やはり地域によって違いましょうけれども、先生の地元あたりは、これはやはり一たん災害のときには人命にかかわる環境整備の問題でございますので、そういう危険性のある地域に関しましての国からの特別な補助と申しましょうか、措置というものは積極的に進められるべきだと思いますので、環境庁は環境庁の立場で所信をはっきりと述べるつもりでございます。
やはり地域によって違いましょうけれども、先生の地元あたりは、これはやはり一たん災害のときには人命にかかわる環境整備の問題でございますので、そういう危険性のある地域に関しましての国からの特別な補助と申しましょうか、措置というものは積極的に進められるべきだと思いますので、環境庁は環境庁の立場で所信をはっきりと述べるつもりでございます。
大変遺憾な事態でございまして、いままでも環境庁は環境庁なりに県と連絡をとり努力をしてきたことと思いますが、しかし、それが至らぬ結果こういう事態になったわけでございまして、これを一つのめどにいたしまして、より強力な連絡を保ち、協力関係をつくり直すことで何とかこの認定の業務というものが一刻も早く促進されるように努力するつもりでございます。
実は先ほど知事さんに、わずかの時間でしたけれどもお目にかかりまして、そのときも知事の口から、とにかく六月までの予算は一応組んでもらったが、それから先どうなるかわからぬ、そのとき再び水俣病関係の予算の減額、あるいは認めないということを県会が決議されれば、これは自分としては非常に重大な責任と心得ざるを得ないということを言われまして、私もそのとおりだと思います。ですから、県議会が最後の猶予期間として六月までの予算はお組みいただいたわけでございますので、四、五、六月の間にすべての問題が全部解決するとは思いませんが、しかし明らかに事態が前に向かって動き出したという目鼻だけはきちっとつけなくてはならないと思います。その努力を怠りますと、完全にこ
不作為の問題についての判決がおりましたことが、私は水俣の問題についての画期的な出来事だと思います。そういう意味でこれを画期的な一つの再出発の起点と心得て、滞っている水俣問題を解決するために鋭意努力をするつもりでございますが、実は先般もあるグループの患者の代表の人と公式の席で対談しへその後なお私自身勉強するためにいろいろ話をしましたが、そのときにも、環境庁の長官が何度か来られたが、そしていろいろなことを言われたし、いろいろな施設も約束をされはしたが、しかし肝心なものが一つ欠けていると思う、それは県にしろ国にしろ、行政というものの責任をはっきりと認めるという姿勢がない、つまりこの時点でそういう過去の行政の責任というものに対する晴罪という
行いますならば、私は水俣に赴いたときに、向こうで患者の方々にそれを申し上げるつもりでございます。
いままでのいきさつをずっと洗い直してみまして、やはり県の言い分にも妥当なところがあると思います。これは確かに県の福祉行政にかかわる大事な問題でございますので、作業というもののイニシアチブと申しましょうか、比重が県にほとんどかけられていたわけでございますけれども、しかしその間、結局いまおっしゃられたように、県の力に余るという形でこの問題がこういう形で停滞しました。その間のいきさつをずっと洗い直してみまして、やはり県と国とが力を合わせ直して取り組まなければ、事ここに至った事態というものは容易に解決しないと思います。そういう意味で、いままでのような姿勢ではなしに、二歩でも三歩でも踏み込んだ形で県と力を合わせ、問題の解決に取り組むべきだと私
私は、非常に重症な患者の方でないにしても、水銀による中毒で何らかの症状を持たれた方にしてみれば、お金をもらって片のつく問題では、これはないと思います。また、患者の方々個々に会って話してみれば、金など要らぬ、とにかくこれはもとの体に返せというのが本当に真実の声だと思います。 同時に、いまPPPの原則ということで、被害者に対する補償という問題が片方にはあるわけでございまして、それが、いま部長が申しましたように、いわゆる国が決めた補償制度ではなしに特殊のケースとしての千六百万から千八百万という裁定が行われて、これはこれとして一つの形としてある。 で、私は、検診、審査、認定という作業は、どんな法律があり、どんな裁定があってどの額が決
そういう意味では、年月が非常に長くたったわりにいままで総合的な実態把握というものが行われてないうらみが私はあると思います。でありますから、認定の作業というものを別個に熊大なら熊大を基点として一つのチームを組み、たとえば水銀そのものの海におけるサイクル一つとってみましても確認されているわけではないようで、そういう調査を含めて、かつて人間が体験したことのない広範囲の水銀の汚染というものの実態把握をいまからでもし直しませんと、社会病としての水俣病の解決は私は不可能ではないかという気がいたします。
私が関係閣僚会議と申しましょうか、懇談会と申しましょうか、協議会を内閣官房を通じてお願いしましたのは、いまおっしゃいましたように、これはもう県と環境庁の話し合いだけではなかなか物事は先に進んでいかない、高度の政治判断、政治決断というものがなければ物事は前に行かないぞと思ったので、そういう申し出をしたわけでございます。でありますから、水俣からの視察から帰りましたならば、私なりの提案というものをまとめまして、関係閣僚会議を再び開いていただいて、そこでそれを正面ぶつけてみるつもりでございます。
