浦
浦和充子
1948-11-26
参議院・法務委員会
生活費に使いました。
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生活費に使いました。
野田町へ行くときに二千円お金を受取りまして、その金で……。
八千円です、全部で……。
私が受取りましたのは八千円……。
はあ、最初から子供に洋服を買つてやつたお金から全部です。
そうです。
貰わないです。四月の五日に受取つたのです。
三回切りしか受け取っておりません。
四回です。
そうなんです。
はあ、話だけで……。
言つたのです。私が野田町へ行くよりも、兄さんが呼んで來いと言つてきかなかつたのです。
どうつて……、私のことてんで馬鹿にしてしまつて、何も採り上げて呉れないのです。
向うで採上げて呉れないのです。浦和の方で、俺にも考があるのだから、あるのだから、それを繰返しておるだけです。自分としては家を賣るまでになつたのは間違つたのだから、それじやこれから先お前はこうして呉れ、俺はこうするからという口をなぜきかないと、私言うのですけれども、お前が口で言うように、俺はこうするから、お前はこうしているというはつきりしたことは言えないというのです。
それで、兄さんとしては、語助が博打を打つようになつたのは私のせいだなんて言うのです。
それが子供でしたらあれですけれども……。どう言つてだましても行くと言わないのです。
本当です。
圭子を連れて戻つて来た。置いて行つてしまつたのです。
野田のおばさんも三人ではとても働けるわけはないよ、一人背負つて一人膝へ置いては内職したつて食べられないから圭子ちやんだけは浦和さんに押付けて、上の子に赤ん坊のお守りをさせれば働けるからそうしなと言われて、私は圭子だけは浦和に余りなつくので浦和に渡したかつたのです。
恐らく幾らなついても男親の面倒は永続きしませんから……。