あとから聞いたんですけれども、その今お話の、入ったという事実は、これは一部入ったと聞いておりました。私の方は、一万トンを全部そろえてからこれを処置するということを建前としてやっております。従って一部入っても、これは税関の方にも何もしない。全部そろうまで待つという態度をとって、私はそういう方針でやっておったのです。
あとから聞いたんですけれども、その今お話の、入ったという事実は、これは一部入ったと聞いておりました。私の方は、一万トンを全部そろえてからこれを処置するということを建前としてやっております。従って一部入っても、これは税関の方にも何もしない。全部そろうまで待つという態度をとって、私はそういう方針でやっておったのです。
それは、私どもの方の立場としましては、許可期限が切れてから入ったものはどうにもなりませんので、実は三回の延長を願い出たわけです。従ってわれわれが願い出た事実からいっても、これは何とか責任を全うしたい、譲渡したいという意思があくまであったことは事実ですけれども、許可にならぬ事項に対しては、われわれ何ともいたし方ないから……。
その点ごもっともなので、私はそれを考えておりましたからこそ、勝間の解任と同時に、藤岡芳蔵をして、あとの始末と申しますか、今の意味のことの始末を合理的に完全に、国際的の体面を保つようにするべく処置することを委任したわけです。
それは先方にどういう都合があったか知りませんが、ずいぶん長い間許可を受けた通報を受けてから先方は砂糖の輸入をおくらした。おくらしたけれども、これは決して非合法的な砂糖の輸入ではないのですから、それは時期がおくれたという点はいけませんが、その点においてはすべて合法的にやっていることであるからこそ、国際的な体面というのはそれを言うているわけでありまして、日本の立場上、これが来たということについて、もう時期が切れた、許可がないから、おれは知らぬというのでは、国際的の体面を全うするゆえんではないと思うたから、それらの点を円満かつ確実にしたいという意味です。
それはどういう意味でやったか、私にはちょっと想像つかぬですね。
私から想像を申し上げるようですけれども、これは今申したように、言葉は適当かどうか知りませんけれども、国際的な体面ということを善処するための行為かと私は想像するのです。
それは私もしろうとながら聞き及んでおりますけれども、相場はその当時下ったかもしれませんが、相場が下ってもわれわれは百万米ドルというものを獲得することさえできれば、あとのことはわれわれが関知しないところなんです。これは通産省の指示及び制限事項にもあるように、制限を受けておるのだから、われわれ研究所としては、その価格が百万ドル割るようなことがあったら関心を持たなければならぬが、下ってもそれだけの話だと思っておりました。
それは、一年とか一年半とかあるきわめて短かい期間、われわれが向うでの完成を保証してくれということを申請してきたわけです。その保証と申しますのは、ある完成の期間を置いて、果してそれが実施できるかどうか、成果を持つかどうかということについての承認を与えたということは、私どもで全責任を持って、そこで成果の完成を見るということも考えてやった、こういうことです。
ちょっと御質疑の要旨がつかみにくいところがありますけれども、極力運動したというお話が中心なのか、どういう点かもう一度お願いしたいと思います。
私どもの方では、許可期限が切れるまでは今お話のような考え方を決してとっておらなかったのであります。やはり他の外国と同じように、特許実施権を与えて、そうして完全に正規に特許を実施をするという建前をとっておったのです。従って今御質疑の、当時の砂糖の外貨がどうであったということと、それからその妙味といいますか、そういうものについて商社がわれわれを著しく後援したということが事実であっても、私どもがその後援力を利用したことはあるかもしれませんが、しかしそれについてわれわれは何らの利益を保証したわけでもなければ、われわれが関知したことでもないのであります。ただ繰り返して申し上げますが、本件特許を向うが完全に買った場合、われわれが完全に向うに実施
当初は台湾です。それからキューバに変ることを承認を得たわけです。
それは向うの都合でそういうふうにしたと考えております。
私が承諾したというよりも、私が取り次いでその承認を通産省に求めたわけです。通産省はそれでもよろしいというので、私の方はどこの砂糖でも、あるいは砂糖でなくてもよかったのです。従って要するに、われわれの方はライセンスをもらえればいいという建前で一貫しておったわけです。もう一回言いますが、承認を与えた云々の話は、私どもは取り次いだだけであって、こういうことを先方が言ってきた、よろしいかどうか、それを通産省に伝えて、承認を与えたのは通産省です。
今のお話にちょっと私として申し添えておきたいことがあるのです。それは、技術輸出を離れて砂糖をとるという意思も全然なければ、そういうことの行為もやらなかったのです。かりにそれが許可期限が切れてこれを取り入れるという行動をしたということがある場合も、必ずそれは技術輸出と交換であるということは、少くともわれわれの研究所に関しては言わなければならないし、また言えるわけなんです。技術輸出とかけ離れた砂糖の輸入ということについては、われわれは決して意思もなければ、考えてもおりません。
松平という人は、私は全然知りません。会ったこともなければ、何も知らないのです。
そう解釈していただくのが至当だと思います。
許可期限が切れてから後は無関係であります。
因果関係という意味はよくわかりませんが、私は関係がないのです。けれども、先ほど申したように、本件は、そもそも特許の実施権と交換に入るべきものであったから、時期を失してからでも、これは決してやみの砂糖でも何でもないのだから、国際的な立場を明らかにするように、明瞭にするようにという立場から、私は円満に処置したいという気持を持っていたわけです。これは無関係でおれば知らぬということは承知でありますが、この処置は、そもそもわれわれから発生したものであるから、国際間の不始末がないようにうまくこれをおさめることの必要は認めておりました。
それは相当前から、私は直接知らなくて、私の兄貴の友達、知己という意味から知り合いがあったので、具体的に私自身が彼といろいろ交遊しだしたのは昭和二十八年の例の私の方の——本件とはちょっと関係ありませんけれども、本件特許の実施をやるため、パイロット・プラントをやるために京都化繊製造所というものを作って後二年ほどたってから、彼が中心になってその仕事をやりたい、やってよろしいという承認を与えて、そういう関係でいっておったところへ、たまたまこの台湾の砂糖による特許実施権の購入問題があったから、これをうまく始末して、もし立川にそれだけの現金が入ったときにはいち早くこのパイロット・プラントができるという関係において、彼と関係があったのです。
この砂糖の許可並びにその処置ということの一部に対して、彼がわれわれからたのまれて動いていた事実はあります。