外国為替資金特別会計法の一部を改正する法律案について、お尋ねいたします。まずきわめて幼稚なことからお尋ねしていきたいと思うのですが、このインドネシアに対する債権を棒引きにするということは、財政法の八条ですか、「国の債権の全部若しくは一部を免除し又はその効力を変更するには、法律に基くことを要する。」とある。あの財政法の関係は、議定書を国会が承認することによって十分である、こういうことになるのかと思うのですが、そうですか。
外国為替資金特別会計法の一部を改正する法律案について、お尋ねいたします。まずきわめて幼稚なことからお尋ねしていきたいと思うのですが、このインドネシアに対する債権を棒引きにするということは、財政法の八条ですか、「国の債権の全部若しくは一部を免除し又はその効力を変更するには、法律に基くことを要する。」とある。あの財政法の関係は、議定書を国会が承認することによって十分である、こういうことになるのかと思うのですが、そうですか。
そういたしますと、今度ここに出ておる資金特別会計法の改正案というものは、債権を棒引きにすることから生じたこの特別会計の損失をカバーする、始末する経理的な法律である、こう解釈してよろしゅうございますか。
つまりこれは、普通の事業会社なんかでいえば、商売をやって損になった、損が出たから、その欠損の損失の処分として、次年度に繰り越すという処分の仕方もありましょうし、あるいは積立金を取りくずすという処分の仕方もありましょうし、またさらに進んでは、資本金を減資して処分するという処分の仕方もある。これは、当然株主総会にかけて、それを承認してやるということと同様に、国会という国民の株主総会にかけて、資金特別会計の赤字の欠損の処分をする法律である、こう理解していいわけなんですね。
資金を落すという考え方ということはわかりますが、ただ問題は、この特別会計の一つの財産である債権が棒引きにされた、まあ一口にいえば、取れなくなったということで、当然起ったこれは赤字なんですね。消却による赤字というものが生まれてくる。その赤字が生まれた以上、これは普通の会計学的な処理からいえば、当然これは損失として現われていかなければならぬのである。つまり損益勘定と申しますか、最後は損益計算書に損失として表われていくというのが、会計学的な処理からいえば、当然な処理であろうと思います。ところが、それがこの法律では、そんなことをしないで、ぽかんと資金を落す。最後の処分案というものが出て、途中の赤字の発生の経過というものは全然現われてこない。
外為会計法で、やれ歳入だ、歳出だというのは、お説の通りであろうと思います。そのように法律ができているから。しかし、外為会計がこの経理事務をとっていくというときには、当然普通の会計学的な処理をしておるのではないかと思うのです。実は、私はあまり不思議だから、この事務を委託されておる日本銀行に聞いてみた。日本銀行は、一体日ごろこの為替の売買関係事務の帳簿の記帳は、どういう方法でやっておるか、こう聞いたら、日本銀行の言うのには、それは、普通の銀行の簿記によって記帳いたしておりますという、これは当然だろうと思います。予算書にはなるほどお説の通りに現われるかもしれぬ。しかし、経理においては、普通の簿記のやり方によってやらざるを得ないはずだと思う
どうも、問題が主計局の方で、あなたに聞くのは無理かとも思うのですが、しかし、売買差益だとかなんとかいうのは、なるほどこれに書いてあるわけです。法律にありますし、従って、これは予算書にもその形で現われていくのは、当然であろうと思うのですが、私が申し上げておるのは、途中の経理の話なんです。これは、売買差益のうちに入れないとか、インドネシアの債権を棒引きにしたのは売買差益の損失ではないという解釈に、あなたはお立ちになっておると思うのです。しかし、損失には間違いないでしょう。あなた方のお出しになったこの法律にも、こうあるわけです。前の方を略しますが、「日本国がインドネシア共和国に対して有する一億七千六百九十一万三千九百五十八アメリカ合衆国ド
外国為替特別会計自体の放棄ではないというお話ですが、それでは、この法律の文句を聞きますが、外国為替資金に生ずる損失という場合のこの資金という言葉、外国為替資金特別会計という事業体という意味での資金という言葉ですか。それとも、貸借対照表なんかに現われておる資金、というのは、資金あるいは積立金というものでありますが、その方の狭い意味の具体的な資金をさす資金という言葉がここに使われておるのですか、どちらが使われておるのですか。外国為替資金に生ずる損失というところの資金という言葉です、これは事業主体を示す意味の言葉ですか。
そうすると、結局外国為替資金に生ずる損失というところに使ってある外国為替資金というのは、法律をおあげになりましたが、具体的に言えば、三十三年度の外国為替特別会計の予定貸借対照表の中に、貸方科目に資金が幾ら、借入金が幾ら、積立金が幾らとある。あの資金をさす、こういうことですね。
そうすると、この債権を放棄することによって外国為替資金に生ずる損失、この直接の具体的な資金に生ずる損失という言葉は、一体債権を放棄したら、もちろんこの資金も損失が起るであろうと思います。しかし、一つの事業主体から考えれば、全部が必ず損失になるとは限らない、積立金もあればいろんなものがある。それを、この資金に限って損失になるというのはどういうわけですか。
