総理の答弁の全体から見ますと、必ずしも満足な結果ではなかった、いろいろ分析をして次へ進まなければならない、こう受けとめてよろしいでしょうか。
総理の答弁の全体から見ますと、必ずしも満足な結果ではなかった、いろいろ分析をして次へ進まなければならない、こう受けとめてよろしいでしょうか。
私はこう思うのです。やはり文部省一省の力に限界があった、だから今度は総理の直轄の機関をつくった。また、今の世論の問題もあったと思います。財政問題、財政がだんだんだんだん厳しくなりつつあった。非常に金のかかるようなプランがここに出されておりました。 私は、そういう問題も含めて大蔵大臣にお伺いしたいのですが、中教審答申、大蔵大臣もごらんになり、いろいろな議論があったことに参画をされておられたと思いますが、この中教審答申が思うようにいかなかった原因の中に、財政上とても負担し切れなかった。今総理には御質問いたしましたし、また、密室討議で国民の合意が得られなかったという批判もあったわけです。ですから、いろいろ激しい討論がある。今新聞に報ぜ
文部大臣いかがでしょうか。所管をしていらっしゃって、臨教審と中教審は当然対比していらっしゃると思うのですが、特に財政需要の問題で、これから臨教審がいろいろ提案をする教育改革、これは大変お金のかかることだと私は思うのです。現に中教審もそういう数字を出しているわけですね。この点について、文部大臣いかがでしょうか。
私は今の文部大臣の御答弁を伺っておりまして、理解できる面とそうじゃない面とあります。つまり文部省一省だけではいかんともしがたかったというのは何かと言えば、私は財政の問題であったろうと思うのですね。たしかあの幼稚園の問題も非常にお金のかかることでございます。 総理、この表でお気づきだと思いますが、かなり大学の改革は進んでいるのですね、中教審以来。筑波の問題、共通一次の問題あるいは単位の互換制の問題、あるいは大学院大学、大学院を独立しただけの大学を設置する。ところが、残されているのは、大体初中教育、つまり小学校、中学校、高校、この部分のいろんな弾力化、それから画一化を廃するということが残っているわけです。したがって、結局今日言われて
国民の関心が高まってくれば大蔵省もお金を出さざるを得ない、こういうふうに総理答弁ですが、大蔵大臣、これから大変な財政が厳しい時代に差しかかるわけでございます。六十五年までに国債発行をゼロにする、大変な努力目標だと私、この委員会で伺いましたが、これから臨教審からいろんなプランが出てまいります。これは、教育についてそれなりの予算を確保して教育改革を進める、総理はそういうふうな御答弁ですので、大蔵大臣もぜひその辺について御決意のほどを、御所感を承りたいと思います。
ちょっと話を別にいたしますが、なぜその中教審答申が思うように動かなかったかというこの分析につきまして、今度、PR誌をおつくりになったわけです。この「臨教審だより」というのは大変立派なものができまして、この中に、当時この中教審答申に関与された西田亀久夫さん、当時の審議官の文章があるのですが、要するにこういうことをおっしゃっているのですね。初中教育においては、「多様な教育課程と教育方法の個別化が提案されたが、時代の大きな転換に気づかない教育界の一部では、このことを昔ながらの差別と選別の教育と誤解して反対した。」高等教育への指摘も同様である、こんなふうに言っておりまして、一部には世論が十分に熟さなかったという総理の御指摘が当たっていると思
総理の御答弁を聞いていると、臨教審のこれからの議論は要らないみたいなんですね。総理に結論があると。 要するに、差別か選別かという問題は、確かに総理のおっしゃるような受けとめ方もあると私は思います。しかし、たくさんの財産があって、こういう部屋もある、こういうコースもある、どれかをおとりなさいというのなら、それはいろいろな道があると思います。しかし、限られたところで競争して、受かった者だけがそれぞれそういう学習の方途が与えられて、そうでない者は仕方がないということで、結局二つに分かれるのですね。これを分類というのか。分類とは言えません、やはり差別ということになると思うのですね。私は、国の行政の最高責任者として、悪平等はいけませんよ、
