日商岩井の海部氏は、私が官房長時代一度、会社の方一名を伴われまして部屋に見えました。そのときが初対面であります。そしてファントムのお話をされましたので、私はいま官房長だ、そういう話を承る立場にない、ただし、ファントムという飛行機は日本にはよ過ぎる飛行機ではないのですかということを言いました。それだけでございます。その後お目にかかっておりません。
日商岩井の海部氏は、私が官房長時代一度、会社の方一名を伴われまして部屋に見えました。そのときが初対面であります。そしてファントムのお話をされましたので、私はいま官房長だ、そういう話を承る立場にない、ただし、ファントムという飛行機は日本にはよ過ぎる飛行機ではないのですかということを言いました。それだけでございます。その後お目にかかっておりません。
その点は記憶いたしておりません。ただし、官房長というのは御存じのように役所でもいろいろな方にお目にかかる仕事でございますので、どなたが来ても私はお目にかかっておりました。紹介はなかったと思います。
これは人様のことでございますので、私の推理ではわかりません。
私は一度お目にかかっただけでございますから、その当時の印象というものは別に記憶しておりません。ただ、海部八郎氏の名前は聞いておりました。非常に有能な商社の方であるという程度の認識はございました。それだけでございます。
これは官房長時代には一度しかお目にかかっていないと申しました。役人をやめましてから二、三年前でございましたか、友人と一緒におっしゃった赤坂の料理屋で酒を飲みました。それは酒を飲んでいるときでございますから、何を話したか記憶ございません。
いま御指摘の程度の雑談はいたしました。
その事実がはっきりしておりました場合には、私は実名を書きます。そこに書きましたのは、私の友人のある新聞記者が持ってきてくれた情報でございます。情報でありまして、要するに推測でしかないので、そういう表現をしたわけでございます。したがいまして、この席で、その商社はどこだろう、そのPR会社はどこだろうとおっしゃいましても、そういう情報に基づいてこの公の席ではお答えできないと思います。
私には他人様の推理を裏づけるような力はございません。いろいろな方がいろいろな推理をされることは、それは自由でございます。私としては、それがどうだ、こうだとは申し上げるわけにはまいりません。
それは要するに私の思い出の記でございますから、そういうことを書いただけでございまして、それが……(「それなら書くな」と呼ぶ者あり)書くなとおっしゃいましたら、これからは考えますけれども、その本の時点においては、別にそういうことを書いても一向構わない、こういう判断でいたしました。
私の文章についての読み方は、その読まれた人の自由でございます。
それは申しました。
私の記憶では、会ったことはございません。
怪文書は合計五種類も出ました。そして当時私は現職でございますし、根も葉もないことばかりでございますから、いまおっしゃいましたような点の推理はいたしませんでした。まあ、取るに足らないことでございますから。
いまの御質問の点には一般的な報道の誤解がございます。と申しますことは、国産が決まっておったのがひっくり返ったという意味の御質問でございましたが、そういう事実はございません。これは対潜哨戒機、PXLのときにも私、証言いたしましたが、防衛庁の中でそういう対潜哨戒機とかレーダー搭載警戒機、これをどうするかというときに、必ずまず、いわゆる純粋の国産ということが希望されるわけでございます。しばらくやっておりまして、なかなかむずかしいということになりますと、そんな八年も十年もかかるようでは国産をやめて輸入をすべきだ、こういう考え方になります。この国産論、輸入論というのは常に防衛庁の各幕僚の中にございますので、そのときどきの情勢に従って、どっちの
私は、四十七年の十二月に退官いたしております。したがいまして、いまおっしゃった問題は私の退官後のことでございますから、私のお答えする立場でございません。
私が考えましたことは、専門家会議というのを突然発案されましても、その会議は国防会議のどういう機関かもわかりませんし、それからおっしゃっている趣旨がいわゆる第三者機関だと思います。第三者機関となりますと、そういう早期警戒機、対潜哨戒機についての専門家は、私はまずいないだろうと判断したわけであります。防衛庁かあるいは関係の会社以外には、そういう技術関係に詳しい人はおらないというのが私の判断でございますので、その当時専門家会議の設置につきましては、国防会議の議員懇談会の了解事項にしていただきたいということを私は事務局長として申し上げたわけです。そういうことでございます。
そのくだりの話は、皆さん方、新聞の方がいい悪いと言われるときには、現実の世の中の善悪の判断の基準が問題ではないですかと申し上げたのです。現在の国際社会、一般社会で善悪、是非の判断をする場合に尺度がございましょう、だから特定の政治家だけをどうこうということはおかしいじゃないか、そういうくだりの一節でございます。そして、政治家の万々が政治活動をする場合にはいろいろな経費もおかかりになる、そこで政治献金が認められている、ですから、いわゆるリベートという言葉がちょっとひっかかるわけでございましょうけれども、正当な報酬であるならば、努力に応じてもらうのは当然ではなかろうかという意味のことを言ったわけでございます。私も、仮に政治家であるならば、
私はそういう事実は何も知りません。ただし、ロッキード、グラマン一千億の空中戦という時代におきましては、いろいろな金の動きがありましたことが当時の国会の審議等でも一応は出ておるようでございます。
川部氏と私との関係は、朝日ジャーナルに申しましたように知人でございます。カーン氏との間は友人であるということで、私はカーン氏とのつき合いは古うございます。その過程におきまして川部氏が顔を出した。それ以来ときどき顔を知っておる程度のつき合いでございまして、友人ではございません。 それから川部氏との知人としてのつき合いと申しますか、それが切れましたのは、本に書きましたように、岸信介という方の英文の手紙の写しを手に入れまして、そこに書いてあることが事実と違うので、もしこの人が岸元総理であるならば、秘書がこういうことは配慮するのだから、間違ったことを書かせてはいかぬということで、川部氏にその手紙の写しを見せて調べてもらった、そのことがご
ハリー・F・カーン氏と私とのつき合いは、私が国家地方警察本部の総務部企画課長、すなわち昭和二十三年のころからでございます。それは、当時のニューズウイークの東京支局長のパケナム氏と知り合いまして、このパケナム氏から紹介されまして、カーン氏とのつき合いが始まりました。私の知っているカーン氏は、今日の日本の現状に対しての恩人だということを申しております。これは長くなりますので省略いたしますが、とにかく尊敬する友人でございます。 そして、その雑誌の見出しでございますが、私は、敵という言葉はいまだかつて使ったことございません。それは、その雑誌の編集の方がおつけになったものでございまして、実は、私もそれを見てびっくりいたしました。