僕が聞いておるのは、請求権を放棄した、そこで損ができた。この損というものは、その事業主体が損をするのであって、その中の資本金に当るものが損だとか、何が損だとか限定されるものじゃないと思う。その事業主体自体の損失であるはずだ。これを、その中の一部の資産というか。負債というか、その資金に限定してしまうという理由はない。もちろん、これはそれに波及するということはわか ります。しかし、それがもう焦げつき債権を放棄したら、それは必然的に資金だけの損失であるということは、合点がいかない。外国為替特別会計が損をするということならわかるが、特別会計の中の資金という一部分のみが損をして、ほかは一向損はないのだ、そういう考え方はどうも常識的には考えら
私は、その損失を何によって一方でこれを埋めるかということを聞いているわけではないのです。ここの文句にある「外国為替資金に生ずる損失」の資金という言葉は事業主体を示す言葉にすぎないのではないか、もしそうでないとすれば、なぜ債権の放棄が必然的に具体的な資金自体のそれのみの損失、こういうことに結びつくか、その理由がわからない、こう言っているわけです。あなたは、しきりにその損失の穴埋めの措置として、常識的にいえば資本の減資という形にいくのだ、こういう御説明のようです。それはもちろんそこにいくでありましょう、いくであろうが、「外国為替資金に生ずる損失」という言葉の解釈は、これは、事業主体の外国為替特別会計の損失、こう理解すべきではないか、こう
いかに有能な坊さんであっても、聞いていなければわからぬ。 この法律に、インドネシアの金額が書いてあるが、その「請求権を放棄することにより外国為替資金に生ずる損失については、」という文句があるわけです。いろいろやりとりしてきたわけですが、この外国為替資金という言葉は外国為替の特別会計自体、つまり事業主体をさす言葉であるか、それとも外国為替資金特別会計の中の貸方科目にある具体的な資金、それをさすものか、こう聞いているわけです。
法規課長の言われることが、私の言うことと焦点が狂っているわけなのです。そこで、一つ法規課長と同様だということなら、坊さん自身から御説明願いたい。
なるほど資本というものはぐるぐる回転するものだろうと思う。これは、何も外国為替資金特別会計だけではない、どこの資本だって回転する。回転するうちに、資産が大きくなっていくということもあるわけです。損失というものは、全体としての損なのではないか。もとの資本だけが損をするというのはどういうわけか。それを取りくずすには一番大きいところを取りくずすとかなんとかいうやり方があるでしょう。しかし、全体としてはやはり損なのではないか、こう私は言っておる。
わかりました。つまりこの外国為替資金という言葉は、財団的なものだ、こういう御説明ですから、私が最初から事業主体と、こう見ておることと同じ趣旨の御答弁だと私は理解いたします。一つの財団としてのものだ、こういうことです。ところがそれにしても、請求権を放棄して損が出た、その経理の仕方を資金にぶっつけて、それをすぐ落すという経理の仕方は、しきりに特別会計法だ、こうおっしゃるのですが、特別会計法の予算、決算というようなものは、そういうやり方に最後はなるかもしれない。途中の経理処理の過程においては、そういうことは許されないはずだ、こう私は言っておる。普通の会社でも、会社には何も特別会計法というようなことがあるわけではないが、何か自分の売掛金がと
どうも私の言うことが酒井さんには御理解ないのかしら、あるいは酒井さんは、会計学を御存じないのかもしれない、こういうことになるわけですが、民間会社でも売掛金を落すとき、すぐ準備金なんという相手科目を書きはしません、書いたら大蔵省からしかられるにきまっている、そんなことはできませんよ。それを、あなたの方では、直接売掛、まあ一種の売掛金ですが、その債権を落す、相手科目はすぐそれを資金に結びつけて落す、こういう伝票の切り方は、会計学上あり得ないと私は言っておる。これは、従来の会計学というものを全然無視したやり方である。勝手気ままな法律さえ作れば、何をやったってかまわぬという考え方からこれがやられておる。こういうことを私は問題にしておる。何も
実は私は、この法律は初めは簡単に考えておったのです。賠償との関係とか、根本論は別として、この法律自体はごく簡単な法律だと考えておったのですが、あまりに不思議なので、いろいろ考えてみると、これは容易ならぬ法律だということになってしまったわけです。酒井局長は、しきりに一般の会社なんかのやる経理の仕方とは違うのを法律で作ったのだ、こういう御説明なんです。それは、確かにお作りになったからそうだろうと思うのです。しかし、なぜそういう非常識きわまるやり方をやらなければならぬか、その積極的な理由がどこにあるかということを私はさっきから聞いておる。かりにあなたの方の考えを前提として認めるならば、普通の会計経理の仕方によってやってもりっぱにできるはず
法規課長の答弁を要求してないのに、しきりにお答えになるのだが、私の聞いておるのは、そういう最後の処理のことを聞いておるんじゃないわけです。途中の過程のことなんです。損失として現われてくるのに、なぜ損失としてはっきり出してこないか。もちろん、それは債権放棄による損失とかなんとか、一般の売買差益の場合の損失、差損の場合とは区別して書き上げるということもできるでございましょう。そういうやり方をとって、損益計算書にはっきりとこの分の損だ、そしてこれは、最後にその損の処理として資金をくずす、普通の会社でいえば、減資という形に持っていく という、そういう順当な普通のやり方をなぜとらないで、ぶっつけに債権の放棄として、相手科目は資金だというよう
政務次官でけっこうです。
技術的なとおっしゃったんですが、なるほど中身は技術的なことですが、その根本、底を流れる精神は、技術的な問題じゃないわけです。だから、政務次官に私はお尋ねをするのです。政務次官も、常識人としてそれをどう判断されますか。何も経理の専門家としてあなたに御答弁を求めてはおりません。