浦
浦和充子
1948-11-26
参議院・法務委員会
浦和が兵隊に行つている留守を私がやりましたけれども、本人がいますときは、たとえ一年いたときでも、自分でやつていたものですから分らないです。
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浦和が兵隊に行つている留守を私がやりましたけれども、本人がいますときは、たとえ一年いたときでも、自分でやつていたものですから分らないです。
そんなことはありませんでした。
はあ。
私の父親がおります。
それから兄さんとお嫁さんと、それだけです。
七十今年四になりました。
はあ。
はあ。
はあ……。
実家は微祿しちやつておりますから、現在は樂じやありません。
いいえ自轉車屋なんです。
家は自分の家なんです。
……。
それは東京にいましたとき、袋物をしている頃に残した金をしまつておいたので買つたのです。
そうなんです、六千円です。
そうなんです。
私それで随分喧嘩したりあれした。復員して帰つて來てから、こんな御時勢に、何をやつてもとても食べて行くような仕事はないと言うから、元の印刷の方を始めなさいと言つたのです。併し機械を燒いてしまつて、新たに機械を買うまでお金がなかつたのです。そのために、俺は闇だとか、ああいうことは絶対しないと頑張つてそれでお魚、側に川がありましてその川から「うなぎ」やなんか取れましてね、それを賣つて暮したこともあるのです。ですけどその暇々に遊びに行つてお酒を飲んだ揚句に博打場に入るようになつちやつたのです。
はあ。
暮しました。
家を買つた残りで暫く暮して、それからお金がなくなつてしまうから、本当に考えて呉れなければ困るという話をしてから魚取りを始めたのであります。