宣 誓 書 良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、 又、何事もつけ加えないことを誓います 平成五年二月十七日 竹下 登
宣 誓 書 良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、 又、何事もつけ加えないことを誓います 平成五年二月十七日 竹下 登
ただいま粕谷委員長からの尋問に対して、証人として証言をいたします。 まず第一番目の、私がこれがいかなる理由でなされたかということは永遠に突きとめることができない、そのような表現の発言をしたことは事実であります。永遠という言葉は、後から速記録を見て、必ずしも適当でなかった。車ほどさように難しいことだ、こういうようなつもりで申し上げたわけでございます。 その次は、いわゆる結果責任について、すなわち私が昭和六十三年十二月以降この話を知ったということにつきまして、それが総理大臣在任中であったから結果責任をとるべきだ、このような御意見があることもたびたびの尋問に証言したところで、お答えしたところでございます。この点につきましては、私は
議院証言法という法律は、昭和二十二年十二月、時の議院運営委員長浅沼稲次郎先生でありましたが、できた法律であります。そして、これは占領下の法律である。したがって、その後いわゆる人権とのかかわりにおいてたびたび議論がなされたことは、私もその一人でございましたのでよく承知しております。そして、六十三年にいわゆる改正が行われて今日に至っておるわけであります。 しかしながら、あくまでも法に定められたものであります。そしてまた、私は昭和五十四年、たまたま予算委員長をいたしておりまして、その際証人を喚問し、それに対して委員長としての尋問をした経験も持っております。今は証言する立場にありますが、より一層、法の示すところに従って一生懸命対応すべき
昭和六十三年の改正の際に静止画像、静止画像とは言いません、撮影が禁止されたわけでございます。結果として私はそれが今行われておる静止画像になるであろうというイメージは必ずしもその当時はございませんでした。しかし、あの当時議院運営委員会で議論されたこと、これは私は総理大臣でございましたので報告を受けて、失礼しました、自由民主党総裁でございましたので報告を受けて承知しておりますが、確かにこの問題には両論ある。 しかし、我々もとかく、私を含めテレビを意識しがちでございます。それがいわばパフォーマンスが過ぎた場合、我々またじくじたることがありはしないか、このような意見もありました。したがって、法律でもって禁止、撮影禁止ということになったわ
今御指摘のありました平成三年六月のことでございますが、私の遠縁に当たります小針さんから御連絡をいただきまして、私も小針さんの知人宅へ参上したことはそのとおりでございます。ただ、そのときは後に予定があったりいたしまして、したがって二回私は行ったと思っております。その際、私は、いわゆる本業と本業でない部分の現在の業績等についての詳しいお話を承りました。それで私からも詳しく、その場合いわゆる長期の再建計画を立てて、それでもってまずメーンバンクとの協議に入るべきだと、およそその筋の話をかなり丁寧にしたことを記憶いたしております。しかし、個別の、三和銀行あるいは住友銀行ということについて私が言及いたしたことはございません。 また、金丸先生
二回目の会合も渡邉、小針両氏はいらしたというふうに記憶いたしておりますが、小針氏から、私として大変今までお世話になった間柄にある、したがって知恵をかしてくれと、こういう依頼があったことも事実でございます。したがって、私は、今までも頼まれ事に対してはどちらかといえば丁寧な方でございますが、かなり懇切な説明も聞きましたし、丁寧なお答えもしたというふうに記憶いたしております。
一つは、昭和六十二年の十月二十九日でございます。私は、本院に対しましてこの日にちを、その場合は十一月の十三日とかというふうに申しましたので、適切ではなかったということで訂正願を提出をいたしましたが、十月二十九日であろうと思われますので、この会合があったことは事実でございます。 そしてまた、その次は六十三年の十二月の二十三日でございますが、これは報道等によってその日を聞いておりますが、ただ、昭和六十三年の十二月二十二日には私は本院で内閣不信任案を受けました。二十三日には参議院で内閣総理大臣兼大蔵大臣竹下登君問責決議案を受けております。そのさなかでございましたので、私が誘われたというような記憶は全くございません。 ただ、前回ここ