先ほど総理の答弁の中で、現場の声はいろいろ取材すればいい、出かけていって聞けばいい、来てもらってヒアリングをすればいい。これは確かに内容だけ聞く分にはいいと思うのです。しかし、教育改革は国民の三分の一ぐらいが関係があるわけです。子供たちが学校へ行っております、非常に多くの方々がいろんな角度から関係がありますので、私は、一筋縄ではいかない。だれかがつくって、これで行け、はいそうですかというふうになるには大変なことだと思うのですね。したがって、やはり若干時間かかかりいろいろ経過があろうとも、私は、そういう現場の声を、お客様扱いでゲストとして来ていただいてお伺いしましょうというのじゃなくて、自分たちもこの改革に参画したのだという、ここが非
まあ確かに総理は個性的な、強固な意思と、これは竹入委員長に対する答弁なんですけれども、強固な意思とある程度の個性を持った人があそこへ入らなければ、なかなか現在のかたい殻を破るわけにはいかない、こう答弁されていました。 しかし、週刊朝日なんかを見ますと、これはこのとおりお話しになったかどうかあれですけれども、「教育改革は文部省の垣根を取り払ってやらなきゃいけない。自分の残された任期は限られているが、やるだけやる。文部省と日教組が共同戦線を張っているようなものだから、専門委員には荒業師を入れた。批判は覚悟のうえですよ」、こういうことなんですね。ですから、声を聞くなんていう姿勢じゃなくて、ともかく壁を破るんだ、荒わざ師でまあ一つの大き
これは議論の分かれるところだと思うのです。 私は総理の答弁を聞いておりまして、分析とか立案については確かに大局的なそういう方々が必要だと思うんです。しかし、具体的にそれを進めていくという観点には、今申し上げたような根回しだとか参加意識だとかが必要だと思うのです。総理の今の段階の――今の段階だからそうだと仰せになるのかもしれません。これから、臨教審の正委員は二十五人というふうに法律で決めてありますのでこれ以上はふえませんが、これからいろいろ進めていく、そして決めたことをやらなきゃならぬ。私は、中教審ができなかった原因の中には、国民的な盛り上がりが欠けていたと思うのです。だれが説明に行ったのでしょうか。中教審はお上の決めたことだ、こ
中教審ではそういう調査をしなかったということですが、そうじゃなかった、四年もかかっています。いろいろな角度の調査研究などがなされていると思いますが、ここではそれは余りこだわりません。 今総理の御答弁を問いておりますと、やはりつくって、それからみんなに見てもらう。参加というものがいかにこれだけ大規模な改革に大事か。これから国鉄の改革の問題なんかも議論されてくると思うのです。結局国民の協力、それが本当に得られなければ何事も進まないんじゃないかな、特にこれは財政の問題で私言えると思うのです。 これは私の感想なんですけれども、今国会を見ておりまして、歯どめ国会なんて自分で思っているのです。非常に歯どめ論が多いのですね。要するにGNP
今度は臨教審にお伺いしたいのですが、先日文部省が大学教員の社会人登用について発表したのですが、この件は臨教審としても関心は持っていたはずなんですが、事前に連絡があったでしょうか。
私見ておりまして、臨教審と文部省の間に教育に関するテーマの一つの区分があるんだろうかという心配をしているわけです。今お話が出ましたように、臨教審でいろいろ言っていることについて文部省は建前として関与しない、別個に研究はしているけれども。別個に研究していない問題がもし出たらどうなるのか。関与しない。したがって、ぼんぼん新聞には部会長の、あるいは個人のメモが出てきます。今度は、大学はみんな共通一次試験は民間も入るのだ。新聞を見ているとそうなるかのような印象を受けるわけです。議論は結構だと思うのです。しかし、制度の問題のように国民は受け取りはしないかなという心配をするのですね。 ですから私は、今のように大学の教員の社会人登用について文
