私は対韓であちこちでおしゃべりをしておりますから、恐らくあったと思っております。
私は対韓であちこちでおしゃべりをしておりますから、恐らくあったと思っております。
私は当時の外務省の主管者といたしまして、外交的決着が一日も早く行われることを心から希望しておりました。その発言でございます。しこうして、恐らく御指摘の点は、四十八年、事件が起こった年の十一月二日に金鍾泌首相が見えまして、田中総理との間でお話し合いなすった。そのときに、われわれ日本の方からは、金東雲という人の容疑があるということを言ったわけであります。これは調べますということになっておるわけです。その調べがまだ終わってなかったということを指しておるのだろうと思います。記憶がずいぶん薄れておりますけれども、ただいまそのお話を伺って、恐らくこれは、その時点で金東雲に対しての容疑はまだ調べておらなかった。しこうして、金鍾泌氏は十一月二日の田
その点は私の記憶がはっきりいたしておりませんので、後刻ただいまの書類を拝見いたしまして、もう一度その全体のコンテクストにおいてお答えいたしたいと思います。
お答えいたします。 国際協力事業団の予算は、昭和四十九年度は二百二億六千九百万、昭和五十年度は三百三十億三千五百万、五十一年度は三百七十六億五千三百万となっております。 御指摘の理事の数でございますけれども、法律上は十二名以内となっております。現員は十一名でございます。さらに、このほかに非常勤がございまして、非常勤理事は六名以内となっておりますけれども、現在は二名でございます。それが実情であります。(武藤(山)委員「給料は」と呼ぶ)給料は、理事は月額六十四万円でございます。(武藤(山)委員「全部同じですか」と呼ぶ)全部同じでございます。(武藤(山)委員「非常勤は」と呼ぶ)ございません。
間違いございません。
この済州島の問題は、実は私が事業団を引き受ける前のことでございまして、私はその意味で詳細承知しておりません。しかし、調査の結果、まだ動いておらぬわけでございまして、当時しばしば新聞その他でも議論されたことは御存じのとおりでございます。
私は、当時これが広く議論せられたことを承知しておりまするし、われわれは実施機関でございますから、政府関係諸機関の御決定に基づいて実施をするわけであります。調査もその一環でございます。したがいまして、これは政策の決定がなければわれわれは進めないわけでございます。したがいまして、当時私は新聞紙上で詳細関係官庁の方々から御説明があったことを承知いたしております。
経済協力事業団は、御案内のように、海外技術協力事業団の事業並びに移住事業団の事業を受け継ぎまして、前者は後者とともに十年以上の経験を重ねたのでございまするが、その間、一方日本経済の進歩が急激であり、しかも、なかなか未経験のことも多かったのでありまするから、御指摘のようなこともあったのは事実かと思います。 しかしながら、元来海外技術協力について申しますと、これは技術の発展しない諸国についてその国の技術のレベルを上げていくということ、したがって、これは技術を移転するわけでございまするけれども、その際大事なことは、外務大臣が指摘されましたように、先方の国々の必要とするところ、ニーズ、何がその国に必要なのかという先方の希望を十分聞きまし
これは、いろいろ尿素であるとか、あるいは化学工業施設であるとか、そういったものの名前をあげております。そうして、これは目下商社に話をしようとしておる、またしたものもある、こういう趣旨の覚え書きでございます。
その点は必ずしも明確ではございませんけれども、いろいろな施設の名前をあげまして、総額三億五千万ドルぐらいのものを注文したいと思っておる、こういうことでございます。
ただいま私のモスクワ在勤の時代のことに御言及がございましたから、一言お答えいたしたいと思いますけれども、これは、日本は平和的意図しかないんだということについて常に声明をしておるわけでありますし、過去においても、日ソ交渉の過程におきましても、常に日本は平和以外に考えておらぬということは先方に十分説明しておるわけでありますから、(穗積委員「アメリカの軍事基地があるじゃないか」と呼ぶ)——それは本土のことでありまして、系争地域にはないのでございまして、したがって、そのことはしばしば明確に平和的意図を述べてあるわけでございますから、問題は、日本政府が過去の交渉において述べてきた平和的意図をいかなる程度において信ずるかという点にあると思います
文化、科学の交流と、それから航空問題につきましては、いま双方具体的に案を出し合って交渉中でございますので、これはそのうちのあるものにつきましては非常に早く進むかとも思われます。あとの航空問題も、双方案を出し合っておりますから、審議中でございまして、これはこまかい点がたくさんございますので、目下双方とも話し合いをしている段階でございます。
これは先方の漁業の主任者であるイシコフさんがいまモスクワにおられないために、大体これが帰るのを待って本日かあす行なわれるというふうに聞いております。
政府としましては、ある方法でこの協定に対しては異議がないということをソ連側に通告することになっております。
ただいま水産庁長官の言われたとおりでございます。
この点は御承知のごとく政府は昭和三十二年以来交渉を続けてまいっておりまして、今回はそのごく一部について幸いにして妥結に近づいておる、こういうことであります。政府としては言うまでもなく、今後とも安全操業の問題につきましてはあらゆる機会を利用してソ連側と話を続けていきたい、かように考えております。
安全操業の問題は、実は昨年の五月日ソ間の漁業交渉の際に、高碕先生並びに当時の農林大臣河野大臣が話をされたということにごく最近は端を発しておりまして、その話がずっと生きてきているわけでございます。これは非常にけっこうなことで、私は今回ソ連が日本の要求に聴従した、そして民間協定の形で運ぶことができた、たいへんけっこうなことだと思っております。しかしながら従来の安全操業の問題は、先ほど申しましたように、われわれといたしましてはやはりあらゆる機会を利用してソ連と話をする、こういう態度を続けていくべきであると考えております。交渉のことでございますから、先方の出方その他を見合わしていかなければなりませんので、いまからこうするんだああするんだとい
漁業関係抑留者は終戦以来百十九名くらいだと記憶しております。
終戦以来コンブに関連して抑留されておる人数は、これは記憶ですけれども、大体七十名前後じゃないかと思います。
これは事件が起こるつど返還を要求いたしております。事実その結果だんだん帰ってきていることも御承知のとおりでございます。われわれといたしましてはこういうことができた機会にまたひとつ抑留漁民の返還を交渉したいという意図を持っております。