審議会ではございません。在外財産問題審議会における答申の対象は、第一号、第二号、第三号までの範囲であると思っております。それで違いがあると認定をいたしましたのは、厚生省を含めて政府全体といたしまして、外地に抑留されておった方々と、内地において拘禁されておった方々との間に、先ほど申し上げましたような違いがある。今回の措置はどこまでも外地から内地に引き揚げた方々の措置だ、こういう観点からこれを除外したのでございます。
審議会ではございません。在外財産問題審議会における答申の対象は、第一号、第二号、第三号までの範囲であると思っております。それで違いがあると認定をいたしましたのは、厚生省を含めて政府全体といたしまして、外地に抑留されておった方々と、内地において拘禁されておった方々との間に、先ほど申し上げましたような違いがある。今回の措置はどこまでも外地から内地に引き揚げた方々の措置だ、こういう観点からこれを除外したのでございます。
昭和二十七年四月二十八日現在におきまして、巣鴨に拘禁されておった方々の総数は九百三十名でございます。
二十八年の八月マヌス島から戦犯が内地へ還送になりましたが、その総数は百九十六名であります。そのうち四十九名が上陸と同時に釈放されております。百四十七名がそのまま巣鴨に入れられております。それからフィリピンのモンテンルパから内地に引き揚げました者は、昭和二十八年七月でございますが、総数百十一名でございます。上陸と同時に釈放になったのが五十五名、そのまま巣鴨に入所せしめられた者が五十六名でございます。
二百七名であります。なおそのほかにソ連及び中共からこれと同様の状態にあって帰されたいわゆる戦犯者がございますが、その総数は約三千名程度あります。
昭和二十七年四月二十九日以降、外地から帰って参りました先ほど申し上げましたマヌス島及びモンテンルパの戦犯は、この法律にいう引揚者に該当するわけでございます。
九百三十名のうち、一部は最初から内地に拘禁された者であり、一部は外地から逐次内地へ送還された者であります。
最初から巣鴨に拘禁されておった者が三百二十名でございます。残余が外地から逐次巣鴨に送還された者であります。
先ほどからいろいろ申し上げてありますので、繰り返すのを避けたいと思いますが、結論から申しますと、今回の措置は引揚者に対する措置である、そこで一線を画して措置をするという原則を立てまして、そしてお気の毒ではございますが、巣鴨の戦犯の方、昭和二十七年以降内地に帰った方は引き揚げではない、引き揚げではないから、これは一たん除外するのが本則である、ただし例外的に外地から引き揚げた方につきましてはこれは引揚者と扱う、こういう形式的な一線を画さざるを得なかったということが、今回の措置をとった政府の一つの理由であります。実際上の理由といたしましては、先ほど申し上げましたように、外地と内地とはやはりそこに違いがあるのではないか、こういうふうに考えま
引揚者給付金を受ける権利のある者は、請求前に死亡した場合、これは相続人が請求できるようにしてやらなければならぬのであります。その場合に相続人が数人ある場合には、遺族援護法の弔慰金の相続の場合にならいまして、数人からさせるということは非常に複雑でございますので、一人に申請させる。一人に申請をさせるについては、事前に他の者の同意書をとる、そういうふうにいたしまして遺族援護法の弔慰金の例にならったわけであります。
これは普通は法律施行のときから適用するというのが原則でございますが、この場合提案が若干遅れましたので、施行の日が四月一日以降におくれる場合もあると思いますが、権利の発生はどこまでも四月一日であります。遺族援護法の場合につきましても、昭和二十七年四月一日からすることにしておりまして、施行が四月二十五日だったかと思いますが、それを四月一日にさかのぼって適用したという例がございますので、できるだけ早く進めたいと思います。
その通りで、該当者は四月一日で引揚者給付金を受ける実質上の権利が発生するわけであります。
現在ソ連地域に残っております未帰還者の総数は九千九百六十一名でございます。これは本年の一月一日現在でございます。これは一人片々名前を把握している未帰還者でございます。先般ソ連から発表になりました数字は、今日までの調査によりますというと、樺太に終戦当時おった人のものであります。樺太地域につきましては私の方で全部名前を把握しているわけじゃございませんので、私の方で把握している未帰還者以外にもおるようでございます。従ってあの数字の中には、先ほど申しました九千九百六十一名の中に入っている人もあり、入っていない人もあるわけであります。それからお尋ねの先般発表になった者以外の未帰還者の状態、ことに現在ソ連本土において生存している者の状態につきま
九千九百六十一名の中で、樺太を入れまして、昭和二十五年以降健在であったという資料のある人は、四百五名であるわけであります。この中には、ソ連本土と樺太とあるのでありまして、これらの方々は、先ほど申しましたように、特別の事情がなければ現在生きている、こう判断するのが妥当であると思います。ところがそれ以外の方は、死亡したという資料はあるが、きわめて不確実でございまして、死亡公報を出すだけのまだ措置をとるには不十分である、あるいは昭和二十五年以前に生存しておったというその大部分は、終戦直後の資料でございます。入ソしたという直後の生存資料でございます。今日までソ連地域において死亡通知をしている者は五万名をこえております。大部分はソ連に入ソした
