はい。
はい。
大正十五年六月日本塩回送株式会社入社。赤穂、尾道、宇野支店勤務。昭和十二年七月応召。昭和十七年九月帰還、本社調査課勤務。昭和二十二年八月経理課長心得。昭和二十三年十二月経理課長。昭和二十五年六月大阪支店長、それで現在になります。
経理課は私のほかに男子が一名、女子が一名であります。
はい。
それは経理部というのがありまして、経理部の中に経理課と調査課というものがあります。
そうであります。
私のほかにです。
はい。
できませんでした。
あります。ありますがその時分は集排とか、特経会社とか、いろいろ制限を受けておりましたので、それが解ければ増員をしていただける……。
はい。
解けましたのは昭和二十四年の十二月九日だつたと思います。
現在のところははつきり知りませんが、経理課が十人以上おるように思います。それから調査課も十人くらいおります。
あります。
專売公社は、たしか二十四年の八月と十月に来られました。そのときは、專売公社は、二十三年度からの運賃の契約を、二十四年度も引続き踏襲してやつておりましたが……。
八月と十月であります。專売公社が御調査になつたのは、おもに二十三年度の運賃を二十四年度も引続き同じでやつていたが、そのとき市場の運賃が大分かわつて来ましたから、今後はどのくらいでやれるかということを御調査になられたようであります。
いや、それも、請求書とか、運賃の収支を計算する回送塩整理票カードが私の方にありますから、そういうものも見られたようです。
そうであります。
なかつたのじやありません。できなかつたのです。二十二年、三年、四年ごろは、運賃の変動が非常にはなはだしかつたのですが、私の方と專売公社との契約は年一回ということになつていまして、その当時は年に二回も三回も運賃の更改をやつていましたので、その後契約ができるのが早くても三月、四月、おそいのになりますと半年以上遅れて契約ができる。それからその契約ができてから、私の方に下請会社知、積地七十箇所、着地四百箇所、約五百箇所ありますが、その実際の代理店とまた、そこに対する支払いを契約していた。
はい。