通信の来ている人につきましては、通信が許可されているものと考えております。
通信の来ている人につきましては、通信が許可されているものと考えております。
こちらからは、通信の来ている人については往復で、たしかPW通信と言っておりますが、大部分はこちらからも通信が出せるはずでございます。
実は厚生省といたしましては、引揚問題、夫帰還問題の解決のために、生存残留者の早期送還ということと相並びまして、状況不明者の調査、究明ということを重要な一環として考えておるわけであります。今日未帰還者の中で、状況不明者が八五%の多数に及んでいる状態でございまして、終戦後十年になる今日、家族としては非常にこれが心痛の種でございます。また家庭上のいろいろな問題を解決する上から見ましても、せめて生きているか死んでいるかだけでも知らしてほしいという、ごもっともな強い要求があるのでございます。そこで、厚生省といたしましては、状況不明者の調査という点に重点をおきまして、今日まで国内的なあらゆる調査を進めてきておったようなわけでございますが、すでに
先般ソ連から帰りました人によって得ました情報によりますと、樺太関係を除きまして、現地に残留を希望していると思われる者が四十名ないし五十名ではないか、これも正確なことは一々本人に当って聞いたわけでございませんのでわかりませんが、一応帰還者のもたらしている情報によりますれば、大体このくらいの人が該当者ではないかと思われる程度でございます。
昨年の秋に李徳全女史がいわゆる戦犯名簿を持って参りました。それに登載されてある人員の総数は千六十九名でございます。その他の生存残留見込数は約六千と推定いたしております。
戦犯名簿にはその点の記載がないのでありまして、刑の判決はだいぶ受けていないのではないかと思っております。
私から引き揚げ問題の概要につきまして簡単に御説明申し上げます。 まず第一に、ソ連、中共地域からの引き揚げの経過でございます。 御承知の通り、中共地域からの引き揚げは昭和二十八年の三月より行われたのでありますが、それまでの経過を簡単に申しますると、国民政府治下よりは昭和二十三年の十月が最終でございまして、中共治下になりましてからは昭和二十四年の九月と十月の二回にわたって満州及び関東州からの引き揚げが行われたのであります。その後、昭和二十八年の二月までは個別引き揚げが行われまして、総数で三百三十二名が便船を利用して引揚げたのであります。それから、ソ連の引き揚げは、昭和二十五年の四月に集団引き揚げが中絶いたしまして、その直後に、例
海外戦没者の遺骨収集につきましては、現地の了解を得られる限り、できるだけすみやかにいたしたいということで、今日まで計画を立ててきているわけであります。幸いにして関係国の了解を得まして、南方八島地域、アッツ島、及び先般のニューギニア、ソロモンの遺骨収集をし得たのでありますが、まだ御指摘の通り各地に未収集の地域が残っております。関係国の了解の得られます地域から順次実施したいと思っておりますが、ビルマ方面につきましては、御指摘の通り現地の事情がいろいろとむずかしい事情もあるようであります。政府から派遣団を出します際には、遺族、宗教家等、それに政府職員を要するという関係もございますので、できるだけその体制で参りたい、こういう希望を持っており
実はこの遺骨収集は予備金でそのつど支出いたしております。先般のニューギニアの方面の遺骨収集の際は、先ほどお話のありました通り、三百数十万円、これは厚生省だけの予算であります。そのほかに大成丸それ自身の経費は別途運輸省でやるわけでありますが、これは練習船の航海訓練という目的を兼ねて参りますので、一石二鳥と申しますか、そういう関係で参るので、全体の経費としてはもっと大きなものにつくと思いますが、厚生省の遺骨収集に要する経費だけをとって参りますと三百数十万円でございます。これは、今後も計画が立ち実施できる段取りになりますれば、財務当局とも相談いたしまして、予備金その他の方法によって支出することにいたしたいと思います。
従来、予備金ないし厚生省既定予算の流用でございます。
今詳細な資料を持ち合せておりませんが、男子と女子及び大人と子供と違っておりますが、男子の成年を例にとりますと、毛布、作業服、下着類、その他全部合せまして、たしか三十八点支給しておったと思います。
ただいま軍服というお話がありましたが、終戦のときに、当時陸軍、海軍で持っておりました多量の物資を特に確保いたしまして、これは引揚者にだけ特別に無料でやってよろしい、こういうことになったわけであります。当時物資の入手しにくい情勢でありましたので、それを引揚者に支給したのであります。その中に、樹指摘の通り旧軍人のいわゆる軍服が入っております。しかし、これは、今日の状況でございますので、もちろん軍服という意味で支給するのではありませんで、農村等におきましては、ものがラシャで、なかなかがんじょうでございまして、希望する向きもありますので、作業服という意味でお手渡ししておるような状況であります。
