大正十二年に東京大学教授に任ぜられまして、昭和十二年の十二月に退官いたしました。昭和二十年の十二月に再び東京大学の教授になりまして、昨年の十二月十四日に東京大学学長に就任いたしました。
大正十二年に東京大学教授に任ぜられまして、昭和十二年の十二月に退官いたしました。昭和二十年の十二月に再び東京大学の教授になりまして、昨年の十二月十四日に東京大学学長に就任いたしました。
学生が共産主義活動において、自由労働者、朝鮮人と一緒に活動しておるという事実につきましては、私は詳細に承知いたしません。ただ、いかなる主義者であろうとも、またいかなる社会階層の人であろうとも、治安を害する行為はよくない、かように考えます。
ごく一部の少数の学生の扇動に対して、ほかの多数の学生が合流するという理由についてのお尋ねだと思いますが、合流する場合もあるし、少数者の扇動が効を奏しない場合も、たくさんございます。効を奏する場合は、題目の取上げ方が、非常に時の政治の重要な問題に触れておりまして、単に学生のみならず、社会一般において重要な関心のある問題、こういう問題が取上げられましたときには、その政治的な政党の所属等を越えまして、一般の学生も政治的意識が高まつて、行動をともにするということがあると思います。
仰せの通りに、大学では政党の支部もしくはこれに類似のものは、組織を認めておりません。具体的の問題として、たとえば共産党の細胞という名義でビラの出ることがあります。これは学校で認めておらない団体でありますから、責任者がだれであるかもわかりませんが、かくのごとき場合は、ただちにビラを押収するとか、それからもし実際にまいている現場であるならば、そのビラまきを禁ずるとかいたします。
あると承知いたしませんが、そういう名義のビラがたまに出ることがあります。
そのものは今私初めて拝見いたします。
過去において、ときたままかれたことはあります。
警察官を学内に入れるなということは、ただちに権力闘争に結びついておると私は思いません。それでちよつと御質問の趣旨がよくわからないのですが、大学において、大学だけの力でとめることができるかという御質問は何をとめるかという御質問ですか。
今までのところではとめて来ましたし、また現在のような状況であるならばとめ得られると私は信じております。
あれは私は権力闘争と解しておりませんので、ただいまお答えいたしたのであります。
あのときの状況は、御承知かと思いますが、五月祭のときでありまして、五月祭の行事は学生諸団体の代表によつて組織されている五月祭常任委員会というものにやらせておりまして、その常任委員会の中で、約半数はあの国民葬なるものに反対をいたしまして反対の行動をとりました。それで学校が禁じたことでもそれが行われることはあります。しかし今後行われなくするにはどうすればよいか。一番正しい方法は、学生自身が自覚いたしましてそのような非合法的な行動はとらないということになるのが正道だと思つております。
指導いたしております。
学生が警察を信用しないというきらいがあることは私は認めます。同時に警察も学生を信用しないという傾向のあることを見ておるのでありますが、このお互いに信用し合わない、それである一つの行動があれば、これに対して報復的な気持の行動が現われることが現状だと思うのであります。それでこれをいかにして処置して行くかといえば、学校としては学生によくさとして、それで学生としてとるべき行動を指示するとともに、警察側におかれましても警察官の教養を高めるとか、あるいは大学というものの特殊な事情、学生というものの特別な性格などを十分のみ込んで大学に対していただきたい。警察官も未熟な方がときどきありますし、学生も粗暴な者もありまして、両者の衝突がときに不幸な事件
新人会というのは最近できた団体でありませんで、私の記憶しているところによると、大正八年ごろにできたものかと思います。非常に古いのであります。それが続いておるのでありまして、戰争中どうしておつたのか私ちよつと知りませんが、最近また元気をとりもどして活動しておるという状況であります。主として法学部の学生が組織しております。
立法措置とおつしやつたが……。
破防法の問題に対しては、一部尖鋭分子といわれる学生のみならず、自由主義的と言いますか、民主的と言いますか、一般の学生も反対の気持を持つておると私は見ておるのでありますが、そのことと、学内運動の処置、取締りもしくは指導ということとは、二つ問題があるように思うのです。 それで学園の規律を立てる、たとえばいろいろの学内の規則をつくりあるいは学生を指導いたしまして、非合法的な活動、暴力的な行動などに出てはいけない、そういうことをすれば処罰するというような指導と規律を立てるということに対しては、一般の学生は決して反対いたしません。そのことと破防法という問題は別であります。破防法になぜ学生が反対するかと言いますと、破防法の規定している範囲が
次官通達に盛られておりまする内容は、この次官通達をもつて初めてできた原則ではなくて、通達のできる前から大学自治の條理としてわれわれは守つて来た事柄であります。それがこの年に次官通達という形で文書に現われたものであると存じております。この趣旨をどういうぐあいに学生に徹底させておるかということにつきましては、いろいろ学生に学内の組織がございますので、その組織を通じて平生学生の指導をしたり、あるいは告示をしたり、また学生自身もこれをガリ版に刷りまして、自分たちの間で回覧したりしております。
治外法権と学生は考えておるとは私は思いません。われわれ学校当局者はもちろんのことですが、学生も次官通達に書かれていないことで、これも條理の当然として考えられていることがありまして、東京大学の学生は、次官通達をはき違えて行動したことはそう多くないと私は思つておるのであります。しかしその間違いの起つたもとは制服警官のパトロールという問題があります。それでなかなかこれはむずかしい問題でして、一体学校の構内というものは囲われた構内であるか、たとえば工場の中のような囲われた場所であるか、あるいは日比谷公園のような公開せられた場所であるか、なかなかむずかしい。実情に応じて解釈しなければならない問題でありますが、東京大学においては一般公衆に開放せ
初めにちよつと学生指導対策を私はどう考えておるかということを、ごく簡単に申し上げます。 学校は学生を教育する場所でありますから、すべての事柄を教育という見地から処置いたします。それでこの学園の秩序をよくする方法は何によるか、いかなる力、いかなる方法によるかと言えば、結局教育という道が最も有効でもあり適切である。迂遠のように見えても教育によらなければならない。教育には二つの面があつて、一つはいわゆる一般学生と申しますか、ごく少数の煽動者を除いての一般学生に対して、学園の自治を自分たちで守つて行かなければならない、学園の秩序を自分たちで維持して行かなければならない、こういう自覚、一つの道徳的な勇気をもつて行動するようにということであ
一応は大学の学長が学内の秩序を管理いたしますが、法律的な意味において治安の最高責任といえば、もちろん当局でございます。