ですから、私は一刻も早く水俣へ行きたいのですよ。写真の見合いだけで結婚式のことを考えてもしようがないので、これはいま馬場提案というのがございましたけれども、私も同じようなことを考えたところもありますし、違う部分もございます。たとえば二番目の申請患者の生活保障というようなことも、申請者がどういう生活をしていらっしゃるかということも私が現地で見て初めて実感なり実態というものが私の中にできてくると思いますので、とにかくいま先生から御提案ありましたことをすべて含めまして、私が考えていたことと重なること、重なってないことございますけれども、とにかく二十二日からわずかな期間でございますけれどもできるだけ集中的に視察をして、その結果、関係閣僚会議
それが果たして受け入れられるか受け入れられないかわかりませんけれども、とにかく抜本的な推進案というものを私の責任で出します。
いままで患者の方々とも、あるいは関係された先生方とも何度か何人かお会いしまして、私の関心というものも幾つかにしぼられてまいっておりますし、また現地に行けばそれを上回る新しい私なりの発見というのは、いまさらと言われるかもしれませんけれども、あるかもしれません。何と申しましょうか、すべての立場の患者御自身の声をお聞きしたいということと、それから私なりの実感で、つまり汚染の広さ 深さというものを把握したいと思うのです。患者さんの深刻さというものはもう資料なり読んだもので十分想像もできますけれども、たとえば水俣から天草の患者の発生地まで、それは地図の上で指ではかれば何キロあるということはわかりますが、しかしながめながら海を渡って、そこで患者
そうとらざるを得ないと思います。その文書をつくりますときにも環境庁のスタッフの中でいろいろ議論もございましたが、結局その時点でそういうことになったわけでございます。熊本県側が決してそれで十全に満足することはあるまいと私たちも予測、予感はしておりましたが、いろいろ物事の、何と申しましょうか、その後の推移に対する推測その他ございまして、その時点では残念ながらそういう文書を要望に対する回答として出したわけでございます。
今回議長がかわりましたけれども、私は前の浦田君を個人的によく存じておりますが、そういう席上で県の議長がそういう発言をされたということは全く存じておりません。また、どういういきさつでそういう印象を熊本県の県会の方々に環境庁が与えたのかもよく存じておりません。しかし、環境庁のスタッフが熊本県の県議をとらえて、ごろつきのようだと言うことは、私は万々あり得ないことと思いますけれども……。
そのような事実があったかどうか、調査いたして御報告いたします。
それはできるだけ早期にこしたことはないと思います。 実は関係閣僚会議でも発言があったのですけれども、それ以前に閣議の中で大学のあり方についていろいろ論が出ましたときに、地方にミニ東大をふやしても仕方がないだろう——昔は、哲学は京都大学、農学は北大というふうに、地方の特殊性を生かした大学があった、これが非常に望ましいということからしましても、たとえば水俣病という人類がかつて経験したことのない有機水銀による汚染、それから恐ろしい病状の普遍化というものは、これから人間が技術を開発し、いろいろな物質が発生して出てきたときに、再びどんな形で起こるかもしれないものだと思います。そういう意味で、水銀の汚染に限らず、水俣病を一つの体験に踏まえて
いずれにしましても従来の方法を延長するだけでは、私は満足のいく結果が得られないと思いますので、新機軸と申すと大げさですけれども、新しい方式というものを積極的に考えるべきだと思っております。その根拠が実際に実態としてあるかどうかということを確かめに水俣へ参るつもりでおります。
この間もある患者の方、そしてまた水俣病の認定にかかわっていらっしゃるお医者さんともお話ししましたときに、名前を上げてもいいと思いますけれども、原田正純先生でしたが、市民の方々が患者さんと話をするときに、私たち市民とか、あなた方患者さんはという話し方をされるけれども、自分は医者として横でそれを聞いていて非常に不思議というか、不安な感じがする。それはその実態把握というものが行われてないだけに、実は患者と市民という意識で物を話している市民自身が、患者と言わないにしても、幾ばくかの汚染を受けておる可能性がある。そういう認識というものをあの地域の方々が持たれない限り、つまりその差別というような問題も淘汰されていかないと私は思うのです。そのとき
現地に参りましてそのヘドロの問題について何らかの新しい情報を得、それが非常に重要な場合には、既定の方針が何であろうと、それを勘案するように私の方から申すつもりでございます。
おっしゃるとおり、拙速の余り第二次汚染というものを招くということは一番警戒しなくてはならないと思いますので、技術的に万全を期した段階に至るまで、たとえ地元の要望が強くとも、みだりに拙速な工事は慎むべきだと思います。そういう意味で環境庁も環境庁の所見を述べていくつもりでございます。