小沢一郎氏はそのような考え方であったというふうに私も記憶いたしております。あのとき各方面から、いわゆる褒め殺してございますから、私を褒めたたえた演説、連呼をしてお歩きになるわけでございますから、あなたがやらしているではないかとか、とめなさいとか、いろいろな忠告をいただいたことは事実でございますが、小沢さんの姿勢は、これはまさに黙殺すべきだという感じであったというふうに私は思っております。
皇民党の街宣活動に対し私が神経をとがらしておったのは、何かおびえることがあったではないか、その中の一つとして金屏風問題ということが議論されたことは御承知のとおりであります。 しかし、私自身、この金屏風問題というのは参議院の予算委員会並びに決算委員会、私が大蔵大臣であるときに出まして、かなり詳しく御質問が、そのときは御質問がございました。それに対して私もお答えをいたしたわけでございますが、その後いろいろな角度から、私にはおのずから限界はございますけれども、これは調べてみましたが、その金屏風というものを見たこともたければ、それの売買に関して金銭が動いたとかそういうことは全く私はあり得ないことだ、私の存じないところでございます。
まず、この真部さんというお方にお会いした記憶ももちろんございません。そして、金品の授受があったという事実も全くございません。 ただ、伊坂証言というものは、伊坂さんは伊坂さんで今裁判の当事者でございますので、それに対して私もいかにコメントすべきか昨日考えました。そういう事実を、伊坂さんはそう思っておる、こうおっしゃるわけでございますから、これは私にとっては大変迷惑なことだという表現以上はコメントしにくい問題だということでとどめたわけでございます。まさに、全く関係のない事実でございます。
刑事局の課長さんの答弁は、私が大蔵大臣をやめまして自由民主党幹事長をしておる際の会議録で私も読みまして、そのような答弁をなすっておるということを承知いたしております。
いわゆる金屏風問題、千代田生命、兄弟杯、手打ち式などにつきまして、私はその事実は全くないということをこの際証言さしていただきます。 と同時に、私自身顧みまして、今までは、体制側にある者は、いつも申しておる言葉でございますが、まずみずからが耐え忍ぶことだ、それに耐えてこそ体制側の真骨頂だというようなことを言っておりました。それは政治家として古い考え方だと最近はしみじみと感じておりますので、それらに対してはそれ相応の措置を講ずべきであるというふうにみずからに言い聞かしておる昨今でございます。
私が五日の日に決意表明をする前に行きたいという希望を申しておりましたが、恐らくその数日前じゃなかろうか。総理大臣の日程の中へ私の時間をはめ込むのはそれしかないというので電話がかかったというふうに思っております。
いつ、何月何日ということはもちろん決めておりませんでしたが、私がお仕えした、官房長官としてお仕えしたのは佐藤さんと田中さんですが、御健在なのは田中さん、幹事長としてお仕えしたのは中曽根さん、この二人だけには決意表明の前にあいさつに行きたいということで、人を介し連絡をしておったことは事実でございます。 しかし、決意表明前にはできませんでした、中曽根さんの方の都合で。私なりの気持ちでは、中曽根さんに最初行って、その後田中さんの方へ行きたい、こう思っておりましたが、五日の日は行くことをやめたというようなことを、記憶を呼び戻してもなかなか難しいのでございますが、あったということがあったとしても別に不思議ではないな、このような印象で仙谷先
簡単にと申しましても(仙谷委員「いや、イエスかノーかだけでいいです」と呼ぶ)ちょっと事情がございますので、イエス、ノーだけ言うのが礼儀だと思いますが、少し言わせてくださいませ。お願いいたします。お願いいたします。(仙谷委員「時間がないんですよ」と呼ぶ)はい、わかります、時間がなかったら、また後日でもお二人でお話ししても結構だと思いますが、(仙谷委員「いや、二人じゃだめなんですよ」と呼ぶ)申し上げますが、その日は私は決意表明して、平素の私以上に高揚しておりました。したがって、そのパーティーでも大演説をいたしました。したがって、まず入っていってかなりそういう雰囲気の話をしたというふうに思っておるところでございます。
高揚しておった気持ちの中でほかの話もしておりましたから、一対一というわけではありません。
いわゆるワーディングの問題ですが、正確には覚えておりません。ただ、丁寧にお話があったことだけは重ねて申し上げます。
だれがというわけではございません。
だから私は、どちら、だれということを断定できないというふうに申し上げたわけであります。
今仙谷先生のおっしゃったお話は私も週刊誌で見ましたが、魚住さんからその種の報告を受けたことはございません。