年齢は四十八歳であります。経歴は、私は農民運動を昭和二年ごろからずつとやつて参りまして、終戦以来も農民運動を続けております。所属は、終戦直後は社会党に属しておりましたが、昭和二十三年の暮れに日本共産党に入党いたしまして、昭和二十四年の一月の総選挙に衆議院議員に当選をいたしまして、昭和二十七年九月の解散まで在職をいたしました。現在は著述業のような形でおるわけであります。
年齢は四十八歳であります。経歴は、私は農民運動を昭和二年ごろからずつとやつて参りまして、終戦以来も農民運動を続けております。所属は、終戦直後は社会党に属しておりましたが、昭和二十三年の暮れに日本共産党に入党いたしまして、昭和二十四年の一月の総選挙に衆議院議員に当選をいたしまして、昭和二十七年九月の解散まで在職をいたしました。現在は著述業のような形でおるわけであります。
過日の当委員会で参考人として私が申し上げたことに、絶対に間違いございません。
お答えいたします。先般の委員会においても申し上げました通り、保全経済会というものに対して、私は非常な疑惑を持つておつたのであります。当時の大蔵委員会においても、私はその問題について質問をいたしました。しかし保全経済会に対する監督権はないという立場で、政府がそれに対して何らの干渉をすることができない。こういうことに対して非常に不満を持つておりました。しかしながら保全経済会は、御承知のごとくインフレ景気によつて非常にたくさんの人々の出資をふやして参りました。山梨県にも、相当そういう人があつたのであります。だから私は、私の政治的見解として、ああいうものは非常に今後危険性があるというような立場から、保全経済会に対する批判を加えておつたことは
平野君が保全経済会の顧問として就任されていることについては、私ども批判的な態度でありました。そうしてああいう保全経済会のようなものを育成するということは、決してこれは国民の利益でないという見解から、批判を加えたことはございます。平野君は追放解除になつて、帰つて来て非常に歓迎を受けたというようなことも、私は漠然と記憶にはございます。そこで山梨県会議事堂の社会党の控室には、私は帰県いたしますれば必ず参りまして、いつも政治情勢の問題について語り合つたこともございます。あるいはそういう場合に、保全経済会に対する問題がたまたま問題になつて、それを批判し、それを話題として話したことはあると思います。思いますが、大蔵委員会が招待を受けて、あるいは
里吉君も私はよく存じておりますが、里吉君は労農党でございますから、社会党の控室にはほとんど見えていないと思いますが、ああいう人と社会党控室で会つて話をしたということは、私の記憶では現在はつきりしておりません。とにかく不特定多数の人に、常に私は保全経済会の批判をいたしておつたものでありますから、どこかであるいはそういうことについての話をいたしたことはあり得るかもしれないと思います。
日時ははつきり私記憶がございませんが、昭和二十六年の七月の中旬だと記憶しておりますが、大蔵委員会が当時国政調査にに四国へ参つたのであります。その当時同行者は、内藤友明氏、早稻田柳右エ門氏と私と、専門員の拔井さんでございました。高松の駅え着いたときに、四国の財務局の方々のお迎えを受けたのであります。そのほかに、二人の保全経済会高松支店という名刺を持つた人が、われわれに刺を通じて参りました。そこで、初めて早稻田さんが、その保全経済会の顧問になつておられるということも聞いたのであります。しかしそのときは、まだ私は保全経済会が何ものであるかということは、全然知らなかつた。その後香川県、徳島県、高知県、愛媛県をめぐりまして、金融機関の人々にい
私たちが帰つて参りましてから、大蔵委員会でまず内藤友明さんが発言をせられまして、この問題を取上げて、河野銀行局長にいろいろ御質問をいたしまして、何らか具体的対策を講ぜよという御意見を非常に強く強調しておつたことを、私は記憶しております。
深澤衛門氏に対しても、大蔵委員会が招待を受けて金をもらつたということを言つた記憶は全然ありません。
それはおそらく深澤君の記憶違いであると考えます。当時の事情といたしまして、大蔵委員自体は、四国へ出張をした以外の人は、ほとんど保全経済会に関心を持つていなかつたのであります。従つて大蔵委員の数人が保全経済会の幹部と会うという必要もなかつたし、そういう情勢にはなかつたと私は考えます。私個人としては、あの中に私の郷里の出身の社員がおりまして、ぜひ一ぺん会つてもらいたいということで、私自身が伊藤理事長に三十分ぐらい会つたことはございますが、大蔵委員会の委員数人と幹部が会つというような事実は全然ないのであります。
