まず、一つだけ申しわけございませんが、手柄話をするというようなお方ではないと、私にとっては善意の第三者であったと魚住さんは思っております。 亡くなられた安倍晋太郎先生とお会いしたことは事実でございます。
まず、一つだけ申しわけございませんが、手柄話をするというようなお方ではないと、私にとっては善意の第三者であったと魚住さんは思っております。 亡くなられた安倍晋太郎先生とお会いしたことは事実でございます。
その事実はどう思い起こしてもございません。当時覚えておりますのは、安倍さんと私が金田中で会談をしておるということで、外にいっぱい新聞記者の方等がいらしたということはよく覚えております。
どう記憶を呼び戻してみましても内村さんという人がわかりませんので、ごあいさつしたようなこともなかったろうと思います。
あっぷあっぷの話につきましては、これは金丸さんはいつも助けてもらった人にはお礼を言う、頼まれたことには親切に応ずる、これが生きざまでございます。したがって、あっぷあっぷした子供が私であったという例えば自由でございますけれども、私にとっては余りいい例えではないというふうに思っております。 それから、察知したという言葉がございますが、この間の金丸先生の病床尋問、見てみまして、読ましていただきまして、私にも理解ができたわけでございますが、そのとき上座へ座りなさいと言っても座らない、あるいはたばこも酒もたしなまないというようなそのときの光景について私はお話を聞いた、その際私が察知したというふうに思います。
金丸さんのお話で察知をいたしました。
やはりお答えすべきは正確と思いますと、察知したということに尽きると思います。
私が印象を持ちましたと言いましたのは、今仙谷先生の御指摘のように、そういう受けとめ方があるとしたら私の真意でないと思ったからでございます。 ただ、葛藤という言葉につきましては、後日字引を引いてみまして、いささか適切な言葉でなかったというふうに思います。
島根からのお話でございますが、代用教員ではございません。一級普通免許状の教員でありました。 それから、その御伝言が仙谷先生のもとにあったのは謹んで承ります。ただ、私の結果責任をとれということにつきましては、私はどう考えても皇民党の存在と自由民主党総裁選挙との関連がないと、したがって、そういう疑いがあるとすれば、それを果たすことが私に与えられた責任であると、くどいようですが重ねて申し上げさせていただきたいわけでございます。ありがとうございます。
これは公用でおとりになったものでございますから、私は正しいと信ずべきだと思います。
楢崎先生もイニシアルで申されましたので、Y・Iじゃないかというふうに思いますが、お父様は私と同県の大阪県人会あるいは経済クラブ等の最高幹部をなすっておった方でありまして、私が、年齢も近いのでと申しましょうか、媒酌を依頼をされました。そのとおりでございます。
私が媒酌をいたしましたが、その披露宴にいわゆる報道関係の方がシャットアウトされておるとかいうことについてのお話は聞いた覚えがございません。
覚えがございません。
十月五日昼、四十分間という質問がいつかございまして、その事実はございませんと申しましたが、今なおそれと同じお答えをするわけでございます。
十月五日のたしか、正確な時間ではございませんが、七時から一時間程度お会いをして、私の記憶では、渡邉社長さんと金丸先生と小沢先生と、それから私の秘書でありました青木伊平氏とおったというふうに覚えております。 で、ただ当日は、何分私も決起集会をやりまして、決意表明したわけでございますが、大体非常に自分を抑える方でございますけれども、いささか興奮しておりまして、大演説を下のパーティーでもやっておりました。これはまあお互い政治家なら理解していただける環境でありますが、したがって、そういうような延長線の中で参りました。 から、まずはそんなような話をしておったんじゃないかというふうに思います、私自身。 そうして、いわゆるこの田中先生の
あるいは今私は、その渡邉調書というのを入手して精読したわけではございませんが、今のその先生のお話からいたしますと、渡邉さんの調書は別といたしまして、いわば私が自宅へ帰りまして、たくさんのマスコミの方が来ていらっしゃいました。それから、応援者の方も来ていらっしゃいました。それから、今は少し大きいうちへ留守番に行っておりますが、小さいうちでございまして、とてもその新聞社をまいてどっかへ行くというような環境ではございませんし、当時の新聞記者の方のメモなどをやってみますと、私がずっと自宅におって、あるいは少々将来の抱負なんかを語っておったではないかというふうに思います。 それから、次の問題は、私は行くことは初めから決意しておったわけです
いわゆる渡邉証言というものを前提として、これを正しいものとして私の証言とが異なっておる、だから疑惑はますます深くなる、この立論は、私は最近つくづくと思うのでございますが、やはりその辺は公正な判断をしていただきたいものだなと思います。しかし、渡邉さんは今裁判を受けておられる身でございますので、私が勝手に自分で評論する立場はとるべきでないというふうに思っております。 しかし、私自身はいかに平素おとなしい——まあおとなしいは取り消します。自制心が自分でも強いと思っておりますが、しかし、立候補表明をした当日でございまして、その前、同僚のパーティーでまた大演説をした後でございますので、私自身がまさに自身をなくして弱気になってしまうというの
多くの同僚の皆さん方が、私からいえば善意の第三者として御心配をしていただいたことについては、当時も今も感謝をいたしております。 ただ、渡邉さんは今、裁判そのものの身でございますので、その調書と裁判との関係がどのようになっていくかは私にはわかりませんけれども、軽々私が感想を述べることは差し控えるべきだというふうに思いますが、しかし私自身、これは矢追先生わかっていただけるんじゃないかと思います。お互い政治家が、千万といえども我行かんというような演説をした後、急にしょぼっとなって、もうなれないというようなことには、私は現実問題としてそんなことはないではなかろうか、このように思います。矢追先生も長い国会議員です。私も長うございますが、ま
矢追さんの私に対するこの勧告、御要請、それはそれなりに私としては矢追さんの考え方として受けとめました。しかし、私自身は、いわば自由民主党総裁選挙に当たって、一政治結社そしてそれに対する暴力団、これが関与して政権が誕生したということはないという事実を、あらゆる機会を通じて、国内はもちろんのこと世界 に対しても明らかにしていくことで自分の責任をとろうという考え方でございます。 また、青木氏が大学ノートを持っておったというのは、彼はいろいろな処理に対してはいつも大学ノートを持っておりました、それはかなりきちょうめんな人材でございましたので。いわゆる職務上大蔵大臣として知り得た秘密を、いわば公設秘書でもない青木氏に私がこれを知らしめる
葛藤ということについての正森先生の「選択に迷う」ということは、あるいはその方が正しいのかなと、今聞きながらそう思いました。が、それは別といたしまして、非常に丁寧なお話でございますから、何か、そういうことが何かの条件というようなことにとられることは、何といいますか、嫌だなとでも申しましょうか、そういう気持ちがあったという意味のことは、やはりこれは重ねてお認めすべきであるというふうに思います。
丁寧な丁寧な言葉を丁寧な丁寧な話と申しましたが、大体私の答弁等は時に丁寧過ぎる点もございますのでその点は御容赦いただくといたしまして、私自身は、本当に丁寧なお話であればあっただけに、何か、それが何かの条件ではないかという印象を抱いたということはこれは事実でございます。これ以上なかなか、正森先生のような適切な言葉が浮かんでまいりません。