政府の立場から申しますと、いろいろ理屈があろうと思うのであります。かりに家族の立場に、立って現在の法律制度をながめて見た場合にどういう感じを持つか、あるいは主張を持つかということを考えてみますと、死亡の判明したとき以降公務扶助料を出す、これは一つの建前としてそういう立場もあろうと思います。そういう場合には、それまでは現実に生きておったと擬制するわけでございますから、給与はそのときまで続けるのが本則であろうと思います。従って、留守家族援護法それ自体に問題があるということになってくるわけであります。軍人も一般邦人も一緒にいたしまして、援護という観点から留守家族を処遇するということだけでは、不十分な面が出てくるわけであります。従って、私ど
恩給局長が御心配になっている点は、先ほど受田委員も言われたように、単なる恩給ということでなしに、広い留守家族全体をながめての御心配で、ごもっともだと思います。その点については、今受田委員からお話のありました通り、公務員とそうでないものという一つの出発点があるわけであります。この点は遺族問題その他におきまして常に出てくる問題であります。つまり、出が違うということのために現実の収入が違っているということが、至るところに出てきているわけであります。その点はある程度覚悟をして出発せざるを得ない点であります。お話の通り、あとは一般の援護の問題として解決していく。片方は単なる援護の問題でなくして処遇の問題である。この点は明確に腹をきめて出発しま
実は、未帰還公務員の制度の創設並びにその死亡が判明した場合の処遇の問題につきましては、恩給局におきましてこういった新しい制度をお作りになったのであります。これは二十八年に軍人恩給が復活されたのであります。その際、まことに私どもの手落ちと申しますか、注意が十分行き届きませんために、留守家族援護法——当時八巻さんは恩給局の責任者でございませんでしたけれども、当時の恩給局の責任者とわれわれの連絡が十分でなかったために、死亡判明の日から支給する、あと死亡の判明する以前の問題は従来通りの処遇の方法で考えたい、こういうお考えであったと思うのです。恩給局の方で死亡判明の日からするというのは、恩給法上の主として技術的な点から非常に明確でございますの
この問題はずいぶん長い間の問題でございまして、協議は十分いたしております。ただ、恩給局長とは比較的お会いする便宜もあるのでございますが、大蔵省の方では、小熊主計官以外の方につきましては、いろいろ予算の審議の問題にからみまして、なかなか主計局の首脳部の方と時間をとってお会いいただくことが困難でありますので、断片的にいろいろお話し申し上げておりまして、あるいは部下の方を通じて御説明申し上げるということでございます。ことに小熊主計官は厚生省担当の主計官でございまして、恩給の方の担当官は別になっております。こういう機構の関係も手伝いまして、最後の詰めるところにまで至っていないわけでございます。先ほど恩給局からお話がありましたように、できるだ
御指摘の通り、援護法の三十四条によりまして、学徒、満蒙青少年義勇隊、特別未帰還者——これは準軍属と総称いたしておりますが、死亡した方々に対しましては、少額ではございますが、三万円の弔慰金を差し上げております。同時に、こういった身分の方々で、戦時災害あるいは戦闘参加等によって身体に傷害を受けておる方も、少数ではありますが、あることは承知いたしております。本日までこれらの方に何ら援護の手が差し伸べられなかったことも、私どもは承知をいたしております。適当な機会に何らかの見舞の意を表したいと考えて、機会あらば実現したいといろいろ努力をいたしておるのでございます。本日まで、まことに申しわけない次第でありますが、実現していないような状態でありま
死亡した人の数は調べたことがあるのでございますが、傷痍者の数につきましては正確な調査はございません。ただ、ざっとした見当では、傷の重い人、いわゆる重度傷痍者といっておりますが、重度傷痍者と申しますのは、手の指が一本なくなったとか、軽い方は別といたしまして、大体二、三百人程度であろうと承わっております。
先般ソ連側から発表されました数字、並びにその中で帰国を希望しておるといわれる方々の数字、及びその名前につきましては、当委員会におきまして法眼参事官からおよそのところを申し上げたのであります。今日まで帰国志望者の氏名を検討いたしておりましたところ、二百二十五名の中で百名以上どうしてもわからないのがあります。わかった範囲内では全部終戦当時在籍樺太であります。これからいたしますと、おそらく全員樺太在住者ではないかと推測されるわけであります。樺太には、御承知の通り、私の方で名前をつかんでおらない未帰還者が相当多数あるということは以前からわかっております。その点から申しますれば、さして奇異に感じないわけであります。ただ、問題は、ソ連本土に昭和