥ったころであります。 私どもが小学校のころには、四キロの道を、今ごろははだしで通っていました。ほとんどの友達は、新しい教科書を手にすることもできませんでした