私の手元に文部省が資料をよこしまして、アンケート調査があるのです。これによりますと、五十九年の三月、割と新しいアンケート調査なんですが、新聞各社あるいは通信社も入っておりますが、非常に多くの共通項がありまして、まず教師の質の向上あるいは道徳教育の充実、大学の入試制度、偏差値による進路指導、塾通い、教員養成制度の改革、教育費の負担増、こういうふうな、ずらっと並べますと、共通しているのは道徳教育という指摘があるんです。 この道徳教育については、先ほどこの二つの資料をごらんいただきましたけれども、中教審も臨教審もなかなか文言として触れてないんですね。私はこの道徳教育、非常に大事だし、道徳、しつけ、これについて両者とも、大事なことはわか
次に、教育改革のプログラムについてお伺いしたいのです。 六月に入試改革などを柱とした第一次答申が出るわけでございます。この答申後の処理はどんなふうにお考えでしょうか。
必要な改革のための法律が出れば、秋の臨時国会ということも考えられますが、可及的速やかに総理としてはそれに手をつけていこう、あるいは三年後に答申がずっと完結していくわけですが、それまで待って、そこから動くか。こういう問題について、非常に重要な先ほどのようなかなり国民が何とかしてほしいという問題が山積しているわけですから、私としては、そういう問題から手をつけて、次々に法律を上程して解決を図るべきだ、こう思いますが、秋、ことしじゅうにも何か新しい一つの法律を用意して、それに手をつける、こういうふうに期待をしていいんでしょうか。
二月の十一日に臨教審の第一部会がメモを発表いたしました。二泊三日の大変精力的な集中審議で、今まで例のなかったようなことなんですけれども、その中にメモが掲げられておりまして、画一主義から個性主義への移行、こういう問題が出てまいりました。 個性主義という問題につきましては、きのうでしたか、第一部会長の天谷さんの新聞のインタビューがございまして、京都座会の提言とかあるいは香山健一第一部会長代理の主張を自由化だとするならば、個性主義と中身はかなり共通している。私はいわゆる自由化、塾も学校にしていい、学校へ行かなくても、親が教育してもそれを学校卒業と認めてもいい、あるいは社会人が教育者として初中教育の段階から関与してもいい、いろいろな提言
私、今御答弁を伺いまして、最初に総理にこの問題の認識についてお伺いしたんですが、総理は教育基本法を守ると、ここでも何度も答弁しておられます。余り繰り返しになって恐縮なんですが、この場で、話の流れの中から教育基本法を守るというふうに私、理解してよろしいのか、再度確認をさしていただきたいと思います。
そうしますと、今の法制局長官の答弁を伺っておりますと、機会の均等というのは、場を与えればいいんだ、中身は必ずしもひとしくなくてもいいんだ、これは非常に重要な部分だと思うのです。 前に、たしかテレビだと思うのですけれども、教科書あるいは教科内容、これはもう断然ゆるがせにできないんだ、こう文部大臣はテレビでもってお答えになっているのを私拝見しまして、教科書というのは非常にきちっと守っていきたい、あるいは教科内容、カリキュラムですね、これを守っていきたい、こういうような御趣旨だったと思うのですが、今の法制局長官の答弁を伺っていますと、ちょっと食い違うのじゃないでしょうか。食い違いませんか、御答弁いただきたいと思います。
そうすると、今の法制局長官の教育内容は自由だというふうな受けとめ方、自由だというふうにたしかおっしゃったと思うのですが、これは、今の文部大臣のお話から伺いますと、教育課程というのは、責任を持って課程は決めてある、教育基準は平等にいくように決めてある。しかしながら、それを実際に教室でそのとおり教えなくても、ここははしょって、ここは詳しく、そういう状況の変化があっても構わない、こういうことですか。ちょっとその辺確認したい。