お金の話など全く約束した覚えはございません。
お金の話など全く約束した覚えはございません。
まず、条件だということを、金丸さんからそういうようなお話を聞いたことはございません。 それから、目白へ、田中邸へお伺いいたしましたのを、私も、五年以上前の話でございますが、五日にそのことを行おうとしたような感じがしておりますが、あのころの日程調べてみましたが、月末から、確かに九月の二十八日に土井委員長が北朝鮮からお帰りになったその後の日程全部私なりにとっておりますが、どうしてもその事実が浮かんでまいりません。五日ではないかなと、こういう感じがいたします。そのときにいわゆる中曽根さんの分が六日に決まったからというので延期したということであると思います。
今三日とおっしゃいましたが、私の記憶では、三日大阪、四日仙台と、まだ党員投票を前提としておるときでございますから、そのような日程であったかと思います。 五日の会合は、先ほども申しましたように、お認めいたしております。しかし、そのときの中身につきましては、私も記憶を呼び戻しておりますが、渡邉さんから非常に丁寧な言葉でお話があったということは私も覚えております。そして、その場で即答を私がしなかったというふうにも記憶しておりますが、その後長谷川信先生などの連絡があり、六日に実行したわけでございますけれども、条件、それを実行するという問題意識からはまずみずからが離れていなきゃならぬという意識を持ち続けておったわけでございます。
その辺は、高沢先生、ちょっと私も、それをどうだかという、新聞の責任で書かれた記事を私がどうであったかということを確定することは非常に難しいことだと思います。
私が気持ちの中で思っておりましたのは、五日の二時から決意表明をしましたものですから、その前に、直接お仕えいただいた中曽根総裁と、直接内閣官房長官としてお仕えいただいた田中先生のところへごあいさつに行きたいという希望を持っておったことは事実でございます。 しかし、その後、中曽根先生の方から、総理大臣でありましたから、六日の九時にしてくれと言われましたので、やはりその日に、前に行くのはいかがかという感じがいたしておったことは事実でございます。
私がそういうことを憶測する立場にはございません。 ただ、先ほども申しましたが、あの五日の日は、平素気分を抑えておりますけれども、いささか大声を発して決意表明したときでございますので、その夜、急にもうなれないかもしらぬというふうな嘆きをする心境にはなかったんじゃないかと思います。
当時の新聞紙上で、だれが来たか関知しないとかいうようなお話が載っておったことは私も覚えております。先ほど申し上げましたように、長谷川信さんが、これが、自分が名刺を受けて取り次ぐのでということが、私をしてその日に決行せしめた大きなゆえんでございます。
長谷川信さんとの話で、私が取り次ぎますので、もう中曽根先生の時間も決まっておりましたから、私が取り次ぎますということをきちんと、その前の晩というよりも午前二時ぐらいだったと思いますが、お話もありましたので、そのとおりに実行をしたわけでございます。
その前に確かにいろいろな接触があったというふうに私も思います。しかし当日は、私自身、時間的にも門内へお入りする余裕はなかったというふうに思います。あくまでも長谷川さんと約束の上でごあいさつをした、こういうことでございます。
私にも人格がございますが、私は、お仕えした方にごあいさつに行きたいというのはかねて思っておったわけでございます。したがって、私が行ったという事実を外に見せるために行った、それほど落ちぶれていないというふうに私は思っております。
十月二十九日とおっしゃいましたが、これはあるいはだれかの思い違いかとも思います。私は、三十日が党大会でございましたので、承認を受けますので、二十九日はそういう余裕が、どうも日程調べてもございません。その後の十一月の中旬であったらその日程がとれるということがわかりました。これは私の調査でわかりました。したがって、そのときに私が会合に参っておりまして、そしてこの下の部屋に金丸さんと渡邉さんが飯食っておられると、お顔をお出しになったらということで私は参りまして、大体私は必ずテーブルに手をついてどなたにもごあいさつするという習慣が自分であると思っておりますので、ありがとうございましたと、このようにお礼を申し上げたことは事実でございます。当時
これは、あのときは私は総裁にしていただいて、多分そのときは総理になっておったと思いますが、だからどなた様にもありがとうございました、お世話になりましたという立場にあったことは事実でございます。
ちょっと私、記憶がございません。
田中家の方の御心境を私が推察することは控えたいと思います。(仙谷委員「いやいや、最後の質問だけで結構です」と呼ぶ)最後の問題は、ちょうど今言われましても、実は日程表を持ち合わしておりませんので、記憶にございません。
五日でございましたら、私は日程を繰ってみましたら、同僚の励ます会、その後にいま一つ経団連の会とございまして、その間の時間であったと思いますので、九時というのは違うと思います。これは私が調べたところでございます。 したがってそのような、今おっしゃいました石井さんから渡邉さんへ、渡邉さんから金丸さんへ、そこで九時が決まったというような事実は私は覚えておりません。
正確でないかもしれませんが、六時から励ます会がございまして、私はスピーチしました。したがって、七時ではなかったかと思います。そうして次の会合が七時でありましたのを、おくれることを予告いたしまして申しましたから、一時間程度ではなかったかというふうに思います。それから自宅へ帰って、その自宅に集まった人の記録はございました。
長谷川さんではございません。七時から八時の間というのは渡邉さんでございます。長谷川さんから私に連絡がありましたのは、それこそ五日というよりも六日、一時とか二時とかじゃなかったかというふうに思っております。
先ほど申しましたように、めったに会ったことのない方でございましたから、当時渡邉さん、非常に丁寧な言葉で、田中先生のところに立候補のあいさつに行ってもらいたいという趣旨のお話がございました。
たしか同席したと思っております。
長谷川さんは私の早稲田大学の先輩でございますが、かねてから人の道として立候補のあいさつに行くべきだというお考えがあったことは事実でございます。したがって、自分が名刺をお受けいたしますから、あさって、しあさってと言わないで、中曽根さんのところへ行く前に来てください、こういうお電話を、お電話を自宅でいただいたということでございます。