介入の道は幾らでもあるという表現は、私は少しオーバーではないかと思います。ただ、現実の時点におきましてのいろいろな動き、そういうものはあり得るということを言ったわけです。
介入の道は幾らでもあるという表現は、私は少しオーバーではないかと思います。ただ、現実の時点におきましてのいろいろな動き、そういうものはあり得るということを言ったわけです。
これは言葉の解釈でございますが、私は介入とは見ません。何となれば、最終的には防衛庁の決心でございますし、それに同意した大蔵省の決心でございますから。
前半はそのとおりでございます。 後半は、その当時の新聞報道等を参照として申しました。 前半と申しますのは、昭和三十二年の中ごろまではF100と104の争いでございます。ところが、八月か九月でございますが、永盛調査団がアメリカから帰ってきまして、グラマン社のF11Fという名前を持ち帰ります。そこへノースロップのN156、これが登場して四機種の争いになる、こういうことでございます。その後はおっしゃったような経過でございます。
私は「政治家を抱き込んで」という言葉はいまだかつて使ったことはございません、そういう大きな力があるとは思いませんから。ただ有力な政治家の方の援助を願う、そういうことは当然あり得ることではないか、こう言ったことはございます。
これは、先ほども申し上げましたが、私の友人のある新聞記者からの情報でございます。その「わかった」というのは、そういう情報を得たということであります。そのPR会社はそのときの情報ではどうだったかと言われますから、そのとおりだと、こう答えたのです。
その当時、このF5の対抗馬と言われておりますのがファントムでございますし、この取り扱い商社は日商岩井でございますから、当然その商社ということになるかと思います。
それはたびたび申しておりますが、大人の推理でございます。
その最後のくだりは、これは記者の作文でございます。そういう非常にオーバーな表現は私はいたしません。
これにつきましては、まだ防衛庁長官が下からの御進講をお聞きにならない前のことでございますので、いろいろとほかの人からあらかじめそういう情報をお聞きになったのではないかと思いますので、その点につきましては責任者から話を聞いていただきたいということでその場をとりなしたことがございます。それだけでございます。
終日見ておりました。
私は全然そういう知識は持っておりませんでした。
背後にあるような感じはいたしました。
その当時におきましては、私はまことに失礼でございますが、有森さんの名前は知りません。お父様の有森さんは航空機工業会の役員をしておられましたので存じ上げておりますが、その息子さんが日商岩井でそういう仕事をしておられることは、当時私は知りませんでした。
異例と申しますのは、その発令の手順、手続、その内容でございます。
そのとおり申しました。
それは、二つ三つ私が申しましたことを要約総合するとそういうふうになったということです。
特にお断り申しますが、そのときにそういう感じを持ったのではございません。このことも新聞には申してあります。私は、役人になった以上は、もう局長になればあとはいつでもやめるべきだ、そういう気持ちでおれということを自分にも言っておりますし、部下にも言っておりました。したがいまして、先ほども申しましたけれども、別に追い落とされたという感じは持っておりません。そういうことで、背後に大きな力が動いたのではないかということは、後からの私の総合的判断でございます。当時においては別にそういう気持ちはございません。
私は承知いたしておりません。
それは、私の文章の解釈、いささか書いたものとは違います。岸信介氏の手紙が、本にも書いてありましたけれども、元総理が御自分でお書きになるはずはありません。そういうものは秘書かあるいは会社が書いて、それにサインをしていただくというのが普通でございますから、事情を知らない元総理にうそをつかしてはいけないという気持ちから、その秘書の方に注意をするつもりで川部君に来てもらった、こういうことでございます。
私が聞きましたのは私の友人の新聞記者からでございます。名前を申し上げることは差し控えさせていただきます。