支給品目については十分検討して注意されておると思いますが、従来から、帰って来た人にせびろでもやったらどうかという意見がずいぶん前からあったのであります。しかし、どうもせびろまでやるということはいろいろの点で困難でございますので、毛布等をよけい支給するということにいたしまして今日まで至っておるわけであります。新しい今日の時代に即応するような支給品に全部かえるということになると財政上のいろいろな点もございますので、従来余っております物資あるいは保存してある物資をできるだけ活用して参りたい、こう考えておりますが、引揚者のいろいろな陰の声というお話もございますので、支給品目についてはなお十分検討したいと思っております。 なお、女の方には
集団引き揚げの三千人というのは、ソ連、中共地域における残留の状況をにらみ合せまして、三千人と見込んでおけば一応足りるのじゃないか。もちろん、これは多ければ多いほどいいのです。われわれとしては生存残留者が多いことを非常に希望いたすのでありますが、しかし、われわれの方で調査究明もやっておりますので、大体この辺ではないかというところで数字を見たわけであります。もちろん、これ以上引揚者がある場合には当然予備金をもって支出することは大蔵当局も了解をしておると聞いておりますので、国家財政上の関係もあり、三千人ということでございます。
巣鴨だけでございます。
以前は、お話しの通り、生存確実であるか死亡見込みであるかということはかまわずに、たくさんの数字を計上して予算をとっておったわけでございます。その点につきまして、国会でも残留の実情についていろいろと御質問があったのでございます。三千名という数字が果して三十年度に全部入ってくるか、あるいはもっと多いか少いかということは、今後の引き揚げの進展に待つほかはないのでありますが、先ほど申しましたように、できるだけ多いことを希望いたすのでありますが、諸般の事情から考えまして、まあ一応このくらい組んでおけばいいのではないか。もっと多い場合においては、もちろん予備金の支出ということを政府では考えておる。残留総数ということもお話にございますが、残留者の
第三極公営住宅の中から、三十年度においては八百五十戸を引揚着用としてワクが設定してございますが、そのうちの六百戸は北海道の集団引揚者住宅の疎開の分でございます。そこで、総数千八百戸疎開を要し、それを三カ年計画で実施する。その一年分として六百月分を計上したのでございます。残りの二百五十戸は三千名の集団引き揚げが行われた場合の新規の引揚者を受け入れるための住宅措置であります。
実は補修につきましても予算に計上したいと思って努力したのでございますが、いろいろな都合で本年度は原則として計上できなかったのでございます。ただ、北海道だけは、集団住宅が非常に多数あり、しかも腐朽の秘匿がはなはだしいという特殊性を考慮せられまして、北海道についてだけ若干の補修費の補助金が出されておるのであります。
実は、引揚者の集団住宅の問題につきましては、私どもも、何とかしなければならぬということで、過去においてずいぶん努力したことがあるのであります。御承知と思いますが、内閣に設置されております引揚同胞対策審議会で引揚者の住宅問題ということを大きく取り上げまして、再三にわたって決議いたしたのであります。その中の一つの重点といたしまして、集団住宅の問題を決議いたしたのでございます。それは、多数ある引揚者の集団住宅のうちで、当分の間補修等によって使用できるものは別といたしまして、もう腐朽してしまってどうにもならぬものは、すみやかに疎開して、新しい個別の住宅に建て直して、それに移していくという決議が行われまして、厚生省といたしまして全国的な調査を
沖縄の学徒で、いろいろな名前がついておりますが、こういう方々は有給軍属としての取扱いをすることについてはきまっておるのであります。ただ、現地の方々の御希望は、全部軍人にしてくれという要望があるわけであります。これは、援護法でやります際と恩給法でやります際との処遇の差異ということが問題ではないので、遺族の方々によりますと、軍人としての処遇をしてもらいたい、こういう希望でございます。これは、兵役法との関係もございまして、当時そういった方々を軍人として召集するということは許されなかった関係もございますので、その点に実は困っておるわけであります。いろいろ研究はしておりますけれども、まだ軍人として取り扱うということにまで結論が参っておらない状