さようでございます。
さようでございます。
一度契約のときに判こを持つて行きまして、契約の内容を見ませんが、判こを渡して押してもらつたことがただ一回あります。
名前は記憶がありません。
主任か係りの人かわかりませんが、苗川さんという方の苗字一つだけ記憶しております。その他四五人係がおられました。しかし私、端の方におりまして、判こをお渡しして、ついてもらつて帰つたわけであります。
申請書でなく、最初の払下げ決定のときでございます。その申請のときは知りません。
払下げが決定してお金を持つて行つたわけであります。
ええ。
記憶いたしませんが、二十四年の三月ころじやなかつたでしようか。
その内容はわかりません。
はあ。
こちらから磯川さんが行つて分割払いをお願いして決定してから私は参りました。
知りません。
はあ。
一番先に現在事務所になつているところ、それから収容所になつておるところを作業事務所として第一につくりました。それから作業に必要な資材を入れるための倉庫をつくりました。それから外食券の食堂にかかつたと記憶しておりますが、そのころ表の売店街の建築を始めました。始めたのが八月ころで上棟式をしたのが九月二日と記憶しております。
自分が立てかえました。
さようでございます。
建築の方が約六、七百万円と記憶しておりますが、その他は聖十字の磯川氏に立てかえた人件費であるとか、事務所費であるとか、交通費であるとか、あるいは印刷代とかいうような雑費のように記憶しております。
三百五十万くらい、記憶は正確でないかもしれません。
はあ。
それは整地だけでございます。整地は売買契約のある程度借りようというときからかかつておりました。整地と言いましても、普通のすぐ建築できるような整地の意味ではありません。あの中が平均高さ五、六尺、附近の人たちが焼跡の残土を放り込んだその整地でありまして、建築するまでにはずいぶん長い間残土を片づけるのにかかりました。