いいえ、いつでも……。
いいえ、いつでも……。
そうです。
自分で全部握つておりますから。
はあ。
兵隊に行つてるときはやつたが、帰つて來ると皆自分で掴んで……。
やりました。
そのときには、私が何しろ生活して行く物資というものが、お醤油にしろ、お米にしろ、味噌にしろ、塩にしろ恐らく一切合切闇で買うのだから、少しは闇しなくちや生活できないと言つたのです。それで、野田町の藤井兼とか、何とかいう人が、炭をですね、トラツク一台持つて來て賣ると幾ら幾ら儲かるから、浦和さん、お金を出さないかと家を訪ねたことがある。そのとき家では余り飲んだり、博打をするのでお金がなくなつてしまつておつて、資本金がなかつた。それでその資本金を作るので、親戚の野口とかいう家に行つたのだそうですけれども、そこの家に行つて、幾ら幾ら金貸して呉れないかと言つたら、浦和が博打を打つて、私が暮しに困つてるというのをやはりそれとなく聞えたのですね、実
賣るところまでは行かなかつたのです。引つ張り出したのだけれども……、何しろ大きい品物ですから(笑声)どうしていいか分らなくてまごまごしていたのだそうです。
はあ。
裁判のときに弁護士さんに拂うお金が私なくて、借りて、それで一時出してやつたのです。
はあ。
五万五千円で賣つたのです。
そのお金は、家を賣られてしまつてから、子供三人抱えておりますから、負ぶつたり、抱いたりして私の母の生れた家まで行つたのですが、秩父なんです。そこまで行つて、叔父さんの家に置いて貰おうと思つたが今度養子が入つちやつたりしていて、子供三人も連れていたのじやなと言われた。仕様がないから家まで來て、主人の実家の世話になる間に二千円、三千円と細く八千円貰いました。その後は浦和が皆掴んでいたのですけれども、やはりなくしちやつたのです。
行くときに三千円貰つたのです。
はあ。子供の洋服を買つてやつたり、着るものを買つて、それで眞ん中の子に着せてやつて、それで連れて行つたのです。行つて帰つて來たらお金がなかつたのです。
はあ。
そうなんです。
高須賀へ行くときにも三千円貰いました。
そうなんです。
それは眞ん中の子に洋服を買つてやつて……。