確かに真実は一つでなければなりません。従つて私も、古屋君は二十年来の農民運動の同志であり先輩であります。現在でもなおかつ尊敬いたしております。その古屋君の発言が国会議員としての責任において行われたという立場から、これはなかなか重大であると私は考えます。従つて発言した以上は、間違つておつたということで取消すということもなかなか困難であると考えます。従つて、私は、そういう苦しい立場に立つた古屋君の立場というものも実に見るに忍びない考えを持つております、しかし真実を守るためにはやむを得ません。たといこれが友人であろうとも同志であろうとも、正しいことは正しいと言つて主張しなければならないのでありますから、私は昨日夕方も古屋君をたずねまして、
先ほど申し上げました通り、大蔵委員の方々数人とともに、保全経済会の幹部の人々と会つたということは、私は絶対に言つておりません。伊藤理事長と私とが会つたいろいろな話は、あるいは深澤衛門君に言つたことはあると思うのでありますが、それをおそらく衛門君は取違えて、そういうぐあいに解釈しているのではないかと私は思うのであります。
本日古屋君の発言に関連いたしまして、私が本委員会の参考人として呼ばれましたことについては、私ははなはだ遺憾の考えを持つているのであります。結論的に申し上げますならば、そういう事実は全然ないということ、それから私の記憶には古屋君並びに深沢衛門君の同席の上でそういう話をしたという事実は全然記憶にございません。従つてそういう問題について私が記憶がないし、そういう事実の全然なかつたと否定するいきさつを、私はまず申し上げたいと思うわけであります。 保全経済会が今日日本の経済の上に大きな影響を与え、そうして多くの国民が関心を持つているのでございますが、私は衆議院議員として大蔵常任委員として在任中、昭和二十六年の七月に大蔵委員会の調査に参加い
絶対にございません。
絶対に確約いたします。
絶対にそういう事実はございません。もしあつたとするならば、私はそういう政治献金的な不正行為は私の方からむしろそういうことを明らかにいたしまして、そうして国民の輿論に問うて、そういう不正なことが政界に行われるとするならば、よろしく粛正する。そのために私はどんな努力でもしたいと考えておりますが、遺憾ながらそういう事実はないのでございます。
存じております。
そういう記憶は全然ございません。古屋君とも私はその後政治的な立場も違いますので、会う機会も非常に少ないのであります。あるいは深沢衛門君同席で会うようなことも、過去にはあつたかもしれません。しかしそういう事実に関して私が古屋君に話したということは、絶対にございません。それは古屋君と対決しましても、私は決して自分の心にとつて間違いないということを確信しております。
この文書は、何か法務委員会で古屋君が大蔵委員会を誹謗するようなことを発言したということを、私はサンデー毎日で読みまして、私の名前が出ているので、大蔵専門員室に参りまして、そうしてそういう事実はなかつたということを、元の大蔵委員会の諸君がおるならば私自身言いたかつたのであります。専門員室に参りましたところが、ちようど当日大蔵委員会が開かれれておりました。私は大蔵委員会に、ここまで入つて来たのでありますが、ちようど会議中でどなたにもお話することができなかつたのでありますから、それで専門員室に帰りまして、昔から知つております黒田さんあてに、こういう事実のないことを伝えてもらいたいということを書いて私は帰つたのであります。従つてこの文書は、
深沢衛門君は私と同県でありまして、深沢という同じ同姓ではではございますが、山梨県は深沢の発祥地でございますから、非常に深沢という苗字は多いのでございます。従つて親戚関係、そういう問題は全然ないのでございます。ただ昭和二年ごろから農民運動をともにやつたという関係はございまして、これは兄弟以上の深い関係にございます。それから終戦後は社会党をつくることにつきまして発起人の一人といたしまして深沢君とも一緒にやつて参りました。その後社会党から分裂しまして山梨社会党をつくつた場合にも、一緒にやつて参りました。そうして私は昭和二十三年の暮れのれに共産党に入りまして、政治的にはたもとをわかつたような関係でございます。しかし人間的には非常に親しくつき
今の御質問でございますが、われわれ三人の間には、決していろんな確執は実はないのであります。私自身も、たとえば古屋雪は私の先輩であるということで尊敬しております。深沢衛門君は私の兄弟のごとく、私も非常に親しくしております、そういう関係上、何ら私自身としてはそういうことは考えておりません。ただ外観的に見ますれば、同じ選挙区において、古屋君と私とは対立候補として立候補しておるというような過去の事実もございましたが、しかしそういうことについては、何ら私はいささかのわだかまりを持つていないのであります。ただ古屋君は、あたかもそういうことを事実私が言つたごとく証言されておるそうでございますが、先ほども大蔵専門員室でそんなお話をちよつと私は聞いた